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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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映画『シン・ウルトラマン』『バブル』に登場する「宇宙を支配する数式」と、地球外知性に対する人類側のメンタリティ

(前半ネタバレなし、後半ネタバレあり)

映画『シン・ウルトラマン』と映画『バブル』に出てくるガチ数式が実は同じものっぽい、というネタを肴に、この2つの映画の似てるところ、違うところ、特に地球外知的生命のメンタリティあたりをゆるく語るだけの記事です。……いや、正直に書きましょう。noteの数式機能を使いたかっただけの記事です

実は、この記事を書き始めたのは実は2022年6月だったんですが、なんだかんだで書きかけのままほったらかしになっちゃってました。ですが、先日久しぶりに『バブル』を見て、八割方書いてるしせっかくだし書き上げるか! と思い、『シン・ウルトラマン』ももう一度見て書き上げたものです。1年以上寝かせたわりには全然たいしたこと書いてないんですが、ご容赦下さい。

数式の内容については完全に素人なので深掘りはしません(もし間違いがあったら教えて下さいね!)。数式をガチ解読する企画でも数式を元にガチ考察する企画でもありません。ただしガチ解読したい方には参考情報へのリンクは多めに貼ったつもりです。逆に数式どうでもいい人は、数式が出てくる前半をスルーしてまったくかまいません。

前半はネタバレなしで数式の話、後半はネタバレあり・数式なしで作品自体の話です。


「滝のマグカップ」と「ウタのノート」の共通点

『シン・ウルトラマン』には、物理学の研究者である滝明久(以下、滝)がホワイトボードやマグカップに手書きで書いた数式や図が多数登場します。特に実相寺アングルで何度も大写しになるマグカップは、いかにもアカデミックオタクな感じで大変よろしい(ちなみに同僚の船縁さんのマグカップはキュゥべえ柄なので、その意味でも『バブル』と縁がある)。

マグカップの数式自体は『シン・ウルトラマン デザインワークス』に載ってるらしいのですが(未入手)、世の中には滝マグカップを自作された方々がいらっしゃって、現時点でDESIGN WORKS(@bigmac_co)さんによるものとヤフオクの2種が確認できています。

……と書いてこの原稿を寝かせている間にツブラヤストアさんから公式マグカップが発売されてましたw でも自作したくなるのわかります。

さらにこの数式を含めた「シン・ウルトラマンの物理学」特集が日経サイエンス2022年10月号で特集されました! 式もバッチリ載ってます。

一方、『バブル』ではヒロインの少女ウタがノートに数式を書いています。映画本編ではフィボナッチ数列の一般項程度だったのですが(これについては別記事を書きました)、後日公式から公開された「#BB日誌」という書き下ろし形式の日誌では、フィボナッチ数列どころかさらにエスカレートしたガチ数式が……! 特にノートの左ページに注目です。

「宇宙を支配する数式」と「神の数式」

で、これらの数式、どちらも1ミリも意味がわからないんですが、よくよく見ると最後の $${\lvert D_\mu \phi \rvert ^2 - V(\phi)}$$ っていうところとか "h.c." っていう部分がなんかそっくりなんですよね。

自分は物理はド素人なんですが、「もしかして滝のマグカップの式とウタの式はめちゃくちゃ関連してるんじゃね!?」……と思ったわけです。

で、色々調べていたらこちらのブログを経由して、『シン・ウルトラマン』映画監修者でもある阪大の橋本幸士先生の記事にそのものズバリの滝数式を発見しました。記法も改行も完全に一致。上述の日経サイエンス記事にもありましたが、曰く「宇宙を支配する数式」「人類の英智の結晶」だそうです。ちなみに阪大ではこの数式を刻印した指輪を1,020円で売ってるらしいですw

実際、滝役の有岡さんは「“宇宙のすべてを支配する数式”という実際にある数式に加え、さらにもう1つオリジナルの数式を記憶」させられたとのこと。

一方、ウタの数式はどうも「神の数式」と呼ばれているらしい。少なくともこの名前でNHKが番組を作ってこの式をバーンと出してたらしいんですね。こちらも、記法も改行も完全に一致。

正直、何が「神」なのかわかってないんですが、オタクが「神絵師〜!!」とか「神作画〜!!」とか悶えるのと同じ感じで「神数式〜!!」みたいなものなんだろうくらいに思っておきます。

ちなみに「神の数式」というワードは本職の物理学研究者の方から疑問を呈されていたりもしているようで、たぶんNHKが考えたキャッチーな言い方なんだと思います。まあ確かに本職の方々は別に神とか美しさを求めて研究しているわけではないんだろうし、自分も「神の数式」よりは「宇宙を支配する数式」という言い方のほうが上品な気はしますw

二つの数式を並べて眺めてみる

とりあえず、画像だけを頼りに書き下してみます。noteの数式記法たのしー! 滝の数式を最初に書き下してくださったやすき(@yasuki)さんに感謝。やすきさんのソースを元に少し体裁を整えています。

「滝の式」はこちら。

$$
\begin{aligned} S = \LARGE \int \normalsize d^4 x \sqrt{-\det G_{\mu \nu} (x) } \Bigg[ \displaystyle \frac{1}{16 \pi G_N} \Big( R[G_{\mu \nu}(x)] - \varLambda \Big) \\ - \displaystyle \frac{1}{4} \displaystyle \sum_{i=1}^3 \mathrm{tr} \Big( F_{\mu \nu}^{(i)} (x) \Big)^2 + \displaystyle \sum_f \bar{\psi}^{(f)} (x)i \cancel{D} \psi^{(f)}(x) \\ + \displaystyle \sum_{g,h} \Big( y_{gh} \Phi (x) \bar{\psi}^{(g)} (x) \psi^{(h)} (x) + \mathrm{h.c.} \Big) \\+ \big\lvert D_{\mu} \Phi (x) \big\rvert ^2 - V[\Phi (x)] \Bigg] \end{aligned}
$$

「ウタの式」はこちら(ウタのノートには記号に斜め線がないんですが、NHKの式に合わせました)。

$$
\begin{aligned} \mathscr{L} &= \bar{\psi} i \cancel{\partial} \psi \\ &- g_1 \bar{\psi} \cancel{B} \psi - \frac{1}{4} \mathcal{B}^{\mu\nu} \mathcal{B}_{\mu\nu} \\ &- g_2 \bar{\psi} \cancel{W} \psi - \frac{1}{4} \mathcal{W}^{\mu\nu} \cdot \mathcal{W}_{\mu\nu} \\ &- g_3 \bar{\psi} \cancel{G} \psi - \frac{1}{4} \mathcal{G}^{\mu\nu} \cdot\mathcal{G}_{\mu\nu} \\[6pt] &+ \bar{\psi}_i y_{ij} \psi_j \phi + \mathrm{h.c.} \\[6pt] &+ \lvert D_{\mu} \phi \rvert ^2 - V(\phi) \end{aligned}
$$

両者を眺めてみます(ちなみに自分は物理学は高校レベルで止まってます。シュレディンガー音頭だけは踊れる)。見てみると、なんか h.c. の左側も似てる気がする!

で、h.c. とか斜め線とか、そもそもそれぞれの記号はなんなんだよ、という疑問に対しては、こちらのOKWAVEの回答知恵袋の回答が役に立ちました。まあ、OKWAVEと知恵袋なので正確性は保証できませんが、より正確な解説を知りたければ、たぶんここに出てくるワードを取っかかりに調べてみるといいんだと思う(記事の最後に、本職の方による講義資料など、信憑性ありそうな参考文献は載せました)。

細かい解読は本稿の目的ではないので、他のサイトとかNHKの例の番組とか参照して何となく理解したことを書くと

  • これはどちらも、素粒子標準模型というものらしい。たぶん。

  • 滝の式が表す $${S}$$ は「作用」というもので、ウタの式の $${\mathcal{L}}$$ (ラグランジアン密度)を空間3次元と時間1次元で積分したものっぽい。たぶん。

  • 滝の式の2行目〜4行目がちょうどウタの式に相当する。1行目は重力関係らしい(アインシュタイン方程式)。細かい部分の違いは、なんかいろいろ便利な記法を使ってるからっぽい。

  • 斜め線はファインマンのスラッシュ記法とかいう、式を簡単に見せるための便利表現らしい。ウタが書き忘れてるのかどうかは不明w ファインマンさんすごい。

  • $${y}$$(湯川結合係数)というのは湯川秀樹先生のイニシャルに由来するらしい。なにそれエモい(人によってはgとか別の記号を使ってるっぽいけど)

自分の知識不足もあって深掘りはしてませんが、本当は解読してみたいんですよねえ。いつかチャレンジしてみたい。そして宇宙を支配したい。

(ネタバレ)二つの映画の共通点:地球外知性とのファーストコンタクト

以下、映画のネタバレを含みます

今回、ほぼ同時期に公開された2つの映画に同じ数式が出てきたのは、別に奇跡というわけではなく、ちょうど現代物理学の最先端、宇宙の成り立ちを式にしようとするとここに行き着くっていうだけなんだろうとは思います。

ただ、あらためてこの二つの映画を考えてみると、数式だけに限らず非常に共通点が多いことに気づかされます。『バブル』なんて、まさに「そんなに人間を好きになったのか、ウタ」という感じ。

  • 神永=ウタ

  • ゾーフィ=ねえさま

  • 禍特対=BB

  • 禍威獣=バブルと重力異常

  • 東京タワー=東京タワー

  • 自己犠牲=自己犠牲

人類とは異質の知性体とのファーストコンタクトモノ。知性体のうちの一個体が人類に興味を持ち、人の姿となって人とともに暮らし始める。本を大量に読むことで急速に人類文化・社会を学習するってのがいいですよね。知性体の仲間は戻ってくるように言うが、その個体はすっかり人類に愛着を持っており、かつての仲間に敵対してでも人類側について、身を挺して知性体を退ける。一種の神婚説話かもしれません。

(ネタバレ)二つの映画の相違点:人類側のメンタリティの象徴としての数式

一方、同じく異質な知性とのファーストコンタクトという構造を持ちながら、実は対照的な部分もかなりあります。そこを比較すると、両者の特徴が際立ってくるように思います。

まず、数式が何を象徴しているかについて。

『バブル』においてあの数式は、言語を持たないウタがぎりぎり人類にわかるやり方でこの世界の理解を伝えるための道具であり(ウタは数学に立脚する知性だと思う)、一見おバカキャラっぽく見えた彼女が実は高度な知性を持つことを観客に知らせる仕掛けにもなってます。マコトさんもこの数式でうすうす彼女の正体に気づいたかもしれませんね。ただしそれ以上の深掘りをしている様子は描かれません。

一方『シン・ウルトラマン』において、あの数式は人類の叡智の象徴です。文字通りの「巨人の肩」(「光の巨人」の肩でもあるし、ニュートンの書簡にある表現でもある)ではありますが、神永のUSBメモリとVR国際会議での議論に支えられて、外星人の領域に「手をかける」ための足がかりです。また滝の専門分野やオタクマインドを観客に知らせる小道具でもあります。さらに日経サイエンスの『シン・ウルトラマンの物理学』によると、これは物語の序盤段階での人類の宇宙像にすぎず、作中ではそれがどんどん発展していきます。

ウタはこの宇宙を素粒子標準模型のレベルまで理解していて、たぶんそれ以上の知性も持っているのだと思いますが、人類のレベルに降りてきて、人類と同じ目線で生きていこうとする。そしてヒビキやBBの人達もそんな関係性を望んでいる。花を愛で、貝殻に波音を聴き、人と共に生きていく。ラストでねえさま達の脅威は去るけれども、それはウタの力であって、人類は物理的には何もできない。ただしウタをそうさせたのは紛れもなくヒビキによって知った「好き」という感情です。

でも神永は、生活自体は人類レベルに降りてきてはいますが、人類を引き上げようというところが明らかに違います。といっても性急なオーバーテクノロジー丸投げではない、ちゃんと人類が自分の力で階梯を上がってこられるような形で。神永が世界の真理を論文の形で渡して、それを滝も独占せず、きちんと世界中の研究者のピアレビューを受けたうえで公知にしていくプロセスを経る、というのがこの作品のすごく好きなところです。それが今の人類の科学の正当なやり方だからです。最近のLK-99の世界中の検証プロセスの速さとか見ちゃうと、あのスピード感は意外と実現できるのかもしれない、とさえ思えてきます。

このあたり、それぞれの原作(ウルトラシリーズと人魚姫)の違いはもちろんあるけど、脚本(虚淵さんと庵野さん)の作家性もあるように思いました。もちろん荒木監督や樋口監督の影響もあるとは思いますが。

たとえば虚淵さんの作品に出てくる人外は、基本的にヒトと相容れないメンタリティとして描かれている場合が多い気がします。まどマギのキュゥべえとかアニゴジのエクシフ、発想が意味不明でめちゃくちゃ怖くなかったですか!? ねえさまも結局何に怒っていたのかよくわからないのですが、そこが良いなと。この、よくわからない価値判断をよくわからないまま異質な知性として対置し、そこに底知れない怖さや断絶感を感じさせつつ、それに翻弄される人類を描くというスタンス。というかウタ自身も自分の言葉で語るのは最後だけで、普段は『人魚姫』の童話に思いを仮託することしかできない。そこにはある種の神秘性すらあります。圧倒的なディスコミュニケーションの中の、一筋の奇跡的な意思疎通

これに対して庵野さんの作品の人外は、わりとメンタリティがヒトにとって理解しやすい。ナディアのガーゴイルとかもそうだし、エヴァもカヲルはめっちゃヒトらしい感性を持ってました。シン・仮面ライダーのオーグ達もそうです。まあザラブもメフィラスもゾーフィもヤバいんですが、その主張自体はロジカルには理解できてしまうんですよね。理解できるからこその怖さ。神永(リピア)は常に理路整然としていて、ベーターシステムの原理も論文と数式というきわめて客観的な手段で共有される。光の国の住人のメンタリティは人類の延長線上にあって、いつかきっとヒトはそこに到達するだろうと思わせる科学賛歌

地球外知性自体の描き方が対照的なのかというと、どうもそうとも言えない気がします。ある意味、前節でも見たようにウタと神永のメンタリティは非常に類似していて、むしろそれを取り巻く人類側のメンタリティの違いが現れているのかもしれません。『バブル』の世界にも『シン・ウルトラマン』に近い考えを持った人々はいたかもしれませんし、逆もまたしかりです。いつか人類がウタやリピアのような知性とのファーストコンタクトを果たした暁にどちらのシナリオに近い結果になるかはわかりません。ですが、おそらくどちらも人類の本質であって、対照的な二つの立場を浮き彫りにしてくれたのがこれらの作品なのかなという気がしました。その違いがそのまま、宇宙の深遠な真理としての数式(「神の数式」)と、到達可能な足がかりとしての数式(「人類の英智の結晶」)、という描き方に現れてるのかなと思いました。

かなり乱暴な整理ですがご容赦ください。ですが、どちらもSFとして実に秀逸だと思うし、そのための小道具として数式が使われてるとも言えて、この二つの作品を対比してみる作業は個人的に非常に楽しかったです。

以上、数式記法を書きたかっただけの与太話でした!

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『バブル』については以前記事を書きました。

『シン・ウルトラマン』についてはふせったーでいくつか感想をつぶやいています。今とは少し違う感想な部分もありますが、この記事の源流かもしれません。

参考文献


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