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ああ、今日も泣きそうだ #01: その時どうした

情熱的に何かを語る。
その人の成功や勝利や成果を収めた話なんかは、特別に退屈だ。
そんな話ではなく、凹んだ時にどうしたのかを聞きたい。

「その時、どうしたの?」
引いたのか、攻めたのか、逃げたのか、その他の選択肢はあったのか。
その時に考えていた事、何を犠牲にしたのか、本当はどうしたかったのか。
これから先が長い人にはそれが役に立つ。
ちなみに「人生とは何か」は
人間やったら誰でも語っていいという前提で今まで生きてきてわかったことは、
人生とは 「出かけて行って、何かをする」 ことだ。

結構な長い時間、
「外出してはいけない」
というのは、その間、人によっては人生がストップしている状態かもしれない。
ダンサーさんのポジションだと、いくら自分が踊りたくても、場所や機会がなくなるということだ。
後々、この局面をどう乗り切ったかが重要になってくる。
人に会って、お話しをしてて、知識のために本を読み、色んな事を感じて
そのうえで、「あの時、私はこうした」と強く答えられれば、
もうずっと、フラについて情熱的に熱く語れる。
その話は聞きたい話だ。

ああ、今日も泣きそうだ


篠原健仁-2

アロハラボラトリー代表の篠原が毎週メールマガジンに寄稿しているエッセイ「ああ、今日も泣きそうだ」のアーカイブです。

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