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ディスタンクシオン⇒卓越化⇒ドーダ?? 難解なブルデューを読み解く回~石井 洋二郎 × 鹿島 茂、石井 洋二郎『ブルデュー『ディスタンクシオン』講義』を読む~

今月の月刊ALL REVIEWS、ノンフィクション部門はピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』を取り上げます。NHKの番組『100分de名著』で取り上げられて興味を持った人も多いのでは?
解説いただくのはブルデューの翻訳者にして東京大学名誉教授の石井洋二郎先生。鹿島さんとは東京大学の先輩・後輩の間柄ですが、本格的な対談はこれが初めて。お二人のフランス語の知識を背景に話は進んでいきます。
※対談は2020年1月16日に行われました。
※お二人の対談動画はこちらから購入できます。(1500円+税)
https://peatix.com/event/1981442/view

『卓越化』は名訳

最初に鹿島先生からブルデューの『ディスタンクシオン』の紹介。石井さんによる翻訳書と解説本3冊を手に話を進めていきます。特に評価が高いのは石井さんの解説書『差異と欲望』

鹿島さんいわく、バルザックやプルーストに馴染みのある人には『ディスタンクシオン』はわかりやすいが、難しい。フランスの階級社会を体現した『ディスタンクシオン』。鹿島さんはまず『ディスタンクシオン』の意味について石井さんに尋ねます。

石井さんによるとDistinctionは英語で動詞になるとDistinguish。AとBを区別すること。しかし、これは単に、区別するだけではなく、Aが「より良い」という差別化のニュアンスも含んでいるとのこと。石井さんは「差別」という日本語が持つニュアンスを考慮し、「卓越化」と訳します。それは、私はあなたより優れているという意味も持っている。

鹿島さんは「卓越化」という邦訳を高く評価します。鹿島さんはこの卓越化は、東海林さだおが多用する「ドーダ」に近いのではといいます。東海林さだおの世界では、銀座のクラブに行った作家が「俺は寝ていない!」ということは「寝れないくらい売れっ子だ」という暗喩となります。

趣味(goût)は闘争

ブルデューを読み解くにあたり、重要な概念が趣味(goût)です。石井さんの『ディスタンクシオン講義』の第一講のタイトルは『趣味とは闘争である』。ブルデューによると趣味は個人の好き嫌いではなく、社会的に規定されるものです。そして人々は、「趣味の良さ」を競っている。マウンティングの世界です。鹿島さんによると「いわく言い難いけど、私はあなたとは違うのよ」ということを示すもの。

上流階級的な趣味は「正当性(Légitimité)」を獲得します。Légitimitéは合法という意味もありますが、石井さんは「正当性」と訳しています。鹿島さんはこの翻訳も評価します。

ブルデューは趣味の例として音楽や芸能、絵画などについて具体例を挙げて調べています。例えば音楽では、膨大な社会観察をもとに、所属する階級により、好きな音楽が変わるということを実証していきます。上流階級や中流階級は庶民階級に比べてクラッシック音楽を好む。クラッシック音楽の中でも、上流階級はヨハン・シュトラウスよりバッハを好み、中流階級はヨハン・シュトラウスのほうが好き
シャンソンの分野ではジョルジュ・ブラッサンス、レオ・フェレ、ジョルジュ・ゲタリ、ペチュラ・クラークの名前を上げて調べています。前者2人は上流階級好み、後者2人は庶民階級好みです。日本では、前者2人は知っていても、後者2人は知らない人も多いのでは。フランス通の鹿島さんでさえ、ゲタリのことはご存知なかった模様。このため、鹿島さんはゲタリをYouTubeで探し、『三波春夫のような人』と形容しました。この分析だけを見ると、「上流階級好みの歌手の方が国際的な活躍をするのかしら?」と推測してしまいますが、ブルデューは膨大な観察をもとにアンケート調査をしているので、歌手について安易なレッテル貼りは禁物です。ブルデューの原著では、日本でもよく知られたシャンソン歌手シャルル・アズナブールは中の下の階層に好まれた歌手と分析されています。

次に説明されるのは「文化資本」についてです。経済資本というのは文字通り経済力、これに対して文化資本とは

「経済資本のように数字的に定量化することはできないが、金銭・財力と同じように、社会生活において一種の資本として機能することができる種々の文化的要素」『差異と欲望』P.25

この文化資本は、「身体化された文化資本」、「客体化された文化資本」、「制度化された文化資本」にわけることができます。
身体化された文化資本というのは知識や教養のこと。客体化された文化資本というのは、書籍や絵画のような持ち物のこと。石井さんは鹿島さんの背景に映り込んだ蔵書はまさに「客体化された文化資本」そのものだといいます。「制度化された文化資本」は学歴や資格のこと。日本であれば茶道や華道の免状も制度化された文化資本にあたるかもしれません。

この文化資本の格差が拡大しているのではないかと鹿島さんは懸念します。鹿島さんの世代はまだ「1億総中流」ということが信じられていた世代。多くの家庭にピアノや文学全集、ジョニ黒が置かれていた時代です。

令和の今は経済力の格差が広がり、文化資本の格差も広がっている。文化資本の格差は受け継がれていってしまうのでは、と鹿島さんは懸念します。

庶民階級は固定化ー社会の中のポジションー

ここで、社会的位置空間と生活的位置空間を示す図が登場します(「『ディスタンクシオン』講義』」図2,図3参照(口絵))。

この図は縦軸に経済資本と文化資本を足し合わせた資本量横軸に資本構成比(経済資本と文化資本の比率)をとります。上の方が、資本を持っている、右のほうが経済資本が勝っているということになります。右側に属するのは、資本量が多いのが、商業経営者、資本量が少ないのが自営業。左側に属するのは、資本量が多いのが教職員や芸術制作者、そして下には、単純労働者や農業労働者が属します。

この図で人は社会的な位置づけにより、生活様式も変わってくるということを示しています。資本量が多く、経済資本と文化資本が拮抗しているのは、自由業に多く、趣味としてピアノや、ゴルフがあがってきます。一方、労働者階級が好むのは、サッカーやラグビー。料理ではジャガイモやパスタ、脂身の肉です。この図をみると「正当性」をもった趣味がなんであるかがわかります。

ブルデューは時間軸にも注目します。中流階級から上流階級に上がっていく人、上流階級から資本量を落とす人はいます。しかし、上流階級は、経済力は失っても「文化資本」は失いません。これに対し、庶民階級は上昇していくことが難しい。ブルデューが描いたのは60年代のフランスの状況です。2020年代のフランスは移民の拡大や女性の地位向上により、状況が変化しているのか、あるいは変化していないのか、興味が持たれるところです。

人はいろいろな趣味を持ち、それぞれのchampでドータ競争をしていきます。このchampは社会学では「界」と訳されますが、石井先生は「場」と訳します。「場」と訳することにより、野球「場」、サッカー「場」のように場で戦うというニュアンスを出すことができます。ちなみに、英訳ではfieldと訳されています。この場は固定ではなく、新たな関係性の中で形成されていくもので、この場は動くものであるということを理解することで重要なことです。鹿島さんはフロイトの力動論からとったのかなあと類推します。

「ハビトゥス」とは何か?

いよいよ『ディスタンクシオン』の中心概念、「ハビトゥス」の説明に入ります。『ディスタンクシオン』の中でどう描かれているかをみてみましょう。

ハビトゥスはは構造化する構造、つまり慣習行動および慣習行動の知覚を組織する構造であると同時に、構造化された構造でもある。なぜなら社会界の知覚を組織する論理的集合(クラス)への分割原理とは、それ自体が社会階級(クラス)への分割が身体化された結果であるからだ。
『ディスタンクシオンⅠ』新装版 P.281

上記を読んだだけでは、さっぱりわかりません。印象に残るのは「クラス」で韻を踏んでいることくらい。

石井さんは、習慣と対比することで「ハビトゥス」がわかるといいます。朝、歯磨きするのは習慣で、機械的な反復行為です。これに対し、「ハビトゥス」とはなにか。石井さんはスポーツの例を出します。スポーツは練習をしてうまくなります。しかし、実際の試合では、臨機応変に対応しなくてはならない。この臨機応変な対応力が「ハビトゥス」です。

つまり「ハビトゥス」は新たな慣習行動を生成することができる「強力な生成母胎」なのです。

鹿島さんはうまい小説家は「ハビトゥス」が書けるのではないかといいます。バルザックの「ゴリオ爺さん」に出てくるボケール夫人は、衣装、話し方、収入などが事細かに書かれています。これが構造化された構造です。それだけではありません。読者はボケール夫人はどのような行動をするかがわかるのです。これが構造化する構造です。

贅沢趣味と必要趣味

ここでまた趣味の話が出てきます。趣味には2種類ある、贅沢趣味と必要趣味です。贅沢趣味というのは、我々一般が思うちょっと贅沢な趣味のことです。それでは必要趣味というものは何か?
ブルデューは庶民階級は殆ど贅沢趣味を手に入れることができないといいます。このため庶民は自分の手に入るものが趣味となり、それが好きになると分析します。例えば、庶民階級は経済上の理由からジャガイモしか食べられないのですが、ジャガイモが好きになるのです。

鹿島さんはウィリスの『ハマータウンの野郎ども』を例に出します。英国の庶民階級を書いたこの本によると、庶民階級は上級学校に行くという意欲すらなくなります。

趣味を分析するのにもう一つ重要なのは"Bonne Volonté" (善意)です。中産階級はちょっと努力すると何とかなるのではないかと思っている。やればできる位置にあるので、自分の手に入る可能性のある上流の趣味は否定しない。上に行きたいという気持ち、これが善意です。善意と訳したのは石井さんで、これも良い訳だと鹿島さんはいいます。

鹿島さんは、日本は善意の中産階級がかつては厚い層をなしていた。文学全集というのはまさに善意の塊である。鹿島さんはALL REVIEWSを作ったとき、本を耐久消費財に戻したいというマニフェストを作りました。文学全集は当時は耐久消費財で、善意の中産階級の客体化された文化資本です。

また、鹿島さんは、映画「アニー・ホール」でウッディ・アレンがグルーチョ・マルクスの科白を引用し「自分を入れてくれるクラブには入りたくない」といっていることを思い出します。中産階級はちょっと上の、自分が入れないクラブに入りたい、でも自分を認めてくれると、その瞬間、自分が入りたいクラブでなくなるという中産階級の心情、これはまさに日本人ではないかと結論づけます。

※お二人の対談動画はこちらから購入できます。(1500円+税)

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と、本稿まとめている1月20日、宇佐見りん『推し、燃ゆ』が芥川賞受賞。主人公は令和の日本でアイドルを推すことに生きがいを感じている女子高生。中産階級に属していますが、学業が振るわず、両親からも見捨てられそうになっています。アイドルを推すという趣味生活がアイドルの不祥事で風前の灯火となり、主人公がアイドルを推す贅沢趣味生活から日常生活で満足する必要趣味生活におちていく予感がする小説です。

どうでしょう?ブルデューを齧るといろいろと応用ができ、「ドーダ」ができるかもしれん。

月刊ALL REVIEWS友の会では2020年9月に早々に『推し、燃ゆ』を取り上げました。

新進芥川賞作家からブルデューまで。読書の幅を広げて、文化資本長者になりませんか?

【記事を書いた人】くるくる

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