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ペルーの古布

最近、自分の物欲が少し薄れ大枚をはたいて何かを手に入れたいという欲望が消えてしまったように思う。それは良いことかどうか、老後のことを考えれば貯蓄も必要で、賢く生きねばと自分を戒めつつも、どうしても欲いというものに出会わない、探していないから?と寂しくもある。まあ、そんなことはどうでもよいが、一つここ数年でなんとかやってみようと思っているのが、今まで買い集めたモノや人から譲り受けたモノたちの目録づくり。全くの自己満足のための製本で。目標はあくまでも高く設定。

このnoteへも纏めておいて、私の死後に誰かが次の人へ手渡せるようにしておくのも良い策だと思い、出会いから購入までの経緯、店主の方や知人から得た知識など書いてみようと思う。

もう20年ほど前に、東京へミュージカルを観に行った折、ご一緒した友人が古物、民芸が大好きで、それでは骨董屋など覗いてみようってことになり、それはそれは凄いお店から、手頃なものを集めたセンスの良いギャラリー、当時かなり人気のお店などをまわり歩き疲れた頃、友人が是非、連れて行きたいお店がもう一軒、必ず気に入るよってことで伺ったのが、坂田和寳さんの古道具 坂田。

目白の閑静な高級住宅街の中に、ポツンと存在する昔の駄菓子屋のような古びた佇まいのお店。それが古道具 坂田。古民家が大好きな私は、一目でもう心臓の音が聞こえるほど興奮したのを覚えている。が、店には灯りが点いているのに、戸が閉まっていて坂田さんはお留守のようであった。悪ガキのようにガラス窓に額をくっつけて中を覗くと、いたのだ、このペルーの古布が。

鼻息も荒く店に入れるまでその場から離れないつもりで立っていたら、友人が時間を潰して出直そうと提案してくれ、数時間後にもう一度目白へ。そして、店の前に立った私は今度は緊張のせいで心臓がバクバク。ガラス越しに見える坂田さんは、奥座敷の畳の上に座布団も敷かず、正座して落ち武者のような眼光でじっとこちらを観てるのだ。そんなことには全く臆することのない友人はすっと戸を開け、いつものようににっとした笑みで、失礼します、と一言挨拶をして入っていった。

涼しい笑顔で迎えてくださった坂田さんにホッとしつつも、無言で店の中のものを荘厳な美術館の中で国宝でも見るような面持ちで、一つ一つの古道具を拝見した。どれも欲しい、確かに好きだ、、そんなことを考えながら友人とは目も合わせることなく静かに店中を堪能させていただいた。特に奥座敷の李朝の棚、弥生土器はもうため息ものだった。華奢なモノだがその美しさは当時見たどの李朝の棚とも違った美しさを漂わせていた。

程よい時間が経ったころ、ふっと坂田さんが奥へ入られ、お茶を用意して戻ってこられたのだ。その頃合いの良さが美しく、感動すら覚えた。ある人が坂田さんのことを平成の利休と呼んでいたが、確かに空間の美、間合いの美、何か底知れない凄みを感じたのを覚えている。

2時間ほど坂田さんのお話が続いた。その時間は後で時計を見て驚くほど重厚で貴重なものだった。20年経った今でもまざまざと思い出されるのだから。私の敬愛する白洲正子氏も晩年時々来られていたそうです。その当時、彼女のコレクションを多く手放したことは、古物商の間で密かな噂となり、何を買うのだろうと誰もが息を呑んで期待したらしい。その後、彼女が買い求めたものが、小さなぐい呑だったように伝え聞いたのだが、その正誤はさだかでないが、さすが正子さん、と爽快な気分になったのを覚えている。

終盤になって、私はどこでこの古布のことを切り出して良いのか迷いながら、チャンスを狙っていた。そして、ふっと話が途切れた時に、壁にかかっている布が店に入る前から気になっていて、できれば欲しいと一気に伝えた。

その時の坂田さんを今も覚えている、心から嬉しそうなお顔を。これは古い古いもので、ペルーのインカ時代のものだと私は思っているんです、と聞いた時、ひやっと全身が寒くなったのを覚えている。そんな昔のもの、高価で手の届くはずがないと。布の話は延々と続き、市松の文様の美しさ、配色の粋、もう尽きない。ええ、ええ、私もそう思いますよ、心から共感した。市松フェチの私が一目惚れするほどですから、そして、今もその気持ちは冷めていませんから。湿度の少ないペルーの高地でそっと眠っていたモノが太平洋を渡り、私のところへ来てくれる!もう自分のものにしたような気分になっていた。

坂田さんのお話を遮って、何とか分割払いでお願い出来ないだろうかと恐る恐る値段を聞いてみると、あれ??そんな感じ?ちょっとお値段に拍子抜け! であれば何とかなるのではないか、、私でも。坂田さん曰く、お店へ入って、古いものたちをみて貰えるだけでも珍しいことで、お金を出して買ってみようって思っていただけることは本当に有り難いことなんです、と。気分良くした私は、では分割で!と躊躇なくお願いした。

ここからが江戸っ子の粋?(いや、彼は江戸っ子ではなかったと思う)それとも商売人の心意気? お品は今日中に宅配で送らせていだたくが、お代は準備できた時で結構です、ときっぱり。初めての人間にそんなことをしてもらっては申し訳ないので、お金が用意できた時に送ってくださいとお願いすると、いえいえ、この布を欲しいと言われる貴女を信じていますから大丈夫です、と何とも言えない笑顔で商談成立。

このやり取りが私の人生の肥やしになり、ここって時に自分の直感を活かすようになった。自分が美しいと思うもの、欲しいと心から思うその心を大切に、この古布を見るとあの頃を思い出すことがある。

散財はしてきたが、この布は今も我が家の顔として存在し、静かにある。

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この古布がウチへやってきてから暫くして、地元のギャラリーの小野さんからハガキが届いた。そこには、

今月の芸術新潮125頁をご覧あれ  とあり、

「ひとりよがりのものさし」 芸術新潮 2000年6月号より

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大布とタイトルにあるように、それはそれは美しい私の古布の兄弟が載っていた。なかなか見つからない品とおっしゃっていたが、密かに他にも持っていらしたのか、その後探し当てたのか、、笑。本当にいろんな意味で奥の深い坂田さん。

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