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『東京組曲2020』深堀り企画 vol.5

【松本晃実さんインタビュー】
=沈んでいた気持ちの日々から、一歩前に進むきっかけになった撮影だった=


三島有紀子監督の企画に賛同し、一緒に本作をつくった出演者の皆様たちのインタビューによる『東京組曲2020』深掘り企画。第5回目は松本晃実さんです。

―― 初めての緊急事態宣言後、コロナについて何もわからない、外出もままならなかった当時を振り返り、今、どのように思われますか?

当時は、「たとえこの緊急事態が緩和されたとしても忘れることはないし、完全に世界が変わっちゃったんだ」と思っていたんですけど、たった三年ぐらいでこんなふうに戻るんだなぁ・・・と感じています。望んでいたことなのでとても嬉しいことではあるんですが、人間って逞しいなと思う反面、世界中、あんなに悲観しなくてもよかったんじゃないか、と。もちろん、コロナで亡くなられた方たちもたくさんいらっしゃいましたし、簡単には言えないことですけれど、みんな怖がって、周りの人たちに対する疑心暗鬼で人を傷つけたり、私たちのように舞台をやっているといろんな人に会うためコロナ対策について厳しく言われたり・・・。
落ち着いてくると心に留めておきたい気持ちを忘れがちになるので、あの時に映像を撮っておいて良かったなと改めて思いました。

―― 本作の企画へ参加したきっかけについて教えてください。

三島監督よりご連絡をいただいたのは、ちょうどコロナ禍で演劇が延期になってしまった時でした。それは、頑張ろうとしていたことを外の力で強制的に取り上げられたような感覚でしたし、さらに追い討ちをかけるような出来事が個人的にもあって、「これだ!」と企画に飛びつきました。

―― 三島監督とはどのような対話をし、撮影に臨まれたのでしょうか?

最初にプロットやシナリオなど、どんなことを撮影するのかを書いて送ってくださいとの指示でした。私は、詩や歌の歌詞のようなものを送ったんです。それは、一日の流れのなかで自分がやっていたり感じていた事柄で、その中に母から手作りのマスクの束が届いたことや自転車で疾走したことも書きました。

―― あのマスク、お母様の手作りだったんですね。

母からマスクが届いたのは、ちょうど緊急事態宣言があってから1ヶ月経つか経たないかの頃でした。マスクが手に入らなかったので、市販のマスクを捨てずに使いまわしていて、そんな様子を話したら、送ってくれたんです。

松本さんのお母様の手作りマスク

―― 確かにあの頃、マスクが足りない、という不穏なニュースも流れて、混乱する世の中でしたから、とても心配されていらしたんでしょうね。お母様の愛情を感じます。

母は手芸をする印象がなかったので、本当に驚きました。マスク中面の布地には、なんだか見覚えのあるタオルとかが使われていました(笑)。

―― お洒落なマスクばかりでしたよ。Instagramにアップするためにマスクを並べて撮っているんだろうと思ってました。

私、写真を撮るのが好きなんです。SNS用だけではなく、実家から届いたものをただ個人的に記録するために撮ったりもしていたのですが、監督から「マスクを写真に撮っているところを映像に残してみたらどう?」と提案いただきました。
この企画に参加すること自体がそれを意味しているのですが、正直、映像を自撮りしてプライベートを表に出すことについては迷いがありました。元々人にプライベート空間を公開することに強い抵抗感を抱えている人間だったので。
ただ、この映画では自宅の中も隠さずに映さなければならないんだと覚悟しました。例えば、私の家は引っ越し後の段ボールも片付いていないような状態でした。コロナ禍が始まって、その段ボールや散らかった物を片付けなきゃいけないけど片付ける気がおきない・・・ということも映すことにしました。

劇中、マスクの写真を撮っているシーンより

―― 冒頭のぼんやりとスマートフォンのパーティ映像を眺めているシーンは、暗闇のなかで鬱々した様子が感じられました。でも、自転車のシーンは爽快感がありましたよ。

監督からのシークエンスの泣き声の撮影について、私は外で聞こうと思ったんです。マスクや映像を眺めているシーンを含め、朝から夜、そしてまた朝を迎えるという一日の流れを想定して撮っていたのですが、自転車のシーンは「家で泣き疲れて夜じゅう走る」みたいなシーンだったんです。この企画に参加する前の話しなんですが、本当にワーッと泣きながら自転車に乗ってたことがあったんですよ。それを日常の一遍として最初のプロットに書いていて「その時のことをもとに撮ってみようか」となりました。
ですが、自分一人で撮っていたので、撮るのは本当に大変でした。スマホで撮影していたんですが自転車に固定できなくて、また撮る角度がなかなか定まらず、カバンを土台に置いてみたり、自転車のチェーンを駆使してカゴにつけて固定してみたりなど、スマホがガタガタ揺れるのをなんとか防ごうとしてました。

―― そんなに苦労して撮影していたんですね。その流れで撮影された「明け方(朝4時)に女の泣き声がどこからか聞こえてくる」というシーン。その泣き声を聞いた時、どのように感じたんでしょうか?

最初に音声データに記してあった時間数を見て「え?そんなに長い間泣くの?」と思ったんです。でも実際に聞いてみて「こんなに激しく泣くんだ!!」と思いましたし、後から地球の泣き声を想定して収録されたんだと聞き、「ああ、なるほど」と思い返しました。
今も、あの泣き声は耳の奥に残っているんです。いろんな泣き方だったんですよ。ひとつの感情で泣いているわけではなく、波があり、いろんなものが集約されているような泣き声でした。
ずっと部屋に閉じこもって無感情になっていく日々、辛いという痛覚も鈍っていくような時期でしたが、あの泣き声を明け方に聞いて、自分にもこんなに激しい感情があったんじゃないか、と呼び覚まされたように自分自身も泣いてしまいました。

―― 日常を取り戻しつつある今、コロナ期間を経て、自分自身で「変わったな」と思うことはありますか?

私、2020年は個人的にも変化のある年だったらしいんです。なのに、コロナ禍で動けずに何も出来ないことが辛くてしかたがありませんでした。ですが、この作品の撮影をし、自分を振り返ることで気持ちが前向きになり、ずっとやりたかった殺陣をやってみようと「東京剣舞会エッジ-志伝流-」へ入ったんです。その頃から、芸能活動も本格的に始動しました。たまたま一致したタイミングだったのかもしれませんが、コロナ禍で変化が加速したように思います。
元来、時代劇に興味がありました。祖母と一緒に「水戸黄門」なども観てましたし、両親も時代劇が好きだったので、子どもの頃から自分の身近に時代劇がありました。なので、殺陣のかっこ良さに惹かれ、自然とやってみたいという気持ちになったんだろうと思います。
以前、稽古会みたいな体験の場に参加したことがあり、その時、今の師匠と知り合いました。師匠からコロナ禍に志伝流の知らせを貰ったんです。ちょうど体を動かしたいと思っていたので行ってみたのですが、殺陣だけではなく剣術も教えてくれる場で通い始めました。ただ、かっこ良くみせるのは、まだまだ難しいですね。

―― 海外の方に向けての公演も参加されていますよね。皆さんの反応はいかがでしたか?

とてもあったかい反応でした。親子連れで観にいらしてくださった方も多く、パフォーマンスが終わった後にステージのほうに駆け寄ってきた子どもたちが必死に想いを伝えようと熱弁してくれるのが、もう可愛いくて可愛くて。私、嬉しくて泣いちゃったんです。そしたら今度は「泣かないで」と慰めてくれるんですよ。それがまた嬉しくて泣いちゃって(笑)。

―― それは嬉しいですね。子どもたちの笑顔に元気を貰えたように思います。逆に、コロナとか関係なく、「これはずっと変わらずにいたい」と思うことはありますか?

今、忘れそうになっているその時に感じた痛みは忘れたくないです。忘れずにいながらも前を向いて進みたい、そう思っています。

―― 映画をこれから観てくださる方々に向けて、メッセージをお願いします。

「コロナ禍ってこうだったよね」とか、「本当はこう生きていくべきだよ」という定義や押し付けはなく、ただただ「そういう人もいたんだな」とか「そういう感情もあったね」「あの時、自分はこうだったな」など、“記憶を辿る旅”の時間になっているといいなと思います。
また、東京界隈に住む“役者図鑑”のようでもあり、面白いです。ぜひスクリーンでご覧ください。

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