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親に言われた言葉が事実ではなかったと氣づくとき、ホントの自分が姿を現します。

私たちは知らず知らずのうちに親に植えつけられた価値観の中で生きており、それが生きづらさの原因になっています。


今朝そのことを実感する氣づきがありました。

朝目を覚ますとふと

「あんたは難しいなぁ」

と言う言葉がポンと頭の中に浮かびました。

これは母の言葉。

小学生のころ、母が買ってきた洋服を私が氣にいらず拒否したときに言われた言葉です。

それを言われたとき私は母の好みを受け入れられない自分を責めると同時に

「私は難しいんや」

とインプットしてしまったのです。

それ以降も何か選択しようとするとき、既存のものが好みに合わず迷いが生じると

「あー私は難しいから。だからあるものの中から選ばれへんのや」

と「難しい自分」を否定し、どんどん自分を「難しい人」にしていきました。

そしてそのうち「難しい自分」を肯定するべく

「難しいことに価値がある」
「難しいことが真理である」
「難しい私はすばらしい」

とさらに誤った認識を重ね自分の周りを「難しい」でいっぱいにしてしまっていました(なんてこった…)。

だから目の前の現実がいつも難しくて大変だったのです。

修行モードの人生を選択していたことには氣づき手放していたつもりだったけど、まだあった。

というか根本原因がここやった。

親のひと言って影響力大です。
素直な子供の心にはすぐ浸透してしまう。

そして大人になってもずっと残ってる。
こうやって氣づくまでは。

私に限らずこういう人って多いと思います。
親の言葉を採用し、ホントの自分に氣づけずにいる人。

なんか息苦しい、どこか重い、いつも心がざわざわしている…。
それは本来の自分を生きてない証拠です。

そんな方は他者の力を借りてまずは自分を知ることから始めた方がいい。

傷ついているなら心を癒すセラピーも大事。

そしてそれと同じぐらい大切なのは自分の氣質を知ること。
氣質とは持って生まれた性質のことです。

これは自分では当たり前になっているので、一人では氣づくことが難しい。
人から言われて初めて自分の質を客観的に見れるのです。

自分の本質を知ることは、親の価値観や言葉を採用し、自分に誤った設定をしていたことに氣づくきっかけになります。

そしてそれは自分を愛することにもつながる。


設定ミスに氣づいたらあとは簡単。

過去の親の言葉に捉われず、ここから自分がどうしたいか?

何を選択するか?を決めるだけ。


私は「簡単」を選択した。

「簡単なことに価値がある」
「簡単が真理だ」
「簡単な私はすばらしい」

そもそも私は数秘でも示されているように持って生まれた氣質も、歩んでいく人生も「3」。

思いっきり子供なのです。

無邪気で単純で簡単な子供が、大人に憧れて「難しい」を採用してしまっていた(そりゃしんどいわ)。

そうやった、そうやった。
本来の私はこっちやった。

それに氣づき、自分を本来の道に軌道修正したとき

な~んや。
それでよかったんや。

ホッとした感覚が生まれました。

「難しい私」を手放し「簡単な私」に戻っていく。

私はまた少しホントの自分に近づきました。


今日も読みに来てくれてありがとうございます。
また書きます。











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