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クリームを入れないロックなんて

 ‥‥つまらぬ見出しをつけてしまったが、実際私にとってはそうなのである。クリームを聴くことがなかったら、私のミュージック・ライフ(?)は恐ろしく薄っぺらな、狭い狭いテリトリーで終わっていたであろう。いや今だって十分狭いけれども、クリームを真剣に聴いていたからこそ、私はクリームと同時代のロック―例えばジミヘンとかハンブル・パイ、ジェファーソン・エアプレーンなども意識的に聴くようになったのだし、クリームが影響を受けたブルース・マンーマディやウルフ、サニー・ボーイも聴くようになったのであり、それがひいては戦前のブルース・マンを聴くことにもつながっていったのである。ついでに言っておけば、クリームを毛嫌いしていた(?)70年代パンクの連中の音楽だって案外接点があることもわかってきたのであるから、クリームを知ったおかげで私の音楽面での語彙力・視野はわずかばかり豊かになったことは間違いない。
 え?パンクとクリーム?そう、クリーム結成の際、ダダイズムの影響があるとよく言われたけれども、このダダイズム。70年代のパンク文脈にも(60年代ポップ・カルチャーを経由して)影響を及ぼしているのだ。代表がバズコックス~マガジンである。バズコックスのファン・クラブ、その名もシークレット・パブリックはその思想面でダダイズムからけっこう多くを受け継いでいるし、ビジュアル面でも両バンドのレコード・ジャケットにその匂いを感じ取ることができる。ピート・シェリーは10代の頃、クリームの「バッジ」が好きでよくレコード店で立ち聞きしていたことをピートのバイオ本『ever fallen in love』にて証言している。深堀をしてみれば、クリームとか60年代ロックを嫌いだと言ったパンクスも、それは彼らが60年代ロックからの影響がいかに大きかったかの、裏返しの証左となるとも言いうる・・・・。まあこれらは私のこじつけである。
 つまりだ。私の中ではクリームも、パンクも、ビートルズも、同じ地平で語れるのである。その意味では皆、私には重要なのである。
 クリームというバンドの名は、中学生の頃には知ってはいた。たまにFENをひねれば、英米のクラシック・ロックがかかっていて、アナウンサー(ⅮJか?)が、ときにもったいぶった口調で「さあんしゃいいん・おーぶ・よああ・・・・」なんて喋っていて、ああ今のはサンシャイン・オブ・ユア・ラヴて曲か、とぼんやり認識していた。しかし当時の私はレコードを買いに行こうにもそうそう買える身分ではなかった。必死こいて小遣いを何か月もかけて貯め、やっとこさっとこビートルズのLPを集めるので精いっぱいであった。ビートルズを全曲集めることに躍起になって、それで中学時代は終わってしまったのであり、他のミュージシャンの曲とかレコードを探る余力はなかった。
クリームをはっきりと、強く意識したのは高校に入学した年、FⅯ東京で毎日夜10時から放送していた『サウンド・マーケット』という音楽番組で1週間か2週間、ぶっとおしでブリティッシュ・ロックの歴史を特集した時である。その、たぶん2日目か3日目に、クリームの「スプーンフル」がかかったのである。16分を超える、フィルモアでのライヴ録音の、あの曲である。それもノーカットで、であった。
「なんか、すげえ」
 感想を一言で表すなら、この言葉しかなかった。語彙力もなにもあったものではなかったが、放送が終わった後、まあ1分かそこらくらいだったと思うが、呆けたジジイのようになっていた。それまでまともに聴いていたロックはビートルズだけであり、ブルースもパンクもレゲエもジャズも知らなかった15歳のガキの面前に未知の世界が付きつけられた瞬間だった。いや、『サウンド・マーケット』で放送されたどの音楽も、全く未知のものばかりで(ビートルズは馴染みだったけれど)、毎夜毎夜、頭くらくらしまくりであった。40年が経った今、番組のディテールは朧になってしまっているが、あのときの頭くらくらの感覚だけは未だに憶えている。その中でも「スプーンフル」を、曲名も含めて記憶にあるということは、いかにわが身に受けた衝撃が大きかったかの証と言えるのではないか。
 クリームの曲を一つ挙げよと言われたら、私は今も「スプーンフル」を挙げる。オリジナルじゃないじゃんと言われても、躊躇せずに挙げる。確かにこれはウィリー・ディクソンの曲ではあるけれども、私にとってここではクリームのオリジナル曲である。ではなぜこの曲を選ぶのか。この曲の、この16分強の演奏にこそ、ロックの精神、というべきものが詰め込まれているからだと、私は考える。換言すれば、馴れ合いの拒絶。そして「おのれ」という「個」の存在証明。と言い換えてもよい。
 3人の演奏は互いを引き立て仲良く協調・・なんていう要素がまるでない。はなっから攻撃性をむき出しにして戦闘状態に突入、行く手を阻むものを力まかせになぎ倒していく。音楽はメロディー・リズム・ハーモニーだよって、んなもん知ったこっちゃねえと言わんばかりの展開を見せる。相手を引き立てるなんてこざかしい、俺はお前らとは違うんだという精神を、これほど感じさせる「音」はそうはないだろう。その「精神」に、ロックの事などろくにわかってもいなかった(今もだが)15歳の私は無意識のうちに感応したと言えるのかもしれない。
同時に、この「精神」は、後のパンクの「精神」と同じベクトルを描く。だから「スプーンフル」はパンクでもあるのだ。ええ?パンク?と人は眉を顰めるかもしれない。いいのだ。私にとってはパンクなのだから。パブリック・イメージ・リミテッド(=PIL)の『メタル・ボックス』を聴いた時、「スプーンフル」と同じ匂いを感じ取ることができたのだ。後にジンジャー・ベイカーがPILのレコーディングに参加したけれど、ちっとも不思議には思わなかった。
・・・・とまあ、勝手なことをほざいたが、今でも「スプーンフル」を聴くと、私は思うのだ。
「やっぱ、すげえ」、と。