999の歌詞への一考察―「ホムサイド」“殺人”の解釈
この1年ばかり、それまでのほぼ30年間ご無沙汰してきたいろいろなバンドのレコードやらCDやらを聴きかえす機会が増えている。あの頃と同様なほど夢中になってというわけではないが、やはり聴いていてゴキゲンである。その中でも999が私の中でちょっとしたブームである。あらためて思うのは、いい曲が多いバンドだなあという事である。いいというのは、曲のメロディーだけではない、バンドの演奏、ヴォーカル、音の案配も含めての事である。そして今、私の中でいい曲の判断材料として比重が増しているのは、その歌詞の内容であり、その言葉の使われ方である。
999が巷で言われているところの、お気楽路線の、馬鹿の一つ覚えに明るいポップス路線に徹するバンドであるという世間の評価に、ずっと疑問を感じてきた。いや世間のというほど、彼等はこの日本では評価も認識もされていないのかもしれない。ただ、ネットでたまに見かける彼等に関する記事からは、お気楽路線の明るいポップスだという文言が今でもくっついて離れていない。80年代、それならば歌の歌詞にもそういう内容が反映されているはずだと聴き始めたばかりの頃の私は思ったが、当時の999のアルバムは―今もだが―輸入盤で手に入るだけであり、輸入盤には国内盤のような歌詞カードが添付されていなかったから、彼等がどんな内容の歌詩を書き、歌っているのか語学力の全くない私にはまるで判らず、よって彼らがお気楽で明るいバンドなのか否か確認できないままであった。日本のメディアでも、私の知る限り彼等の歌詞について云々されることはなかった。
999は、実は案外シリアスなことを歌うバンドであり、決して能天気なバンドではない。そういう思いが沸き上がったのが、94年に唯一の来日を果たした時にリーダーのニック・キャッシュが雑誌『DOLL』のインタビューに答えた記事を読んだ時である。そこに書かれていた彼の文言からは、お気楽路線な、明るいポップスに徹するバンドの人、という姿が見えてこなかった。70年代にパンクが勃興した時代からの、自らの軌跡を語るその内容は、インテリジェンスかつシリアスな姿勢で一貫されていたからである。[1]しかし94年当時の私はロックやパンクをまともに聴かなくなっていた。この時『DOLL』を買ったのも、かつて買っていたからという安っぽい義務感からでしかなかったのであって、中の記事も通り一遍眺めただけで、先の所見もただ漠然とその時胸の奥に浮かんだだけで、その後ほぼ30年間放りっぱなしにしてしまっていた。
時代は変わり、人の心も変わる。昨今のネットの普及は、洋楽の歌詞の味読を大いにたやすくした。999の歌詞も、今やネットを開けば多くの歌詞を簡単に、無料で閲覧することが可能となった。個人的にもここのところ暇(?)になり、彼等の残した音楽をその歌詞も含めて、あらためてじっくり接してみようという気持ちが醸成されてきたのである。ぼろぼろのままであった語学力の鍛錬にもちょうどいい機会、というわけである。よってこの1年あまり、のんびりと999の歌詞を読んできて、私のかつての直感はまちがっていなかったのだなという認識を得るようになってきた。もちろん語学力のぼろぼろな私であるから、歌詞の内容を十全に理解しているなんてとても言えない。誤読・誤解に満ちているに違いない。違いないのだけれど、少なくとも日本で流布されてきた「999はお気楽路線の、馬鹿の一つ覚えの明るいポップスに徹するバンド」ではないことは確かであると言えるようにはなった。
今回、俎上に載せたいのが「ホムサイド」[2]Homicideである。理由は「殺人」という、そのタイトルからしてお気楽路線のイメージを打破することを容易にするのではと思えたこと、999史上最大のヒット・シングルとなり、それゆえか演奏する映像もネットで多く流通していて、本稿をお読みになって興味を持たれた999未聴の方でも容易に楽曲の確認ができると思ったこと、歌詞の内容や、そこに使われている語句に暗喩というか、様々な解釈を可能とする言い回しが散見され、それらから、決して安直な歌詞作りをするバンドではないことを認識させる内容になっていること、歌詞を書いたニック・キャッシュがBBCのテレビに出演してこの曲を歌う際、冒頭の歌詞を本来は「I believe in homicide」なのを「I believe it’s homicide」と歌うようにBBCから指示され、突っぱねたという気骨あるところを見せたエピソード[3]があり、この曲への彼の愛着の深さがうかがい知れるから、ということによる。
では歌詞を見ていくことにするが、あくまでも私の勝手な解釈である。異論も出てくることだろうと思う。さらに、他にどんな解釈ができるのかも含めて、ご教示いただけるとありがたいと思う。
まずは英語の歌詞を載せてみよう。典拠は999 Official Web Siteからのものである。他にも歌詞のサイトはいくつもあるが、999が直接管理しているサイトという事で、これが一番信頼しうると判断した。
Homicide
I believe its Homicide
I rest my case don't cast aside
You better believe it
That's the truth of it
Take it or leave it
Resign to it
Homicide Homicide
Homicide Homicide
No one cared
When someone lied
They'd rather say
That it's irrelevant
You better believe it
That's the truth of it
Take it or leave it
Resign to it
Homicide Homicide
Homicide Homicide
You tried to tell me it's his fault because he's down
And letting loose this Homicide all over the town
I'll take your number I'll write it down
What's your address I'll write it down
I'll be in touch so don't leave town in a big black car
Homicide Homicide
Homicide Homicide
Homicide Homicide
Homicide Homicide[4]
曲の語り手は、おそらくは雑誌記者。それも三面記事的な雑誌記者。殺人事件の取材で訪れている。狙っているのは殺された男の元愛人。語り手は、殺人を犯したのはこの女ではとにらみつつ、彼女から話を聴きだそうとしている。女は、くだんの男にストーカー行為をされていたのだろう。街の人々は殺された男に対して極めて冷淡だ。なにしろ路上に男の死体が転がっていても、嫌だねえなどと言うだけなのだ。だが、それもまた、現実である。そういう態度を彼らがとっても、非難などできない。皆、関わりたくないと思うのも当然だろう。それに、人々は殺された男の素性を判っている。品性下劣な男だと、皆判っているのだ。彼女は、今現在関係を持っている男と2人して街を去って逃げようとしている。こちらの男も当然殺しの内情は知っている。いや、おそらくは女と一緒になってストーカー男を殺したと推測すべきだろう。語り手は、この殺しは起こるべくして起こったのだ、杓子定規に悪事だと片づけられない、かつての男に別れた後も付きまとわれる彼女に同情する余地はあると言うのだ。その一方で街の人々の冷淡な態度も正当だとし、そうしつつも、語り手は己の職業、つまり彼女の仲間number―同じ水商売の仲間だろう―から聴きこみをして記事を書きwrite it down、人々の下衆な好奇心をあおることを優先するのである。最後に、語り手は女に、今つき合っている男も好色なクズbig black carだからつき合うのはよせ、奴と一緒にこの街を去るなと、忠告をする。
少なくともここにあるのは能天気なラヴ・アフェアなどではない。深刻な、苛烈な人間の日常である。きれいごとでは済まない、人と人とのかかわりが冷徹に描かれる。どうみても日本で流布されている999のイメージからはかけ離れている。しかも歌詞に使われている言葉の数々が、決して単純な使われ方をしていないし重層的な解釈が可能なように―あるいはそうさせるように―作られてもいる。一筋縄ではいかない歌詞なのである。
まずはBBCが問題にした“I believe its Homicide”―ニック・キャッシュは“in”と歌っていると語っているが―である。単純に訳すと「私はその殺人を信じる」となる。ここでitsを、ニック・キャッシュの先の発言通りにinに直してみると判りやすくなる。believe inは対象に信義を置く、平たく言うと、それを正当であるとみなすという意味になる。つまり、「私は、殺人を正当な行為とみなします」と言っているのである。BBCはこの文言だけを注目し、999は全ての殺人を正当化していると短絡的に判断して曲を放送禁止にし、バンドを出演禁止にした。しかし歌詞全体を読んでみると、あくまでも「この街でこの時に起こった殺人を」という限定的な意味であり、普遍的な、一般的な意味での殺人を正当化しているのではないことはすぐに判る。それだけではない。ニック・キャッシュは言外に、この時の周囲の人々の冷淡、そして嫌悪に満ちた感情を、それが普通の人間の感情のありようだと認めつつも、殺人を犯した人間を理由の如何によらず一方的に非難する世間一般の見方に異議を申し立てているのである。時として殺される人間にも咎がある。殺した人間の感情にも寄り添わなければならない。もちろん、裁判が開かれるなどしてそうした一方的な断罪がなされることのないよう配慮されることは近代市民社会では必須とは、公的には認知されているけれども、世間一般の人々は、殺人を犯した人間ばかりを否定的に見ようとするものだ。そんな人間の心のありようはどうなんだいというわけである。次の“You better believe it”と“That's the truth of it”で、語り手=ニック・キャッシュは聴き手に訴えるのだ。「拒絶せず、そこにも信を置くべきだ。真理はそれぞれ事情によって、人それぞれの心のありようによって異なるんだ」と。だが、殺人を犯した人間が罪を、重荷を背負うことは、避けようがない。女に対しては“Resign to it”仕方がない、観念して受け入れろ、と語るのである。
歌詞の終盤に出てくる“I'll be in touch so don't leave town in a big black car”が、またくせものである。直訳すると「私は関わるであろう。だから黒いデカい車に入り込んで、街を去るな」となる。これだとチンプンカンプンであるから、イマジネーションを発揮しないといけない。まずは“in touch”、この語句はラグビーなどの試合で「一時中断」すると言う意味に使われる。語り手は女が話をするのが辛くてたまらなくなっているのを慮って、今日の聴取はお開きにしようと、女を解放してあげるのである。だが、このままでは彼女は男とトンズラかましてしまう、せっかくの獲物を捕り逃してしまうし、いったん逃亡者になった女は生涯逃げまどっていかねばならない。女の傍にはbig black car、デカいナニを持った野郎、つまり好色なろくでもない男がいる。この男と一緒にいたら、それこそろくなことにはならない。だからその男とくっついたままinで,街を去ってはいけないぞdon’t leave townというわけだ。big black carは高級車とか、マフィアのボスが乗る車という意味もあるから、相手の男は大金持ちのマフィアで女は今、結構いいご身分になっている解釈もできる。そしてin touchに含まれるもう1つの意味「関わる」が効いてくる。俺はまだ、あんたへの取材を終えたわけではない。まだ関わっているからな、だから逃げるなよ、という含みも持たせているのである。さらに言えばleave town、townの前にyourとかtheを入れないのは、この街は女の故郷、あるいは安らぎの場ではなく、所詮彼女は余所者で、語り手の忠言も聞き入れずに去るのではないかと聴き手に予覚させる効果もある。ついでに、big black carの直前のinは、性行為の意味も含まれている。女とbig black carは、ということである。
さて、さんざんしたり顔してこじつけたが、本稿で私が一番述べたいのは、こういう曲を書く999というバンドが、決して「お気楽な路線の、馬鹿の一つ覚えの明るいポップスに徹するバンド」ではなく、「重層的な魅力を持った、シリアスな面もあるバンド」である、ということなのである。それは、こうした歌詞を読んでみれば、よく判ってくるはずである。
それにしても、ニック・キャッシュは「ホムサイド」の歌詞のアイデアを、どこで得たのだろうか。999 Official Web SiteやFeelin’ Alright The Crew:Unofficial Fan Siteを見ても、それを知ることの出来る情報は載っていない。是非とも聞いてみたいところである。〔5〕
最後にもう一言。999にはこういったシリアスでもなければ複雑でもない、文字通り情けなく、おまぬけなーいや、しみじみとする、というべきか―歌詞もある。「ハリウッド」(アルバム『ザ・ビガスト・プライズ・イン・スポート』収録)は読んでみると苦笑してしまう。くだくだしくなるからこれ以上は触れないが、バズコックスの「シッティン・ラウンド・アット・ホーム」に通じる味である。999はやはり一筋縄ではいかない重層的な魅力ある歌詞を創る、豊かな世界を見せてくれるバンドなのである。
[1] 森脇美貴夫編『DOLL』№85、1994年、27-29ページ、参照。
[2] 日本語で今まで書かれた曲名表記には、「ホミサイド」としている文献もあるが、本稿では「ホムサイド」とした。
[3] Feelin’ Alright The Crew:Unofficial Fan Site掲載の“Full Story by Nick Cash”、参照。
[4] 掲載の歌詞は、問題の文言がitsとなっており、ニック・キャッシュの発言にあるinとは異なる。しかし、意味合いは両者とも同じとみなせるので、そのままとした。
[5]2024年に発売されたライヴDVD『RIP IT UP』に付されたライナーノートにあるニック・キャッシュの発言によると、当時アメリカに行った折、酒屋の前にいた一人の男が銃撃されたのを目撃したのが作曲のきっかけであったという。行ったのはいつであるのかは明らかにしていない。「驚いたのは、アメリカじゃ殺人をネタにした歌には無頓着なんだよ。向こうじゃ殺しは日常茶飯事だからなんだね。BBCは放送禁止にしたのに」とも。いまだにBBCに対しては遺恨を残している発言である。