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握りしめてる手をはなすとき。

何かピンチなことが起こったとき、あなたはどんな行動をとりますか?

これまで私は「何とかしなきゃ!」と焦って必死で打開策を考え行動してきました。

そしてその試みが上手く行かないと「やり方が間違ってるのかな?」と手を変え品を変え「何とかしよう」としてきました。

結果何とかなったことはあったけど、頑張りの割に解決度合は低く「まぁそれでいっか」と妥協する程度の何とかなり具合でした。

長い間、頑張ることしか解決策を知らなかったから割の合わない努力でもやってきたけれど、そろそろそれも出来なくなってきました。

もうやりたくないことは出来ない。

そうなんです。

「何とかしなきゃ」と思っている出来事はホントは「やりたくないこと」なのです。

だから「何とかしなきゃ」という発想になる。

本来やりたいことをやっている中で起こるアクシデントは「どうやったらクリアできるかな?」という考え方になるはず。

想像してみてください。

ゲームを楽しんでる最中、行く先を阻む障害物が出てきたときどんなリアクションになりますか?

きっと「おっと!そうきたか。ふふふ、負けへんもんね」と軽くあしらう感じで対峙しますよね。

一方、やりたくない仕事をしているときに遭遇するハプニングに対してはどうでしょう?

「めんどくさいことが起きてしまった。でも何とかしなきゃ」という反応になるのではないでしょうか。

このとき出るバイブレーションの違いは歴然です。

「何とかしなきゃ」の根底にあるのは不安や恐れ。
それを解決できなければ自分の身が危ぶまれるからどうにかしなくては、という恐怖があります。

「どうやったらクリアできるかな?」には、クリアできることが前提となっているから余裕があるし、何なら解決することさえも「楽しんでしまおう」という軽やかさがある。

どっちが何とかなるかと言えばやはり軽い方です。

これはどんなことでも同じで重いものと軽いもの。
どちらが動きやすいかと言えば軽い方ですよね。

それに氣づいてから「何とかしなきゃ」が出てきたときは一旦保留にすることにしています。

ホントは「人生はゲーム。自分の望むGOALにたどり着くのは当たり前なのだから、その途中に出て来るハプニングはゲームを楽しむための要素」という設定にしたいのですが正直まだそこまで行けず…。

なので今は何かややこしいことが起こったときは何もせず

「私にはどうすればいいのか分かりません。流れに任せますのでよきように解決してください」

と天にお願いし放置しています。

ここでポイントは「どうにかしてください!!」と力まないこと。
ぎゅっと力が入ると「何とかしなきゃ」と同じバイブレーションになってしまうからです。

天にお願いした結果。
これまでの経験から言うと「ミラクルな出来事が起こって解決!」なんてことはないけれど、一旦力が抜けることで思いもつかなかった解決策が浮かんだり、「この人にこんな話しようと思ってなかったんだけれど」という予想外の言動から打開策に繋がった、という流れが起こっています。

結局行動するのは自分なのだけれど、それが今までの自分の範疇を超えているといった感じです。

私たちは目に見えない存在たちにサポートされて生きています。

人によってその思いを向ける先が神さまや宇宙、大いなる存在、ご先祖様、守護天使、守護霊など色々あると思いますが、そのどれであっても自分が信じるものが自分とつながりの深いもののはずです。

「もうダメ。もうムリ」なんて時は、問題を握りしめてる手を一旦ほどきましょう。それだけでもずいぶんラクになります。

「自分ひとりで何とかしなきゃ」という思いが消えたとき、目に見えない存在の介入が入るような氣がしています。


今日も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。

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