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『東京組曲2020』深堀り企画 vol.6

【畠山智行さんインタビュー】
= コロナ禍で起こったこと、体験したこと、感じたこと、そのすべての経験を忘れずにいてほしい =

三島有紀子監督の企画に賛同し、一緒に本作をつくった出演者の皆様たちのインタビューによる『東京組曲2020』深掘り企画。第6回目は、畠山智行さんです。

―― 三年前、コロナについて何もわからなかったあの当時、どのように過ごされていましたか?

2020年の2月頃からコロナについて世の中が騒ぎ始めたじゃないですか。僕は今、ツアーミュージシャンをしているのですが、同年2月から3月頃の一ヶ月間、西日本をツアーで回っていました。九州ではまだコロナの「コ」の字もない時期で、「大変ですね」と言われてたんです。「いやいや、そうじゃないよ。大変だけど、貴方たちも一週間も経たないうちにこの状況がやってくるから準備した方がいいよ」と話してました。僕は千葉に住んでるんですけど、最初の感染者が出たクルーズ船の乗船者が千葉の方だったようで、ツアーで行くところ行くところ「Mr.コロナ」って言われてました(苦笑)。西日本をずっと車で自走して回り、その時に行った先から、「もう1回来てよ」とか「新規でお店を紹介するからまたおいでよ」という話しを頂いていて、ツアーからちょうど帰ってくる4月、5月頃、またすぐ西日本に向けて出発しなくてはいけないようなスケジュールでした。そんな矢先に、あの緊急事態宣言で全部キャンセルとなりました。
僕は「歌でやっていこう」と決めて、仕事も全部バイトも辞めていたもんですから、またゼロからやり直さなきゃいけない、と思いました。知人の仕事の手伝いなどをして、とりあえず何とか生きることを考えながら、次のツアーに向けて状態を維持するという日々のなかで、三島監督からこの映画のお話しをいただきました。

▼畠山さんのYouTubeより▼

―― 本作の企画へ参加したきっかけについて教えてください。

三島監督は僕の大好きな監督のお一人で、ワークショップにも以前からずっと参加していたし、いつか映画に出演出来たら嬉しいなと思ってたんです。三島監督の映画のなかで、一番いいなと思った作品は『繕い裁つ人』。作った表情ではなくリアルな表情をすごく撮るのが上手い人だなと思ったんです。だから、今回の作品の企画に関しても、役者の上手い下手じゃなくて、その人たちの気持ちなどリアリティある姿を撮られたものをうまく構成し、素敵な作品を作ってくれるんじゃないかという期待を込めて、参加したいと思いました。
と同時に、今、起こっていることを忘れて欲しくないという考えもありました。僕は、東日本大震災の3.11のあの日、映画の撮影中に地震が起きて、一日避難民となり家に帰れなかったんです。でも、喉元過ぎれば熱さ忘れるじゃないけど、もう10何年も経つとみんな忘れてきちゃうじゃないですか。実際に今、ウクライナで戦争が起きていることを情報で知っていたとしても、リアルに感じられているだろうか、と。リアリティを補うのは想像力だと思うんですね。だから想像力を豊かにする作品、映画や音楽などの文化があり、培われた想像力により様々なことへ発展して考えてもらいたい。それを提供するのが僕らの仕事なんだと考えています。

―― 三島監督とはどのような対話を重ねて撮影に臨まれたのでしょうか

こういうのを撮れたらいいんじゃないかという対話は、確か無かったように記憶しています。今の自分の現状をすべてお伝えし、撮影し始めたという感じでした。僕には家族があり、リアリティのあるシチュエーションも出来たかもしれないのですが、ただ三島監督がいい作品を作ってくれたら、という気持ちだけでした。

―― 冒頭でギターを手にしているシチュエーションがインサートで使われていました。あのシーンはどのように撮影されたのでしょうか?

自分の想いを込めつつギターを弾きながら、僕のリアルな表情のどこかを三島監督に切り取って貰えたらいいな、と思って一人で長回しの撮影をしていました。
歌を聞いてもらいたくて全国を回っていたのに突然、駄目になったじゃないですか。全く動けない、収入源もない状態のなかで、しかも引っ越しを予定していたんですよ。住んでいた県営住宅が「老築化していて、いつ潰れてもおかしくないから建て替えます」となって新しく建てられたんですが、コロナになっちゃって、新居への引っ越しが出来なかったんです。
ちょうど撮影の頃に「6月から引っ越しても大丈夫」と言われて鍵を渡されていて、夜中に誰もまだ住んでいない新築の家にこっそり行って、一人で歌の練習が出来たんです。その流れで女性の泣き声を聞くという設定にしました。

―― 三島監督からのシークエンス「明け方(朝4時)に女の泣き声がどこからか聞こえてくる」ですね。その泣き声を聞いた時、どのように感じましたか?

基本泣くという行為が余り好きではないんです。苦手なのかもしれません。泣けるということは、もう悩んでいたり苦しんでいる先へ行っちゃってるんだと思うんです。まだ悩んでいる途中とか、苦しんでいる最中って、泣けないんですよね。心の中にゆとりが無いから、泣くという落としどころまでいかない。だけど、例えば誰かが「よく頑張ったね」と緊張している自分の体に緩みを与えてくれたら、きっと泣けると思うんですよ。だから、最初に泣き声を聞いた時には、「泣けるだけいいよね」と感じました。僕なんて、突然、ホワイトアウトのように全部キャンセルになっちゃって、生活を立て直さなきゃいけないのに収入減がなく、引っ越しもあるし、どうしようどうしよう・・・と、とにかく路頭に迷っている頃だったから、あの泣き声を聞いて真っ先に「羨ましいな」って思っちゃったんですね。でも、途中から何だか自分の膝をカックンされたように、もらい泣きというか、飲んで吐いた人の背中をさすっているうちに吐いちゃうような妙な感じで、ちょっと自分が吐露したくなるような気持ちも出てきたんです。そんな時、「やっぱり歌いたいなぁ」って思ったんですよ。実は、映像には残ってないですが、「歌いたいな」って一言、呟いてるんです。それってまさしく本音でした。そう言った後、「お前の気持ちもわかるよ」と共感する気持ちになっていきました。

―― 辛い思いをした日々下でも、やはり「歌いたい」というお気持ちが根底にあったんですね。世の中的にも映画や音楽を楽しみたいと思う人もいたはずなのに、映画も音楽も不要不急の対象となり、様々なイベントが中止・延期となりました。それに風評被害も多く聞こえてきました・・・。

東日本大震災の時、福島へいきなり行って、俺の歌を聞け、未来はあるよ、幸せになろう、といったライブをやることは「人様に対して本当の優しさじゃない」と思っていたので、あの当時、すぐに現地へ行くことが出来なかったんです。震災から三、四年後、もうそろそろいいんじゃないかと思ったタイミングで、たまたま福島に行く話しをいただいたこともあり行ったんですけど、人はまだ癒されていないかったんです。そこに必要なのはお金じゃなくて、音楽だったり芝居だったり、見えない手で心をケアしてくれるものが必要なんだと感じたんです。
ここ二、三年、コロナ禍のなか、西日本と東日本を一ヶ月ずつツアーで回ってきました。僕の歌を生で聞いてくれた方が、歌い終わった瞬間、号泣するんですよ。僕、津軽弁で歌ってるので、何と歌っているかが分からない様子でしたが、「あなたの歌は、言葉じゃなくて、私の心の奥底に手を差し入れてスーっと引き出してくれたような、心が洗われて温かくなって、今、涙が止まりません」と仰って下さったんです。そんな人が、年々増えてきました。
でも逆に、いろんな風評被害も浴びてきました。無症状だったんですけど去年コロナになって、「コロナなのに、お前はなんで来たんだ?」とか「ワクチン打たない人間が全国回るんじゃない!」など、ブログに酷評書かれたり、直接言われたりしました。こういう商売をしている僕らにとっては仕方がないことなんですけども、日頃、優しくしてくれた人たちが手のひら返したようにそうなる。本当に辛いときにこそ優しくなれる人たちがたくさんいたら、もっと幸せな国になるのにな・・・と思いますよね。

―― コロナが5類に移行されて緩和されるなかで、今、改めて思うことはどのようなことでしょう?

東日本大震災にしても、今回のコロナにしても、やっぱり忘れて欲しくないですね。戦争は今はないかもしれない。たとえ僕らは戦争をしたくなくても、戦争したい人たちが攻めてくることがあるかもしれない。そんな危機管理能力というのは大事だと思っています。
それにウイルスが無くなることはなく様々な形に進化するので、共存共栄していくなかで、生きるって何なのか、みんなと楽しく生活できることの喜びのためには何をすべきかなのか、もっと根本的な部分をみんなで真剣に考えてほしいと思います。
また、幸せや楽しみについて自分はどう感じているのかを直視し、周囲の人と互いに議論して、より良いライフスタイルにしていかなくてはならないのに、心をさらけ出さないのが美学という社会になっているのが今の日本ではないかと感じます。

―― ツアーミュージシャンをされる一方、今後、どのような作品に参加してみたいですか?

今回の三島監督の作品の前に、大林宣彦監督の遺作となった『海辺の映画館 キネマの玉手箱』に出演させて頂きました。あるワークショップに参加し、歌う役の台本を頂いたので、日本に一本しかない楽器「花三琵琶」を持って参加しました。帰ろうとした時、背中越しに大林さんが誰かに「いいね」って言っている声がして、誰だろうと振り返ったら「君だよ。君がいいねと言ってんだよ」と。そして「この役柄は、こういうシチュエーションなんだけど、君ならばどういう気持ちで演じられるかい?」と聞かれ、もう一度表現したら、選ばれたんです。
大林さんは本当のリアリティを追求したい方でした。僕はヤクザの役でしたが、「本物になれ」と仰るんです。なので、その撮影が終わるまでずっと神経を研ぎ澄ましていたので荒々しかったらしく、家を出入り禁止になるくらいでした(笑)。でも、それをしないと呼んでくださった大林さんに申し訳ないと思い、やり遂げました。結果、良かったですし、大林さんは、僕らの見えない世界をちゃんと上から俯瞰でみている人でしたので、僕ら役者は1枚のピースとしてあの人の言う通りに生きるだけでいいと思ってました。ビジネスライク的なことばかりではなく、大林監督のようなお考えの監督たちと作品を一つ一つ作っていくことが、これからの未来の日本映画にとって大事なんじゃないかと思っています。そして三島監督は、ビジネス的なものを超越した何かを伝えられる力を持ってると信じています。

▼畠山さんのYouTubeより▼

―― 映画を観てくださる方々に向けて、メッセージをお願いします。

映画をご覧になった後、きっと当時を振り返ってみたりされると思うのですが、ご自身があの頃に何を考え、どう動いて、結果、どう乗り越えていったかについて、ちゃんと覚えておいて欲しいですね。どのようにクリアして“考える力”を持てたのかのプロセスが大事で、それをぜひ忘れないで欲しいんです。
それに、テレビで言ってるからとか、新聞で言っていたからと、自分の考えじゃない意見で人を責めるのをやめませんか。生き延びた人間として何をすべきかということにスイッチングした時、どうすれば良いかの方程式があり、その根本的な方程式についてを経験値の中でより良いものへと作り上げていくのが、人間のすべきことだと思うんです。
そのレベルが上がっていけば、きっと豊かな人になれると思います。


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