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『東京組曲2020』深堀り企画 vol.3

【佐々木史帆さんインタビュー】
= 批判されることよりも、誰かの気持ちを救えているならそれでいい =

三島有紀子監督の企画に賛同し、一緒に本作をつくった出演者の皆様たちのインタビューによる『東京組曲2020』深掘り企画。第3回目は、佐々木史帆さんです。

―― 初めての緊急事態宣言後、コロナについて何もわからない、外出もままならなかった当時を振り返ってみて、どういう時期だったと思われますか?

決まっていた仕事は止まってしまい、いつ再開するのか分からない状態になったなかで家に居てと言われて・・・。一人暮らしだったこともあり、先のみえない不安でいっぱいでした。
実家には、コロナ以前からずっと、毎月のように帰っていたんです。青森へ帰って家族の顔を見て、また頑張るぞと戻ってくる。それが私のルーティンでした。そのおかげで芝居を続けられていたので、あの時はひたすら実家に帰りたいという気持ちが強くありました。
全部止まってやることもなかったので、母も「帰っておいで」と言ってくれたんです。それならばもう帰っちゃおうと思って、すぐに飼い猫のカルダモンと一緒に実家に向かいました。

佐々木さんの飼い猫、カルダモン。

―― 佐々木さんのエピソードは、自分を責めちゃってるようなところもあったりして、なんだか、見ているこちらが辛いなっていう気持ちになりました。

両親の年齢を考えると「コロナになったら死んじゃう」と思っていたので、私が帰ったことで、もしもコロナに感染させてしまい両親がいなくなっちゃったら・・・ということで頭の中がいっぱいでした。特に母には、実家に帰った時にいつもぎゅっとハグしてもらっていたんですがそれが出来ないし、直接触れられないし、直接顔を見て話しも出来ない。そんな状態は辛いけれど、やっぱり母に生きててほしいという思いのほうが強くて、帰ってきたからには、出来得る限りのコロナ感染対策はしなくてはと思ってました。もちろん、自分の体調と向き合って過ごさねばならないなということも考えていましたが、自粛期間に帰っておいて自分を肯定することは出来ない・・・と結果、自分自身を責めてましたね。

―― 時系列からすると実際には、実家に帰られてから本作の企画について知ったのだと思うのですが、この企画に参加したいきさつを教えてください。

元々、役者を始めたきっかけが、自分自身の今までの人生や自分の全身を使って、身を削ってでも表現していきたいという思いからでした。そんな生き方をしてきたので、三島監督からの企画はぜひ参加したいと思いました。それに、私は恵まれていたので、実家に帰ったときに近所の方には何も言われなかったんですけど、もしかしたら同じように田舎に帰った人がいるかもしれない、田舎に帰って周囲から批判されたり、何か言われたりしている人もいるかもしれない。そう思った時に、この企画を通じて何かを伝えることが出来たらいいなと思ったんです。
三島監督も気にしてくださって、実家の地域を特定出来ないように配慮下さいました。また、事務所が変わり、今のマネージャーに「もしかしたら批判されることもあるかもしれないけど、私はその覚悟を持って挑んだ」と伝えたところ、マネージャーは「もちろん大丈夫ですよ」と言ってくれました。なので、もしも何か言われたとしても、違う誰かを救えているならばそれで良い、批判されて萎縮してしまうよりも、誰かに共感してもらえるほうを優先したいと思いました。

―― 三島監督とはどのような対話を重ねて撮影に臨まれたのでしょうか?

まずは、思ったように撮影してください、と指示がありました。いろいろと構成を練りながら、今までのことを振り返り、どういう要素を入れたら伝えられるんだろうと考えて撮影に臨んだんですけれど、それを提出した後に監督から「お母さんとは話さないの?ドア越しに会話出来ないかな?」と提案してもらいました。さらに、「お母さんにも撮影の了承を貰ってくださいね。それにお母さんと会話することで、実家で撮影しているんだということが分かるから、無理せずにね」と仰っていただきました。母にはこの映画の企画について事前に話していたので、「お母さんでよければ参加するよ」と言ってくれ、三島監督のご提案がきっかけとなり、母とドア越しに話すシーンを撮影することが出来ました。

―― お母様は、撮影時、どのようなご様子でしたか?

母はどこかしら緊張していた様子でしたので、「いつものお母さんでね。何もないと思って、ただ、私と会話してくれればいいからね」と伝えました。母の優しさが出たシーンになったなと感じましたし、改めて三島監督ってすごいな!と思いました。

―― あのお母様のお言葉は、娘のことだけを思い、また人が生きていくために必要な言葉だったという気がします。お母様のお言葉を3年経って改めて聞いてみた今、どう感じましたか?

あの時は、ただただ「もうそんなこと言わないでよ。お母さんが死んじゃったらどうするの」って思っていたんですけど、今、改めて会えるようになって考えると、いつも側にいてくれた母の愛が映し出されていて、その愛情を強く実感しました。周りなんてどうでもいいし、自分だってどうでもいい。私の気持ちのことだけを考え、まっすぐ向き合ってくれていたなぁと。そんな母のもとに生まれて良かったと感じました。

―― 三島監督からのシークエンス「明け方(朝4時)に女の泣き声がどこからか聞こえてくる」というシーンの女の泣き声を聞いた時、どのように感じましたか?

最初、泣き声として聞こえなくて、地鳴りとか地響きのような、理解するのに時間がかかったんです。泣き声というよりは心の叫びのようだったので、何だか「地球が壊れてしまう!?」という音にも聞こえ、言葉にならない思いが音になって出てきているという感じがしたんですね。ずっと聞いていると「ああ、泣いてるんだ」と理解したのですが、どこかでこれだけ苦しんでる誰かがいるのに、私は自分のことだけを考えて青森に帰ってきてしまった・・・と責められている気持ちにもなりました。何だか地球に怒られてるような、世界に殴られているようなそんな気持ちでしたね。自分自身を責めているから、拒絶しちゃったんですよ。「もうやめて!!」と。息が出来なくなるような、本当に苦しい時間でした。

撮影風景

―― なるほど。10分くらいある泣き声ですし、それは辛かったですね・・・。
本作はちょうど5類に移行されたタイミングでの公開となりました。コロナ期間を経て、自分自身で「変わったな」と思うことはありますか?

コロナ禍を過ごした上で、会いたいときに会わなきゃ会えなくなる、という思いがさらに強くなりました。コロナがあってもなくてもいつ何があるかわからないし、あの頃のような閉ざされた空間がこの世の中に生まれて「会っちゃ駄目だ」となった時に「会いたい」と思った人こそ、自分にとって必要な人だと思うんです。なので今、会いたいと思ったらすぐに会いにいこうと思うようになりました。
家族とは会いたいけど物理的に遠いし、弾丸で会いに行きたくはないから機会は減っちゃったんですけどね。でも少し前に、仕事で忙しくて帰れない私のために、母が東京のほうへ来てくれたんです。久しぶりに会えてとても嬉しかったです。仕事があったので、私自身は一緒に過ごす時間が少なかったんですけど、母はカルダモンと一緒に過ごしてくれました。

―― 逆に、コロナとか関係なく、「これはずっと変わらずにいたい」と思うことはありますか?

私は「もっと頑張らなきゃ・・・」とよくぼやいてしまうんですけど、母は「史帆は頑張ってるよ。信じてるし、いろいろあっても強い気持ちで頑張ってるんだなって思うから、応援してるよ」と常に言ってくれるので、その頑張りをしっかり形にしていきたいなと思っています。それは、例えばテレビドラマや映画を見てもらうことかもしれませんし、元気でいる姿を見てくれたらすごく嬉しい。その姿を家族に見てもらうために頑張るという気持ちは、以前とまったく変わらないことかもしれないですね。

―― 今後、チャレンジしてみたいことについて、お伺いできますか?

「青森出身の役者」ということが、いつでも私の根本にあります。2021年に公開された『いとみち』(横浜聡子監督)では、出演だけではなく津軽弁の方言指導もさせて頂いたんです。そのような形で作品に関われたことを青森の方々にも喜んで頂きました。青森との懸け橋の役者であることを大切に、これからも仕事を続けていきたいと思っています。

―― 映画を観てくださる方々に向けて、メッセージをお願いします。

もしかすると、苦しい時間になるのかもしれない。でも、あの頃があったからこそ今があるということをとても実感できると思います。もしかすると、“誰か”の過去を救ってくれる瞬間が、この映画のどこかにあるかもしれない。観る人によってどう感じて下さるかは分からないですが、その“誰か”一人でも救える作品になっているのではないかと思うんです。
コロナ禍で感じたいろんな気持ちを一瞬でもいいからまた手に取って、何かが琴線に触れていただけたらいいなと思います。
過去を変えることは出来ないし、過去と向き合ってちょっと辛くなるかもしれないけれど、映画館に足を運んで、一緒の空間で観ていただけたら嬉しいです。


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