第三十回「ディアー・マイ・カルチャー」
さて。記念すべき三十回を迎えたわけ。
いろんなことを書いて公開してを繰り返して年が変わり世界が変わり
そんなことをしているうちに三十回もここに文字を打ち込んでるわけ。
そんな俺は最近狂ったように漫画を読んでいる。
宇宙兄弟から始まり、今はAKIRAを。
そして、漫画だけではなくて寺山修司さんの舞台だったり
ラーメンズのDVDほぼ全公演を買ったりしている。
この中には”音楽”単品は含まれていない。
俺は雑談ができる人間になりたい。
とても古い考え方かもしれないが有名インタビュアーの吉田豪さんが
「最近、雑談ができる人が少ない」と仰っている番組を見てハッとしたのだ。
今現在の世界はインターネットに腰をかけて瞬間的に全ての知識を得ることができる。要は楽ができる。
ただ、なんとなくだけど付け焼き刃の情報をしっかりと今後ずっと覚えてられるだろうか。
腰をかけてリラックスできるインターネットの情報の海だけで”面白い人間”は誕生するのだろうか。
「あー。またおじさんがなんか言ってるよ」くらいでこの文章を見ても全く問題はないのでもし若い子が読んでいたら1つの提案レベルで読んでほしい。
情報は結局のところ指先一つ10秒ほどで得るか、自転車にまたがり10分ほど汗をかきながら行った本屋で得るのか。
この得た時間によって全て変わるのだと思う。
その情報の隙間に「時間をかけた行動」が付加価値として我々の脳みそには
ばっちり保管されるのだと思う。
例えばサブスクなんかもそうでわざわざCDショップにまで行って買ったCDはどんなに年数が経っていてもその曲の中にある「時間をかけた行動」がまた付加価値となり良い曲に仕上がるのではないだろうか。
音楽の話でいくとライブもそうだと思う。
何気なくYouTubeや配信なんかでみた好きなバンドのライブ映像も素敵だと思うが自分でチケットを購入しその足で電車に乗り、空き時間に喫茶店なんかで暇を潰してライブハウスの入り口についてその箱の匂いを知って音楽が
とてつもない音で鼓膜を揺らす。
これだけの行動が「腰をかけた楽」に勝るのだ。
それはもちろん人それぞれなのだけれど、
俺はなんとなくそんな気がしているのだ。
カルチャーとはいつだって人間が行動して生み出されるもので
その後追いとしてインターネットの海に放り出されるものだと思うのだ。
もちろん。インターネット派生のカルチャーも存在するし、
それはそれで大変素晴らしい文化がたくさんあるのは忘れてはならない。
ただ、我々のような舞台から何らかの情報を発信する人間は
結局、舞台以上に発信できる場所を「知らない」のだ。
それはきっと進化できないのではなくて、この素晴らしさを知り尽くしてしまったからなのだ。
そして、知り尽くしたのにも関わらず更なる可能性(これが進化かもしれない)をその舞台に託したいのだと思う。
漫画を本屋に行って買ったり、DVDをブックオフに買いに行ったりする
「時間をかけた行動」は情報の宝庫で、その情報がバッチリと記憶され
それを自分なりに濾過して「雑談」をするのだ。
または、そこから新しい物が生まれる瞬間だってある。
だから、俺はいまだにこうして足を運んで様々はカルチャーに直に触れて
感動し、泣き、笑い、怒るのだ。
それが自分の音楽に繋がると信じてならない。
音楽的造詣が深い人間はいつも他のカルチャーの雑談もできる人間だ。
俺はそんな人間になりたい。
面白い話をたくさんして、きっとあなたを感動させられる胸が熱くなる音楽を歌いたいと思うのだ。
だから、俺はライブをするし音源を出す。
自分のカルチャーが素敵なものだと信じて疑わず
あなただけに送る。
それが俺の居たい場所なのだ。
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