祭りは嫌いだ―Twitter凍結

   突然、私のツイッター・アカウントが凍結された。面食らった。今Twitterはあれやこれやで話題になっているが、それと今回の凍結は関連があるのだろうか。
 Twitter社(今はXという名になっているらしいが、本稿ではTwitterと表記する)側の説明では、モラルに反するなどの規約に反したというだけで、具体的にどこに私の方に過ちがあったのか、全くわからないままである。ただ私には全く面識のないアカウントのツイートに私が「いいね」をしたことになっており、RTもしたことになっていた。それが数十ツイートとあった。前にも1度、同じことがあったが、どちらも怪しげな先物取引的な商売をしているアカウントであった。その件も含めてTwitter社側には意義申し立てをしたが、さてそれから2日。未だ返答がない。Yahoo!のニュースを見ると人によってはてんで解除されなかったり、1日で解除になったり、1か月かかったり、まちまちなようである。Twitterが使えなくなることに関して個人的には苦痛を感じないが、その理由が私自身にいわれのない道徳的な問題からだというのには、大いに憤りを感じる。冤罪もいいところである。使えなくなった原因がどこにあるのか具体的な例証を、Twitter社側に求めたい。
 SNSでは、上記のようなTwitter凍結を、「凍結祭り」と呼んでいるらしい。Twitter社が抜き打ちで複数の利用者に対して一斉に凍結処理をするのだという。なんだか大昔アメリカであった「赤狩り」のようだ。あるいは戦前の日本の特高警察がやったような一斉検挙を想起する。Twitterの世界も、だんだんと思想弾圧がされて行っているのだろうか。だとしたら、恐ろしい限りである。
 たしかに、ときとしてSNSでは誹謗中傷が巻き起こり、モラル的に眉を顰める言動が起きたりしているが、それに対してTwitter社側としては、SNS上でのモラルをクリーンにしておきたいから凍結処置をする、というのはわかる。それならばTwitter社は凍結処置をする前に当事者に対し、警告を発すればよい。当事者は、やましいところがないのなら、きちんとその旨を返信すればよい。その警告を、例えば2回とか3回とか行なっても当事者が無視をするなら凍結をすればよい。それ位の手順を踏むのが道理ではないのか。
・・・・と、頭に血が上ってしまったが、私の述べたことは常軌を逸しているものでないと判断し、あえて投稿させていただくことにした。ちなみに、もし凍結解除になった暁には、このnoteで報告させていただきたいと思う。