鉄路の果てに

ちょっと前に買ったのが、清水潔が書いた「鉄路の果てに」と言う本だった。清水潔は桶川ストーカー殺人などで勇名を馳せた超一流のジャーナリストである。

本著は、シベリア抑留を食らった清水潔の父の、抑留までの足跡を追ってみると言う、テーマ的には一見深い本だ。先日読んだ「辺境中国」が面白かったので、しばらく中国の国境付近の本を読んでみようと思って丸善で見ていたとき、偶然本著を見つけたのだ。

読んでみると、重いところは重いんだが、これまたジャーナリスト出身で作家の青木俊と同行する、初老コンビの珍道中のような所もあった。amazonの書評を見ると、星の数はかなり多いが、筆頭に来ている書評が☆2つで、「定年退職者のシベリア鉄道旅行記?」と題していて、この書評自体も的を射ていた。

じゃあ私の書評も☆2かと言うと、そんなことは無くて、☆4くらいだと感じる。上述通り、初老コンビの珍道中は少し笑えたし、特に同行する青木俊の脳天気さは面白かった。また、清水潔が真面目に戦争に対する考えを書くのを読むのも良かった。でも、☆5じゃないのは、ちょっとまとまりが無いかな、と思ったからである。ページ数は250ページくらいだが、珍道中と戦争の考察と、さらに父親の足跡をしっかり書くなら、500ページはあった方が良いように思う。

読んでいて思ったのは、清水潔はあの第二次大戦に至る日本の行いに、徹底的に否定的と言うことだった。私たちが小学生から高校くらいまでは、日本は敗戦までの行いを否定的に捉える雰囲気があったが、20世紀末くらいから最近までは、これらを再評価して、むしろ「日本はよくやった」と言う方向に靡いていると感じる。ただ、清水潔の考えは、全然そうじゃ無い。

私自身も思っているが、19世紀から20世紀まで、東アジアがゴタゴタしたのはロシアが東進してきたからだ、と言うものである。それは確かにそうだと思うが、清水潔の立ち位置は、だからといって日本が過剰に反応したのは意味が無いどころか、周辺諸国に迷惑を掛けただけだ、と言うものである。その根拠として、第二次大戦が終わり、日本が元々持っていた領土で、ロシア(ソ連)に奪われたのは結局北方四島だけだ、と言う結果である。

ロシアは不凍港含みで、旧満州は確かに手中にしたかっただろうが、資源も特にない海の向こうの日本に、果たして興味を持っていたのだろうか?と言うのは、読みながら私も思った。スターリンは北海道の北半分の事実上の割譲をトルーマンに申し出たと言うのも書いてあったが…何故要求したんだろう。

結局、第二次大戦が終わって、その後数十年が経って確定した東アジアの国境線は、各国が元々主張していたようなものにほぼなっている。朝鮮半島が二つに割られたのは、未だに朝鮮人の憤懣やるかたない事実だと思うし、モンゴルが新たに建国されたけどウイグルやチベットが中国に完全に編入されたのは、物議を醸し続けてはいるが…力関係的な均衡が、今の姿なのでは。日本に至っては、繰り返すが元々持っていた領土はほぼ保全されているどころか、沖縄だって戻って来た。

結果論で豪快に片付けるのもどうかと思うが、従って、明治維新以降、大陸その他で血を流して死んでいった兵隊や一般人は、一体何だったのよ!?と言うのが、清水潔が問い続けたことだった。しかも、その過程で中国人や朝鮮人も割を食っているのである。

と言うのを、旅を続けながら清水潔は思い続けているのだが、青木俊との珍道中はその感じを所々で薄める。清水潔はかなりの鉄ヲタで、本来は釜山から父親が抑留されていたイルクーツクまで鉄路で行くことを企てている訳だが、途中に北朝鮮があって鉄路が繋がっていないので、事実上の鉄道旅はハルビンから始めることになる。ハルビンから北京発モスクワ行きの国際列車であるボストーク号でイルクーツクを目指す訳だが、途中の第5章を丸々、中露国境での滑稽な出来事に割いている。「国境越えあるある」も感じられ、私も読んでて面白かったけど、ちょっと紙幅を割きすぎじゃ無いか?と心配になるほどだった。もっと真面目なことを書くか、その分ページ数を増やしても良いように思ったが…(だから500ページくらいが適当じゃ無いの、と前述した)。

ロシア領内に入ってからの、清水潔の描く車窓風景は良かった。正直、鉄ヲタとして、ボストーク号に乗ってみたいな、と思わせるものだった。また、ちょっと前に再読した、宮脇俊三の「シベリア鉄道9400キロ」を彷彿とさせるというか、これを読んでいると二倍面白いと思わせるところも多かったが、最後に列記された参考文献に、この宮脇俊三の本が入っていた上に、その横にバックパッカーである蔵前仁一のシベリア鉄道記も参考にしていると言うのは、やや笑った。こんな本を参照しているから、まとまりの無い本書が出来上がってしまったんだろうが! 

シベリア抑留に関しても、従ってあまり深くは書かれていない。詳しく知りたければ、別の本を読めば良いだけだ。ただ、とにかく過酷は過酷で、清水潔の父親は、監視ロシア兵のミスでたまたま帰ってこられた感があるが、確かにあのミスが無ければ、帰国は遅れただろうとは思う。

シベリアの半端ない寒さは、ケッペンの気候区分的には温暖で湿潤な気候(Cfa)育ちである我々の常識では理解出来ないことが多い。例えば、森林伐採。夏期は松ヤニが出て鋸がベタベタになるため、幹の直径が1m程度の松は切れないが、冬期は凍結するので鋸で切れる。だから、森林伐採は血も凍る程の厳冬期しか出来ず、この過酷な中で木を伐るのは、誰を置いても抑留された捕虜どもになる、とか。

シベリアには、抑留兵によって建設された建物や構造物が多いようだが、人間の極限と言える所業を強いられてのものだったと思う。日本が過度にロシアに反応せず、大陸なんかに進出しないでいれば、こんなことは無かったんじゃ無いの、と清水潔は言っている。ただ、どうだろう、満州が中国のものとして今も存続したかは、ちょっと分からない。元々清の領土だった沿海州は、帝政ロシアが崩壊し、その後のソ連が崩壊しても、依然としてロシア領であることを振り返ると、今の吉林省や遼寧省や黒竜江省などは、当時ロシアの跳梁を許していたら、ロシア領だったのだろうか…?

私の数年前に亡くなった祖父は、戦時は悪名高き南京に行っていたからか、比較的早く帰国が出来たと思う。でも、仮に満州に進出する部隊に組まれ、敗戦後にシベリアに抑留されていたら、既に昭和20年に生まれていた伯母はいただろうが、昭和23年生まれの私の母は生まれていなかったと思う。となると、同い年の従姉妹は生まれていただろうが、私は生まれていなかった筈だ。このように、戦争によって「本来生まれてくるはずだった」人が、随分生まれて来ていない事実は、確実に存在する。

と言うことでも無いんだが、本書を読んで、北京ーイルクーツクだけでも乗ってみたいと思った。

感想も散らかった感じになった。繰り返すが、要素要素はとても面白かった。

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