情報学と心理学

思考力と情報学と心理学の関係

平凡を求める態度の他人への有害性について警告すると同時に、心理学と情報学を結ぶ考えを発信します。

記事を書いた経緯

 本当はテクノロジーの本質を伝えるページに乗せようかどうかを迷っていて、Noteに乗せることを検討していなかった内容ですが、今日法政大学のニュースとその反応を見て、人を(人受けの良い)外見で判断する考えの有害性を軽く見る態度が、人々の間だけでなく、家族の中でさえもみられることが判明したため、私は有害性を軽く見る風潮に非常に危機感を感じます。

 私自身、人を(人受けの良い)外見で判断すること含め、人受けや平凡や評判や立場や流行や常識を基準に判断するなら、思考力が疎かになって、他の人に耳を傾けない自己中心的な態度になる危険性について、NOTEの記事の中でも、Twitterでも、家族に対しても、そして家族からたとえ嫌がられようとも、くどいほど繰り返し言及しました。

 最も、人受けや平凡や立場や評判や流行や常識を基準に判断することに凝り固まった人は、他人の考えに耳を傾けようとしない(反省しようとしない)ので、改善は期待できません。そのような相手とは共存できないことは目に見えてわかっています。

 それで、まだ凝り固まっていない人々に、平凡を求める有害性と、平凡を避ける有益性を伝えるべく、テクノロジーの本質を伝えるページに限定せず、Noteでも、Twitterでも言及した方が良いと判断し、テクノロジーの本質を伝えるページを作る時間を割いて、今回それをメインにした記事を載せることと致しました。

 テクノロジーの本質を伝えるページに乗せるかどうかも迷っていますが、載せる場合は、もう少し表形式で情報整理してから載せることも検討しています。

法政大学のニュース:https://www.j-cast.com/2019/12/02374111.html

前書き

 理系技術の習得には、事実を構成する情報を追い求めることを決意する態度、つまり真実に対する探求心が必要となります。では探求心が阻害されると単に技術の習得が難しくなるだけでしょうか?いえ、それだけでなく、耳を傾けない態度が自己中心的な態度に発展し、良心を衰えさせ、他の人に有害な影響を与える危険が生じます。

 その技術に対する探求心を阻害する要因となる要因が、人受けの良い内容を求める態度(事実を追求する態度と正反対の態度)であり、その中の一つが、今日の法政大学のニュースで言及された、人を(人受けの良い)外見で判断する考えなり、人からの評価や平凡や立場や評判や流行や常識を求めようとする態度です。

 つまり、心理学(人格を情報として尊重する論理的思考)と頭の良さ(情報に対する論理的思考力)は密接に関係しています。

 そこで今回はその危険に警告すべく、ミルグラム実験(アイヒマン実験)と、フランスで行われた追加実験について紹介いたします。そして、心理学と情報学を結びつけるため、頭の良さとの関連に言及します。

ミルグラム実験

 詳細は以下の参考資料を確認するか、ネットで「ミルグラム実験」というワードで検索をかけて頂ければと思います。

Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/ミルグラム実験

 イスラエルにおけるアイヒマン裁判の過程で、ユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者(ホロコーストの責任者)であった、アドルフ・アイヒマンが平凡で小心な、一般の人と変わらない人物であったことが判明したのをきっかけに、平凡な人間も一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか、という疑問に答えるために行われた実験です。

 実験の結果、Noを突きつける能力のない(イエスマン的な)市民が、一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことが証明された。では、非人道的な行いをしないようにする方法は存在するのでしょうか?

ミルグラムの追加実験

参考資料は以下の通り、

日本語解説記事(翻訳ではないと思われる。):http://karapaia.com/archives/52167792.html

英語本文:https://www.psychologytoday.com/intl/blog/the-green-mind/201406/are-polite-people-more-violent-and-destructive

 礼儀正しく、社会的に正しいとされる意見を持ち、一般的に好感をもたれるタイプの人たちのグループと、反体制運動家気質の意見を持ち、一般的に敬遠されやすいタイプの人たちのグループの2つのグループを被験者として、ミルグラムの服従実験を改良した実験を、フランスのグルノーブル大学が行った。

 その結果、礼儀正しく、社会的に正しい意見を持つとされていたグループの方は、研究者に”命令”されると、他人に対して”より残虐な行動”をとった。この点はミルグラムの実験と同じ結果です。もう一方のグループ、つまり反体制的言動の目立つグループの方は、研究者の命令を聞き入れず、他人に残虐な行為を行う事を頑なに拒否することがわかった

実験から学べる点

 まず、人に受け入れて頂こうとする態度は、他の人に耳を傾けることを軽く見る自己中心的な態度に繋がることは何度も述べたが、2つの実験はその結果を十分に示していると言えます。

 他の人に同調しようとする人は、思考力を疎かにし、他の人の思想に耳を傾けることもおろそかにし、結果人格否定的また自己中心的になった結果、残虐な行為に対するブレーキがなくなった状態になったとみられる。

他人への同調
→思考力を衰えさせる
→耳を傾けない態度で人格を否定するため、他人に有害

 その一方で、他の人に同調しなかった人は、(理屈という情報で認識される)他の人の人格に耳を傾ける心の余力が残っているので、残虐な行為を行うことを未然に防ぐことができた。

 では、集団心理に逆らってでも真実を追求する態度には、どんな益があるでしょうか?

頭の良さとの関連

 他の人への同調を退けてでも、真実を追求する態度つまり探求心は、事実という情報を収集し、事実をパーツに分解して学習し、適切な情報というパーツを組み立てて、自分に合った決定を導き出すことができます。

 学校でも頭の良い人とそうでない人がいたりします。頭の良さとは、生まれ持った能力ではなく、殆どの場合は事実を追求することに対する探求心を求め続け、事実をパーツに分解することを習得し、それを判断基準とした結果、効率よく学習できるからである。

 事実、例として数学の公式を上げると、ピタゴラスの定理であれば累乗と足し算というパーツを組み合わせているなど、数学の公式自体も他の公式や算術演算というパーツを組み合わせて作り上げた物なのです。更に、1,3,5,7…といった数字の羅列も、パターンを見極めて、2N+1と一括して置き換えることにより、楽をすることが可能です。

 同様に、事実をパーツに分解することを習得すると、他人の個性を情報として捉え、その情報をパーツとして分解して、それを組み立てて、相手の人格を理論として捉えることができる。更に、相手の人格を知ったなら、その人格パターンに沿って接することによって、人と接する労力を少なくすることによって、楽をすることができる。

 よって

他人への同調を避ける
→事実という情報をパーツに分解する能力(思考力)を習得:情報学
→他人の信念を情報として捉えることによって尊重する。:心理学

と言える。情報学と心理学は密接に関係する。

まとめ

 それで、先ほどの事柄をまとめると、こういえる。

・他人への同調
→思考力を衰えさせる
→耳を傾けない態度で人格を否定するため、他人に有害

・他人への同調を避ける
→事実という情報をパーツに分解する能力(思考力)を習得:情報学
→他人の信念を情報として捉えることによって尊重する。:心理学

このようにして、心理学と情報学を結びつけることができる。

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