意見が食い違う=衝突する、という思い込み。
私はこれまで生きてきた長い年月「心おだやかに過ごしたい」、そんな思いがとても強かったです。
私の持っている本質が「心地よい空間が何よりも大切」というものでもあるし、育った環境がおだやかでいられないことが多かったので、よりそれを望む氣持ちが強かったのだと思います。
まぁその本質を知るために自分がそういった環境を選んで生まれてきたのですが。
だから他者と関わるとき、ぶつかることがコワイ。
特に対象が家族やパートナーといった身近な人の場合はそれが顕著に表れ、その場の調和を一番に考えるあまり、自分の本音を抑えることを知らず知らずにやってきてしまった。
それがついに崩壊し、ホントの私で生きると決めたとき、対峙せねばならなくなったのが自分の氣持ちを伝える際に生まれる他者との摩擦でした。
私が自分の心を出せるのはほんのひと握りの人たちです。
コワがりで用心深く、そのためじっくり相手を観察して「この人なら大丈夫」というOKが出た人でないと心をみせることをしません。
が、一旦そこにゆるしが出るとどこまでも自分をOPENにし、相手のことを深く愛します。
なので氣をつけないと、自分と他者との間の境界線がなくなってしまう。それが月/蠍座の特性だと実感しています。
その性質ゆえにパートナーには心を開いてるつもりでいたのにそうではなかった。これを知ったときは愕然としました。
こんなにも長い間一緒にいたのに何をしていたんだろう…と。
自分のことより相手を大切に思うがあまり、本音をスル―してきたんです。無自覚のうちに。
家族やパートナーとの関係崩壊から自分と向き合うようになり、本氣で自分を生きると腹をくくったとき、一番コワかったのがパートナーにホントの思いを伝えることでした。
つい最近氣づいたことなのですが、私の中には「意見が食い違う=衝突する」という思い込みがありました。
水と油のように正反対の意見を持ち、それをバチバチに激しくぶつけ合うことでしか相手に思いを伝える術を知らなかった両親を見ていてそんな刷り込みが出来上がったのだと思います。
ぶつかり合いを重ねたからといってそこに信頼や調和が築かれていくわけでもなく、どこまでいっても平行線の二人。
こんな夫婦にだけはなりたくない。
その思いが「衝突を避けたい」という願いになり、自分を抑えてきたんだなぁと今頃になってわかりました。
昨年夏、自分と向き合う深い学びを終了した後、これからはどんなことがあっても自分の氣持ちをごまかさず正直に相手に伝えようと決めました。
特にパートナーには。
場の雰囲氣や相手の反応によって自分を変えない。
どこまでも私は私に誠実でいる。
日和ってしまいそうな自分が出てきたときいつも自分に言い聞かせていました。
なので先日友人の話を聞いたとき、こんな言葉が出てきたのだと思います。
私が彼女にかけた言葉は、これまでずっと私が自分にかけてきた言葉だったんですね。
自分の中に他者を介入させることなく、100%本来の自分で生きられるようになったとき、人はどっしりと根を張って自分の人生を生きていけるのだと思います。
私は私でいていい、という安心感を持って。
自分に正直であることを誓って一年。
パートナーにホントの氣持ちを伝えてきたつもりでした。
が、なぜか上手くかみ合わない。
なんでやろ?
よくよく見ていくと本音と思っていた裏には、私の「不」がかくれてた。
だからか…。
納得し、今そんな自分をやさしく見つめています。
このことはまた別の機会に。
今日も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。
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