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これはアシモフの正統な翻案だ——映画『アイの歌声を聴かせて』の雑な感想

(ネタバレあり)この記事は映画『アイの歌声を聴かせて』の雑な感想を垂れ流したものです。

自分はTwitterフォロワーさんのレコメンドの精度の高さに全幅の信頼を置いているのだけど、2021年10月末、TLがいっせいに映画『アイの歌声を聴かせて』(以下『アイうた』)のハイカロリーな感想で埋めつくされた。今時貴重なオリジナルのジュブナイルSFということも、 ”Sing a Bit of Harmony" というちょっとそっち方面を狙った英語タイトルも、フォロワーさんたち(映画『HELLO WORLD』ファンが多い)と親和性高そうな予感はしてたけど、予想以上のバズりに「ここまで言うなら見に行かねば!」ということで、2回ほど鑑賞。

その結果、これはとても良いSF映画、かつ「鑑賞2回目からが本番」タイプの作品であると確信できた。フォロワーさんからも背中を押して頂いたので、オリジナルSF劇場アニメを盛り上げていくためにも、つらつらと雑な感想を垂れ流したい。

といっても細かいところまで読み込めていないし、何しろ1ヶ月以上前に2回観たきりなので(追記:年末にもう1回観ました)、見逃したり忘れたり勘違いしているところが多々あるかも(ノベライズには助けられました)。たぶんすでに100万回くらい言われてそうな内容のオタク長文です。ホームグラウンドが『HELLO WORLD』沼なのでとかく比較しがちなのはご容赦ください。

以下は考察や解説といった類の記事ではなく、初見と2回目のいい加減な感想スレッドを再編集、加筆したものです。当然ですが『アイうた』のネタバレを含みます。長いです。

追記:サトミが今日(12/31)誕生日だってことをさっき知りました。知識浅すぎのニワカがえらそうにすいません。でも偶然にもそんな日にこの記事を公開できたのはうれしい。
追記2:しかもイキッて書いたこと結構舞台挨拶とかで既出らしいですね……ろくに調べもしないですいません……

ミュージカル映画のもつ「不気味の谷」の扱いが巧すぎる

まず、これはすでにあちこちで散々言われているっぽいけど、強く思ったのは「ミュージカル映画」にこんなに巧くメタな必然性を持たせた映画を観たことがないってことだ。

たいていのミュージカル映画は登場人物が突然歌い踊り出すし、彼ら側に感情移入させようとする。慣れてない観客は若干面食らうし、ノリノリの登場人物との間に「壁」を感じてしまう。ところがこの作品はそれを逆手にとって、主人公(サトミ)に困惑させ、そちらに感情移入させることで、一気に「第四の壁」の中に観客を引き込むことに成功している。突然の歌と踊りを平然と受け入れる他の映画とは違って、それはやっぱり奇異なことで、彼らが僕らの世界と同じ行動原理で生きていることに安心するのだ。

そんな「奇行」と周囲の困惑をメタな視点から俯瞰している自分に気づいて、この困惑の源はいったいなんだろうと鑑賞中に考えて。

あ、これ、「不気味の谷」やん。そう思った。

ロボット・AIの持つ「人に似て非なる」異質感のことを「不気味の谷」という。これと、ミュージカル映画の「突然歌い出す」異質感とがめちゃくちゃ相性良いなと。歌い出すことの異質感がAIの不気味の谷の発現の一種として描かれてるから、「ミュージカル映画だから歌い踊るのね」ではなく「ポンコツAIだから歌い踊るのね」と観客は解釈する(さらに後半では「元々この手のミュージカル映画が好きだったサトミを幸せにするために歌い踊る」というロジックに昇華され、一種のカタルシスをもたらす)。演出上の違和感が作品世界内の要素にいつの間にかすり替えられ、作品内で閉じている。巧い。巧すぎる。中盤でみんなが慣れて一緒に歌い出すあたりはちょっと崩れてくるけどw

吉浦監督、演劇経験がおありらしいので、第四の壁のコントロールは手慣れていそうだなと。

テクノロジー肯定系な近未来感と超ポジティブ監視社会

本作とよく対比されてる『HELLO WORLD』は題材も構造も全然違うお話だけど、共通する匂いを感じるとすれば、それは「この世界の延長にある地続きの近未来社会」だ。未来をダークに描かず、「科学技術は社会と僕らをちょっとだけ良い方向に変えていく」的スタンスのテクノロジー肯定系SF。手の届くちょっと先の未来の技術に市井の人々が当たり前に順応し、生活の中で享受している世界。そもそも美津子さんの研究のモチベーション自体、「AIがみんなを幸せにする」ことだ。

中途半端なAIモノだととかくAIが「敵」や「脅威」として描かれやすいけど、本作品では徹頭徹尾AIはヒトに敵対せず共存する存在として描かれている。作中の「敵」は人間であり、またその敵対理由は単に組織内での嫉妬であり、科学技術には一切悪属性を持たせていない。AIはどんでん返しでも種明かしでもなく、あくまで物語の前提としてしょっぱなから当たり前のように提示されるのがいい。そしてシオンが「友達」にこだわるさまは、登場人物だけでなくヒト全体にとってAIが「友達」であってほしい、という希望のようにも感じられる。

また「10年後の世界はプライバシーがよりゆるくなる」という未来考証が『HELLO WORLD』のベースになってたけど、『アイうた』にも似た志向があると思う。『アイうた』の景部市や『HELLO WORLD』の京都市は常に監視・記録されていて、サトミなんか完全にストーキング状態で、少し前の作品なら確実にディストピアとして描かれていてもおかしくない。それが『アイうた』冒頭から、AIに管理された都市のキラッキラの描写とワクワクさせる劇伴。超ポジティブ監視社会だ。

そして実際、僕らの世界はたしかにこっちの方向に進みつつある。世界的に監視・記録され続けることへの忌避感が薄まってきてるし、利便性と引き換えにSiriやAlexaに個人情報を差し出すこともいとわなくなってきてる。このへんも僕らの肌感覚と地続きのリアリティを高めていると思う。同じ吉浦監督の2008年の作品『イヴの時間』は未習だからわからないけど、『アイうた』でのロボットの描き方は最近の意識の変化を如実に反映している気もする。ただし「科技庁」が存続してる世界なので、どこかで分岐した世界線なのかもしれないですね。

巧妙にシュガーコーティングされたきわめて硬派なSFマインド

『アイうた』初見時の自分の印象は「ライトめのSF」だった。『HELLO WORLD』がかなりマニアックだったせいもあるが、逆にそれが仇となって苦労もしていると聞いたので、SF要素をメインとしない間口の広い作りは「戦略としては正しいな!」と思った。しかし、その後sshさんのこの二次創作、

を読み、シオンの行動が完全にロボット三原則で説明できてしまうことに気づいてから、その視点をもって2周目を鑑賞し、得た結論は「実はロボットとAIについてはかなり硬派なSFなのでは!?」ということだった。

ロボット三原則をふまえ、AIを最後まで単なるAIとして描き切る姿勢。AIが人間の感情を知るとかいうような話では全然ない。でもそこがいいんだ。これはアシモフの正統な翻案の一種かも知れない。AIは一見、好き放題やっているように見えるけど、あくまで三原則を遵守し、言われた命令を忠実に実行するだけ。それに人は振り回されるし、そこに人はおかしさやらいとしさやらけなげさやらを感じるのだ。

全体的に台詞の間合いがめちゃくちゃ計算されてる感あるんだけど、特にシオンの発話のタイミングが完全におかしくて神懸かってるなーと。SiriやAlexaの口調みたいな「調子外れの陽気さ」(©時砂の王)が絶妙で、土屋太鳳さんはほんとうに上手い。

シオンが「心を持つ」みたいな描き方は一切してないし、たぶん安直な意味ではヒトと同じような意味での心は持ってない気もする。でもラストシーンでトウマとサトミがそこに心を感じたなら、シオン自身の心で行動したと思えたのなら、それはもう心があると思っていいんじゃね?っていうスタンスで映画は作られている。それは完全にチューリングテストそのものだ。だから結局本作において「シオンに心があるか」という問いへの答えは「シオンはトウマとサトミのチューリングテストに合格したAIである」だけで十分なのだ。そんな姿勢が潔いし心憎い。

そして、あらゆる設計仕様には設計者の思いが宿る。シオンの中にあった「サトミを幸せにする」という至上命題が、結局はシオンにそれを命令として与えたトウマの気持ちそのものであって、シオンの言葉も行動もすべてマスターであるトウマの思いを反映したものだった、という構造はわりと好きなやつだ(ネタバレなので伏せるけど今年公開された某映画にもありましたね)。そしてそれは、この映画の登場人物の言葉や行動が制作スタッフの想いを反映している、というメタ創作論とも呼応する。フィクションの登場人物は自分の心で考えたり行動したりしているわけではなくて、脚本やコンテに沿って動いているだけだ。でもそこに観客は確かにそこに登場人物の心を、意志を感じる。

そんなガチSFマインドを、本作は実に巧みに隠蔽している。ストーリー自体は単純な一本道にして万人にわかりやすくする代わりに群像劇で深みを持たせ、キラキラのディズニー風味でシュガーコーティングして、SFとか興味ない層でも話の筋は完全に追えるようになっている。拒否反応が出やすいSF特有の小難しい用語がまったく出てこないのにはちょっと驚かされた(トウマのオタク台詞や劇中の文字情報にちらっと現れる程度で、しかも「ここはスルーして良い」という明確なメッセージ性が感じられる)。これほどSFっぽさを徹底的に廃して、爽やか学園モノとして間口を広げておきながら、その根底にあるのはどうしようもなく硬派なアシモフSFなのだ。これは本当にすごい。劇中劇『ムーン・プリンセス』がどう見てもディズニーアニメの見た目を持ちながら、そのシナリオが「日本最古のSF」(竹取物語)そのものなのとまったく同じ構造だ(その意味では『ムーン・プリンセス』も相当攻めたヤバいアニメだと想像される)。

そんな本作品をノベライズされたのが乙野四方字先生だというのも個人的にうれしいポイントだ。SFの定義は星の数ほどあるというけど、乙野先生の『正解するマド』に出てくるSF観にまつわるあるエピソードが自分は大好きなのだ。だから『アイうた』の硬派なSFマインドと間口の広さはノベライズ版でもきっと健在だと確信できたし、実際その予感は完全に正しかった。ノベライズ作中にそっと仕込まれた「たったひとつの冴えたやり方」という文字列も端的にそれを表していると思う。

余談だけど『アイうた』のディズニー(風味)大好きリア充主人公と『HELLO WORLD』のイーガン大好き非リア主人公のあいだに超えられない壁を感じたw(優劣ではないです。ただ自分は後者に感情移入する派なので、その意味で本作品は感情移入しすぎずほどよい距離感で鑑賞できた気がする)

「ミラーニューロン型AI」の徹底してロジカルなガチ描写

さて、数少ない小難しい用語として「ミラーニューロン型AI」とか「自己想起型カオスニューラルネット」とかいうのがトウマの早口オタク語りのなかに出てきた。自分はAIのことは全然詳しくないからググっただけだけど、後者は実在する技術(しかもかなり古典的?)っぽい。で、前者がたぶん本SFにおける「大いなるハッタリ」でありキーワードの一つなのかなと思う(もう一つの大いなるハッタリはシオンの精巧な素体の技術力)。一つだけ「大きな嘘」をつき、その周りをガチガチに理論武装するタイプのSFが自分は好きなんだけど、本作品もその好例みたいだ。

生半可な知識によると「ミラーニューロン」というのは20年くらい前から言われるようになったもので、「他人の行動を見たときも、自分が行動するときも、同様に発火する神経細胞」のことらしい。他者理解や模倣、共感に関係あるとかないとか言われている、ようだ。なので「ミラーニューロン型AI」を言葉尻から乱暴に解釈すると、シオンは他人の行動を自分に当てはめることで他者の行動や心情を「理解」する、という特性のAIなのかなと。

だからたとえば、アヤが「ずっとゴッちゃんだけ見てきた」と不器用な思いを吐露したとき、シオンがハッとした表情を見せたのは、そして突然「ずっと見つめていたの」と歌い出したのは、そういうことなのかなと。サトミをずっと見ていた自分自身と重ね合わせて、初めてアヤの心情を「理解」し、寄り添った結果なのではないか。

そしてシオンに入り込んだのは自然言語処理AIだからか、どうも言葉が推論のトリガーになることが多いみたいだ。アヤのことも発言を聞いて初めて気がついてる。相手から言葉が与えられると、そこからどんどん連想したり関連付けたりして世界を理解していく。たとえば「幸せなスクールライフ」と「友達」を関連付けてみたり。

クライマックスシーンでは、このAIはサトミの幸せを願うだけでなく「自分も幸せだった」という見事な推論能力を見せる。ずっと他人の幸せのことだけを考えてきたAIがはじめて「自分」のことを認識した(自我というと言い過ぎか)瞬間でもあり。クライマックスが自己認識っていうこの辺もいかにも硬派SFな感じで好き。「自分も幸せだったと自覚する」こと。これも三原則の第3条「自己を守る」のひとつの形かもしれない。

トウマから教えられた「幸せ」というキーワードと、サトミから教えられたムーンプリンセスの映像。これらがシオンの根本原理になっている。そしてミラーニューロン的な他者理解と言葉同士の関連付け。この推論の「クセ」に気づくと、初見では支離滅裂に見えたシオンの言動が完全に首尾一貫して見えてくる。すべての行動にシオンならではのロジカルな理由がある。この辺の答え合わせが2周目の楽しいところだ。

たとえばアヤに「ゴッちゃんはアヤのものじゃないよ」と淡々と告げる場面。あるいはサトミからトウマに「ターゲットを変更する」場面。人間の尺度で観るとちょっと違和感を感じるシーンかもしれないけど、これらの言動はあくまでシオンの推論の結果だ。前者は恐らくムーンプリンセスからの外挿だろうし、後者は「人は友達が幸せだと幸せになる」「トウマはサトミの友達である」からの推論だろう。人間たちは勝手にそこに冷徹さや不穏さを感じて感情を動かし、結果としてそこにドラマが生まれる。どこまでもロジカルに行動するAIたちとどこまでもエモーションに突き動かされるヒトたちの対比が鮮やかだ。

この辺は、少し古いけど吉浦監督の対談記事にある、

”僕はその,「ルールを簡単に逸脱する脚本」って好きじゃないんですよ。例えば,愛の力で奇跡が起きて救われるとか”
”あくまで設定した世界のルールに則った脚本を作りたいんですね”

“重力対談”が実現! 「サカサマのパテマ」吉浦康裕氏と「GRAVITY DAZE」外山圭一郎氏が,ゲームや映画についてトコトン語り合った

という発言を読むとなるほどと思う。『サカサマのパテマ』もとてもロジカルな物語だったし(自分は物語構造でいえば『アイうた』より『パテマ』のほうが好みですw)、理詰めで解釈できる作品の気持ちのよさを感じる。ちょっと監督の他の作品も気になってきてる。

なお、自分にとってちょっとわかりにくかったのはサトミの呼びかけでシオンが目覚めるシーン。吉浦監督的には「想いの力で奇跡が起きた」はずはない。「高度に発達したAIなら…」の台詞も引っかかるし、技術的に何かやってるはず。サトミの歌にエレベータのランプとかが反応してたし、ビルの分散AIにサトミの声や姿を強く認知させてアトラクタか何かを収束させてるのかな?と思ったけどスタンドアローンのはずだし。色々見逃してるかも。

……とかいう内容を夜中につぶやいてたら、まさにそのタイミングでsshさんが仮説を投稿されたので笑ってしまいました。

ロジックで動かないヒトたち——星間エレクトロニクスの群像劇

AIがロジカルに描かれるほど、人間たちのエモーショナルな描写が際立つのは面白い。夜中に家を出て突然叫ぶサトミ。ネチネチと嫌味を言う西城さん。灰皿を投げる美津子さん。素直になれないアヤ。無謀にも殴り込みに行こうとするサンダー。人ならあるあるネタだけどAIには理解不能かもしれない。

とくに自分は非リア社畜なので、どっちかというとリア充満喫高校生組よりブラックまっしぐらの星間エレクトロニクスの皆さんのほうに共感を持って観てた(とはいえこの映画、優秀な人しかいなくて感情移入が難しいのは長所でもあり短所)。この辺は脚本の大河内さん得意そう。美津子さん毎日「2時に帰って5時起きよ!」状態だし、会長が深夜にヘリで来たりとか何考えてるんだ……(あれって騒動がなくてもあの時間に来てたってことだよね? 起こされた西城さんは感謝すべき)。優秀な若手エンジニアの面々ですら技術志向より権威志向で会長の訪問に浮き足立ってるのは、内向き、上向きへのアピールに熱心な社風なんですかね。そのうち美津子さんGoogleとかに取られそう。

西城さんや野見山さんの描写が若干ステレオタイプ的に見えたけど、「(西城さんのいう)子供」の視点から子供vs.大人というスキームで描いてるからそこは割り切ったのかも。『僕らの7日間戦争』的な感じで(原作しか読んでないんですがあの手この手で大人をやり込めるあたり)。きっと彼らにも彼らの物語があるのだと思うけど、下手に手心を加えると疲れた大人は彼らに感情移入するリスクがあって、そうさせちゃうと完全に話の軸がブレるから、わかりやすく「悪役」に徹してもらったのかなと思う。コンプライアンス的にはむしろ西城さん側しか勝たんところあるし。

あえて掘り下げると「ああ見えて野見山さん出来る人」説には賛成で、描写からも彼はかなり技術力自体はありそう。美津子さんはもちろんすごく出来る人だけど、会社側が美津子さんを抜擢した理由はおそらく若手・女性登用という対外的なアピールのためという理由が大きそうで(車内CMに出ているのもイメージ戦略を強く匂わせる)、野見山さんもまた、目指す方向性は違えど、星間の人事から不遇な扱いを受けている一人なんじゃないかとは思う。若手抜擢するのは良いことだけど、それで人事があんな閑職(事務的な仕事とかシオンの出待ち)に追いやってたらそりゃやる気なくすよ。トウマの尋問のときも実はかなり突っ込んだ技術談義してたんじゃないかな。

AIトイと三太夫はムーンプリンセスの夢を見るか?

最後に、なんかサトミもトウマも「ずっと昔にシオンに会ってる」と言ってるけど、厳密にいうとあのたまごっち的なAIトイとシオンは別物なんだよね。AIトイはずっとネットをさまよっていて(この手の作品でよく思うんだけどこれどういう状態なんですかね……?突っ込んではいけないところだと思うけど)、運良くシオンを見つけてそこに入り込んだ。じゃあシオンに元から入っていたAIはどうなったのか?乗っ取られた?上書きされた?

完全にイメージでしかないけど、星間のAIの共通規格的には、複数のAIを矛盾なくマージできるようになってるのかもしれない(アンサンブル学習とかいうやつかなとも思ったけどちょっと違う?)。それがどんな「感じ」なのかはヒトには永遠に想像できないけど、そういうことができるんだろうなあと思えたのはシオンが三太夫のデータを読み取ったシーン。あれって単なる柔道の基本的なモーションデータだけじゃなくて三太夫のAI自体も読み込んでいるんじゃないかな。だって明らかにシオンの顔つきが違う。あの妖艶な表情といい、他の曲とかなり曲調が違う『Lead Your Partner』といい、あれは絶対シオンの素じゃないな、三太夫に違いない!

そう考えると、三太夫だけでなく田植えロボットや掃除ロボットも、家電のAIも、意思表示の手段がないだけでたぶんいろんなことを考えているし、ポテンシャルはあるんだろうな。このレベルまでいくとフレーム問題にいつ陥ってもおかしくないので、冷静に考えるとわりと脅威でもあるけど。


以上、雑語りでした。

このnote、今後はいろんな内容の記事もちょっとずつ気楽に増やしていきたいと思います。『アイうた』はその第一弾でした。今後ともよろしくお願いします!

P.S.
ハロワ民のアイうたハマり度が高いので、きっと逆も真だと思う。というわけで『アイうた』気に入った方はよろしければ『HELLO WORLD』もぜひ観てほしい。
あと『アイうた』と『HELLO WORLD』を足して2で割ってコテコテのアメリカンギャグで味付けすると映画『フリーガイ』になるので『フリーガイ』もおすすめです。

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