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田中正造伝記32

1889年2月11日
大日本帝国憲法が発布されました。
どうして2月11日だったかというと、
天皇が仕組みとして生まれたのが太陽暦で2月11日とされたからです。
同年、第1回総選挙が行われ、7月1日に投票が行われました。
ただし、当時は現在のように一定の年齢に達した男女に投票権があったのではありませんでした
年に国税15円以上(庶民の月収が最高で3円)を納めた25歳以上の男性のみに選挙権が与えられたのです。
言い替えると金持ちしか投票出来なかったという事だったのです。
これが

制限選挙です。

また、被選挙権は同じく国税15円を納めた30歳以上の男性に認められていました。
田中正造はこの総選挙の第1回目から出馬しています。
彼は元々裕福な身分ではありましたが、
西南戦争に伴う土地の売買の利益で資産がありましたので、これらの要件は満たしていました。
さらに、新聞の経営と、県会議員の実績もあり、当選を果たしました。





































































































































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