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一生懸命は恥ずかしい?と言う話✍️

仕事を一生懸命やるとか、
勉強を一生懸命やるとか、
好きなことを一生懸命やると言うのは
(宣言するのは)
恥ずかしいですか??

人に問うているようで、
自分への問いです。

学生時代の頃はよくありました。
「テスト勉強全然してないよ〜」
と言って猛勉強する人。

はい🙋‍♀️私はそのタイプ。

一生懸命やってダメだった時のことを思うと、
「勉強してる」と言えない。

今でもまだ抜け出せてない部分があるなぁと感じたので書きます✍️


やれば出来ると信じてやってみる時点で、
結果が失敗・上手くいかなかったとしても
その過程は知識と経験になり、
それが「無駄」には
実際ならないというのは、
大抵の大人なら「頭では」理解できると思います。

なのに、
まだまだそこを心で、
お腹の奥で理解しきれてない気がするのです。

「出来るかわかんないんだけどね、とりあえず、やってみよーと思って」

私がこの投稿のことを
人に話していて、自分で気付いたのです。

さっきの言葉の、
「出来るかわからないけど」
「とりあえず」

これって自分に対する「出来ないこともあるかもしれないよ」と匂わすことで、

出来なかったときの言い訳を用意しているのです。
それはそれは、もう自然と、
大地を流れる川のように(どう言う例え?笑)
言葉に発していたのです。

最初から、
「やりたいと思ったから、やってみようと思って!」
そう言い切れてない自分に
とてもモヤモヤしました。

「やったけど出来なかった人」になりたくないから、
やっても出来ない自分に「❌」がついてしまうのが怖くて、
更には自分には「価値がない」と自分で思いたくないから、
失敗=ダメ人間(恥ずかしいこと)だと、
自分がまだ思っているから。


一生懸命やらずに(一生懸命やると宣言せずに)
「やれば出来る」のままにして、
「ちゃんとやったら出来ると思うけど、ただやっていないだけ」
と言う、自分への可能性を残して
逃げ道を用意して、
自分を守ろうとしていること、
無意識のうちに多いんじゃないかなと思ったのです。

でもでも、
その「できなかった時の保険」、かける意味あるのかな?。。

先日の投稿にも繋がります。
「子育て中だから好きな服着れない」

「子供がいることが原因で、こんなラフな格好してるけど、それは不可抗力で、私は望んでないけど、仕方がないんですよ。私、悪くないんですよ。」

と、言い訳している。

「言い訳」が、
体に、言葉に、染み付いているなぁと思ったのでした。

そこに気付いたことで、私も一歩前に進めるのかな。

もう一度問います。
一生懸命やることって(宣言することって)
恥ずかしいことですか??

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