見出し画像

未だペーペーデザイナーだとしても

アロハデザイン発足23年目。
バンドやアイドルのように「デビューの日」がはっきりしてるわけではありません。
「アロハデザイン、始めました!」
そう言い出したのはだいたい1999年の6月くらいだったと思います。
ノストラダムスの予言が当たっていたら、アロハデザインの命は一ヶ月にも満たないくらいの時期。
なので、来年の6月くらいまでは奇跡の23周年の年というわけですね。w
とはいえ、デザイナーを名乗りだしたのが1996年頃ですから、デザイナーになって26年。
最初の光琳社時代で3年。
フリーランスだったのが13年。
その後会社員として9年。
そしてまたフリーランスに戻って1年目です。
大変なことも多々ありましたが、
本当にたくさんの人のおかげでここまでやってこれたわけです。
26年分の感謝・感謝が詰まってるわけなんですねー。

画像1

さすがに四半世紀デザイナーをやってきたわけですから、デザイナーとしてのスタンスや引き出しは変わってきました。
「かっこいいもの」「インパクトのあるもの」
そういうモノを求められてるのも知っていましたから、初期の頃はそういう大胆さが認められて喜ばれもしました。
でも色んな仕事に関わるうちに、それだけではないスタンスも必要とされてくるわけです。
勉強、勉強、ですよね。
仕事自体がデザイナーとしての僕の引き出しを埋めてくれる勉強だったのです。
もちろんフリーランスの場合と、デザイン会社の一デザイナーとして関わるスタンスは違います。
会社の一デザイナーである以外で関わる仕事のほとんどは「アロハデザインの木ノ下」を求めてくれる仕事であって、「会社内のデザインをする誰でもいい誰か」として僕を指名したような仕事はほとんどありませんでした。
それでも、時には、デザイナーの思い通りにいかない仕事もあります。
指名されたにも関わらず、です(笑)。
いや、ほとんどの仕事がそうかな。
でも、何もかもすべてが思い通りにいかない仕事、というのもほとんどないわけで。
アート・ディレクションというものは、枝葉の部分で否定されたり、認めてもらえなかったり、説得出来なかったりすることはあっても、ほとんどの部分は、僕の裁量やタクトで進むわけなのだから、多くの場合で、フィニッシュしたモノは結局僕の仕事だということです。

画像2

モノを世に送り出すにあたって、特にそれが商品である場合は、「より売れる」ということが全てにおいて優先される第一条件なわけです。
当然、色んな意見やリクエストが生まれます。
明らかにそのリクエストが商品の品位や個性、あるいはアピール度を下げてるものだとしても、クライアント(お金を出してその商品を作る側)が信じてることに寄り添って、さらに付加価値を付けて、いいものを生み出そうとすること。
それが商業デザイナーの根本的な使命であって、本質的な存在意義なわけなのですね。
時には、つまらない慣習や思い込みで商品の良さを全力でなくそうとする意見がまかり通る場合もありますけれども(笑)。
「色んな希望はあって、矛盾もしてるし、理論も破掟しているかも知れませんが、そこを何とかしていい商品にしてもらえませんか?」
それを叶えるのが、僕らのお仕事だというわけなんですよね。
叶えたいと思います(笑)。
ええ。叶えますとも。 w w

とはいえ、デザイナーになってまだ26年くらいしか経ってないわけでね。
宮大工職人から見たらまだまだペーペーです。
カンナの削り方がようやく分かってきたくらいなものですからね。
それでも、いいものを作りたいと願います。
これからも求められるように、がんばりたいと思います。
励ましてね。
みんな。(笑)



こんな時代だからこそ、魅力的なことをやってきた人の今とこれからへの想いを聞きたい!これから何かを目指して進もうとしている人に、そこに立つ人の願いのような想いを届けるべく、WEBマガジン「STAY SALTY」を作りました。想いを同じくする方のサポートよろしくお願いいたします。