6 魂のリハビリ
思い出の書き換えと言うリハビリがはじまった。
辛くて、厳しくて、過酷だったスキー選手としての戦い。
そのイメージをひっくり返すアメリカ人女性に出会った。10歳年下のその彼女は飛び抜けた集中力と身体能力を持ち合わせたミラクルなスーパーウーマン。私は、彼女との3年間スキーの旅がまた再び始まったのだ。
再び、マウイからヨーロッパへ飛んだ。懐かしい場所。
何百キロも車を走らせ、オーストリア、スイス、ドイツ、イタリア、フランスのヨーロッパのアルプスを駆け巡った。
ドイツの広いアウトバーンを160kmで飛ばし、アルプスの山々の故郷を超え。
彼らはスキーのワールドカップを冬のサーカスを巡り、毎週、毎週違う場所国でパフォーマンスをする。
その合間に、彼女は大いにそれぞれの国を満喫する。
スイスのチーズホンデューに白ワイン。
イタリアのパスタにピザ。
フランスのクロワッサンとラテ。
ドイツでは、ビールにソーセージ。
白夜の北欧。
冬のサーカス、ワールドカップはヨーロッパのスキーファンを沸かす。
楽しみ、喜び、幸せの為のスキー。
それは彼女のモットー。
オリンピックは全ての人々の平和と喜びの祭典
私が歯を食いしばり、息を切らして滑り降りていた私の古い記憶の塗り替えプロセスが始まった。
これが、一番最初のリハビリ。
彼女は、スタート前にはガンガンにミュージックをかけて踊っていた。
フリースキーでフィーリングを感じるともう、準備は整ったと。
彼女は真っ白な白銀のスロープをいとも簡単に滑り降りた。
アフリカの大草原を走るピューマように、長い手足を自由に操り、まるで風のように。
そして、サラッと表彰台に3日連続で立った。
そんな彼女を見て、我に変えるどころか、まるで宇宙旅行に来たような衝撃だった。
「あんな風に滑りたかった。。。。。」
「あんな風に雪山と一体になりたかった。」
15歳の冬。秋田県、鹿角市。
急斜面の長いコースを滑り降りる少女だった私の脚は軽快だった。体がどんどん下に落ちていき、脚は自然についてきた。
ゴールを切ると、みんなが驚いていた。
父が今でも言う。「あの15歳の時の君の滑りは忘れられない。」と。
私は、全国中学校スキー大会で優勝していた。
あのスキー選手には足らない、細い少女だった私は彼女みたいに自由に軽やかに、舞い降りるスキーをしていた。
楽しく、喜び溢れるスキーを。
彼女は思い出させてくれた。
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