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自分を一番にする。相手が誰であろうとも。

私がホントの自分で生きると決めたとき、最初に誓ったのが

『 相手が誰であろうと、自分を一番大切にする 』

でした。

自己犠牲マインドで生きてきた私は、自分を蔑ろにして相手を優先することが「優しさ」だと勘違いしてきました。

それが「愛」だと思ってた。

でもそれは違うどころか、セルフDVだったと分かったとき

これからはどんな場合でも、相手が誰でも、まずは自分を一番に考える!と決めたのです。

先日もそれを試されるような出来事がありました。


知り合いのAさんにある製品のモニターをしてくれないかと頼まれました。

Aさんのお知り合いBさんが洗顔料の元となる粉末を開発したので、2週間それを試して効果を報告してほしいとのこと。

その商品開発にAさんは何の関りもなく、ただ知人であるBさんがモニターが足らず困っているというので私に声がかかったというワケです。

Aさんには日ごろお世話になっていることもあり、「私で協力できるなら」とOKし、Bさんにお会いして直接製品の説明を受けることになりました。

お話を聞いた数日後、Bさんの事務所へ。

こじんまりとしたビルの3階にオフィスはありました。

エレベーターを降りると扉もなく、すぐオフィスという作りのそこは、入った途端、閉塞感とまではいかずとも、なにやら空氣が静止している感じを受けました。

初対面のBさんは笑顔なものの、どこか疲れた印象で、忙しくて今日も事務所は自分ひとりなのでより忙しさが増しているとのこと。

通された机の上にはこれから説明を受けるであろう製品が置かれていたのですが、他の関係ないものもごちゃごちゃと色々置いてあり、その製品への思いが感じられないというか、大切に開発されたものとは思えませんでした。

よく見ると部屋に置かれているものすべてが雑然としています。

この時点で私の中では「大丈夫かなぁ…」という思いが湧いていました。

そんな中始まったモニター商品の説明ですが、お話の間に何度もBさんの携帯電話がなり、その度に電話に出られるので話が途切れ途切れで進みません。

次第に私の中でBさんに対する不信感がつのります。

「Aさんにお願いされたから来たけれど、Bさんの態度って誠意がないんじゃない?」

そう思いながらも商品の説明を聞いていたのですが、第一印象の通り最初から最後までBさんの製品に対する愛を全く感じることができませんでした。

「あかん。もうムリや…」

最後までお話を聞いた後、今後のスケジュールについて説明を受ける段で私はついに口を開きます。

「ごめんなさい。今回のお話一旦保留にさせてもらえませんか?」

Bさんは「えっ?」と驚いた表情。

「えっと…。申し訳ないんですが正直、ご協力できる自信がないので。ここまでお話を聞いたのにホントごめんなさい」

「えっ? なんで? 何か氣を悪くされましたか?」
と何度も聞かれましたが私は

「ホンマごめんなさい」
を繰り返し、私は事務所を後にしました。

一瞬Bさんとの間に氣まづい空気が流れたし、ドキドキしたけれどオフィスを出た私は自分の正直な思いである「NO」を伝えらえて爽快感で一杯でした。

正直「ここで断ったらAさんの面目をつぶすことになるのでは?」とか色々考えたけれど、氣持ちよく協力できないことを引き受けてもお互いいいことはない。

第一、Aさんがどうとか、Bさんがどうと言うより

「私は私の氣持ちを大切にしたい!」

という思いが強かったので、それをそのまま行動できた自分がすごくステキに思えたのでした。

Aさんには後日、正直な氣持ちをお話したら

「あの人悪いひとじゃないけど、そういうとこあるからね」と笑っておられました。


これまでの私であればガマンしてモニターを引き受けてたと思います。

でもそれだと私はホントの私の思いを無視したことになり、自分への愛が欠如している。

自分を大切にするということは、相手が誰であろうと関係ありません。

それは時に勇氣のいる場面もあるけれど、その壁を少しづつ登っていくとそれはいつしか自信となり、ゆるぎない自分軸ができている。

私のその軸はまだ不安定なとこもあるけれど、少しづつ太くしていけばいい。今回の事はそれを再確認するような出来事でした。


今日も読みに来てくださり、ありがとうございます。
また書きます。








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