last train home
昨夜、私の祖母が亡くなった。
齢98の大往生である。
祖母は家にいた時から、次第に私たちのことを誰だか判らなくなっていて、それでも曾孫である私の子どもたちを連れて行くと「あら、可愛いボクちゃんたち、いらっしゃい!」と笑顔で迎えてくれた。
グループホームに入居し数年、コロナ禍になり最後に会うことができたのは確か一昨年で。
施設の入口に車椅子で連れて来られた祖母の瞳は霞みがかっていて、空(くう)を見つめていた。その様子を目の当たりにし、祖母に会いたいというのはもはや自己満足でしかないと感じた私は、それからグループホームに行くことは無かった。
祖母から足が遠のき、かなりの高齢ということもあって、死が祖母をいつ迎えに来てもおかしくない状況だったので、その日はごく自然にこれという感慨もなくやってくるのかもしれないと思っていた。
昨夜21時過ぎに母から知らせを受けて、これまでの様々な祖母との情景が駆け巡った私は、ああ見送る側にも走馬灯ってあるんだな、と涙を流しながらも冷静に考えた。
バスに揺られて都内まで買い物に連れて行ってもらったこと。その時に動物の柄のシャツブラウスを買ってもらったなぁ、とか。
泊まりに行った時にお風呂で頭を洗ってもらったこと。そのあと眠る時に隣の部屋から聞こえてくる祖父母の話し声と欄間から漏れる光。
優しく私に呼び掛ける声。
両親共に厳しく不機嫌がデフォルトで。
ふたりの顔色を伺いながら育った私は、この祖母と母の妹だけが心ゆくまで甘えられる相手だった。
これでもう、ふたりともいなくなってしまった。
齢98の大往生であるし、何もわからなくなっていた祖母のことや祖母がそうなってからの叔父叔母や私の母のこれまでを思うと、そこまで悲しみに暮れることはないと母には笑われてしまいそうなくらい、今私はぐずぐずの砂人形のようになっているのであった。
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