無言の癒し
by マリア
ねこは目で語る。その眼力はときに人間の言語を超えている。全てを悟った仙人から、沈黙で諭されているようだ、眼差しだけで。何千年もの間、人と共にいて独自の進化を遂げてきたのではと思う。長く共に暮らすとその身体能力もだが、認識能力は物理的な事象だけでなく、心情にまで及んでいることに感嘆する。自我を大胆に主張しつつ、私たちに寄り添って暮らしている猫たち。ペットという簡易表現で彼らを一括りにするのは失礼である。
"In ancient times cats were worshipped as gods; they have not forgotten this." (古代、猫達は神として崇拝されていた、彼らは今もそれを忘れてはいない。) by Terry Pratchett
ふだん、おバカをして私を困らせたり、笑わせたりしてくれるウチのキナコ。嫌がらせ?と思うようなことを平気な顔でする。先台のmacは10個のキーを剥ぎ取られた。爪研ぎとして利用されたのだ。夜中にはショートカットを使いこなし、爆音でハードロックが流れ出す。酷く迷惑そうな顔で怒りながら、飛び起きた私に対して八つ当たりをする。爆音でキナコの悲鳴は全くかき消されて聞こえなかった。ヨガもインドのグル並みのレベルで、マットの上でこれ見よがしにポーズをきめ、もぞもぞやっている私を一瞥してフンと鼻を鳴らす。特に歳を取ってからの彼は、おしゃべりネコには変わりないが、目で私を簡単に操る。真っ直ぐに私を見つめて、敵わない。
" I am fond of pigs. Dogs look up to us. Cats look down on us. Pigs treat us as equals." (私はブタが好きだ。犬は私たちを尊敬の眼差しで見る。猫は私たちを見下す。ブタは私たちを対等に扱ってくれる。) by Winston S. Churchill 偉大なチャーチル首相も猫にはお手上げだったのだろう。
気紛れに溢れんばかりの愛情表現で私を喜ばせ、そっと離れてしまう。外を眺めながら静寂を堪能している姿はもう動物とは思えないほど美しい。なんと悠々自適な生き方だろう。この子のように生きられたらと何度羨ましく思ったことか。
仕事や人間関係で落ち込んでいるとき、そっと側にやってきて丸まって寝ている。ふと気がつくとジッと私を見ているのだ。心が折れそうなとき、この眼差しに救われる。魂の対話のように感じるのは私だけだろうか。言葉にはならないものがそこにはあるのだ。否、それ以上のものだから、言葉にしなくても良い。ただただ見つめるだけ。氷のようになっていた私の心が、ゆっくり溶けはじめる。この猫のおかげで。
仏教の慈悲の実践に 眼施(げんせ、がんせ)というものがある。優しい眼差しで周囲の人々の心を明るくするように勤めることだ。キナコは歳をとってから特に体が不自由だからというのもあるかもしれないが、振り向くと私を見ている。そして、その眼差しが何より有り難いものに思える。
" I have lived with several Zen masters -- all of them cats." (私は幾人かの禅導師と生きてきた。その全員が猫である。) Eckhart Tolle
精神世界の著名人が同じことを感じているのだから、まんざら勘違いではないのだろう。猫と暮らすことで学べることは多い。犬も大好きだが、猫との暮らしは全く違うのだ。この生き物は他の何よりも異質で、そして、愛おしい。
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