見出し画像

我が家の双子のバースデー

真夜中にこんばんは。

こまきです。

先日、双子の娘たちの誕生日をお祝いしました。

1人は社会人として独立し、地方で誕生日を
迎えています。

もう1人は1年ずれて、来年から社会人に
なります。

双子の誕生時、私は妊娠中毒症で入院中でした。

張り止めのウテメリンの点滴針が痛くて痛くて
耐えられないと訴えたところ、先生が
外して飲み薬に切り替えてくれましたが、
次の日の早朝、お産が始まってしまったのです。

双子を産むには今思えば管理がイマイチの
病院だったと思います。

双子が生まれた朝看護師さんに、
「普通大学病院だと夜間にウテメリンの点滴は、
外さないものなんだけどね。
人手の少ない夜間にお産が始まると困るから。」と言ってました🙄

2人は産んだとたんに、救急車で搬送され、
別々の病院のNICUに1ヶ月と1ヶ月半
入院していました。

「赤ちゃんがいないから、早く退院して
いいのよ」と婦長さんに言われ、私は
産後3日目くらいに退院。

その後2箇所の病院をまわるのは、産後すぐの
体には大変でしたが婦長さんは早めに会いに
行ったほうがいいと言いました。

婦長さんも実は双子のお母さんでした。
1人は普通分娩し、1人がなかなか生まれず
急遽、残る1人は帝王切開だったそうです。

私は2人とも普通分娩で、出ちゃった、という
感じでした。
上の子の時、長々と苦しんだ陣痛室は
飛ばして、いきなり分娩室行きでした。

分娩室では、院長先生も出てきて、怒号が
とびかっていました😰

本当は、私ごと搬送したかったようでしたが、
双子の低出生体重児つきでは、受け手がなかった
模様でした。

自分の病院には高度な医療が提供できるNICUが
なかったのです。

「赤ちゃんの顔をお母さんが見てません!」と
看護師さんが叫んでくれて、行きかけた保育器に入った2人を一瞬戻して見せてくれました。

2人は難しい顔をしていました。
もっとお腹にいたかったのか。

後から出てきた赤ちゃんが、肺が開いてこず
呼吸器がついて、黄疸もあり、ブルーライトを
あびていて、会いに行ったときに
お顔が見えませんでした。
お母さんにより、この状態を見て倒れる方も
いると看護師さんが言ってました。

先に会いに来ていた旦那から、ひどめに話を
聞いていたので平気でした。
看護師さんが、「その手があったか!旦那さんの
作戦成功だね。」と笑いました。

搬送先のNICUの看護婦さんたちの献身的看護は
すばらしかったです。

低出生体重児の赤ちゃんは、最初本当に
ちょっとずつしか哺乳瓶から母乳が飲めないので、ほんの少し飲ませるのにものすごい時間が
かかるのです。

看護師さんたちは、根気よくそれに付き合い、
口から飲めるようにしてくれました。

せっかく電車を乗り継いでお見舞いにいっても、他の赤ちゃんが緊急事態的に悪化すると
会えない日も。
そんな時はしぼった冷凍母乳だけ置いてきます。

そうあの期間、私は乳牛のように、ひたすら
搾乳していました。

旦那は、2箇所の病院に冷凍母乳を
配達し続けました。

その後今日まで無事すくすくす育ちました。

生きてるだけでいい。
そんなわけで、誕生日は大事にしてきました。

2人が退院し帰ると、1人が昼間泣いて、もう1人が夜間に泣いて、夜は私も寝なくては持たないので一緒においおい泣いてしまったり。

これは朝晩わからない最初のころ、長女の時も
やった気がします。
赤ちゃんと一緒に、おいおい泣いちゃう。

眠くて眠くて。

それも、いまではいい思い出です😅

誕生日に会えない地方配属の娘にはスタバの
eギフトをラインで送りました。
仕事の合間にチルしてほしいものです。

まだ家にいる娘が誕生日に父とのデートで
食べたのはこちら、グランドハイアット東京の
アフタヌーンティー。
この娘は昔から、こちらのコンシェルジュ阿部 佳さんの本を読んで以来、阿部さんを
尊敬しています。

アフタヌーンティーを提供するレストランは
沢山ありますが、旦那はそれを覚えていて、
予約したのです。

画像1

娘は毎回阿部さんいないかな、とコンシェル
ジュデスクをのぞいていました。

あいにく私は双子のお誕生日はお仕事でしたので
アフタヌーンティーにはありつけませんでした。
夕飯で、長女も旦那さんと自宅にかけつけて、
地方の娘もラインカメラで参加して、にぎやか
でした。

神様が見ていたのか、ラストレッスンの生徒様に
キャンセルが入り私も夕飯には間に合うことが
できました☺️

しかしまあ娘にはデレデレの旦那です。
父にとり娘とは、たいそうかわいいものの
ようです。

ではでは。
こまきより。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?