見出し画像

自分に「あるもの」数えてますか?と言う話✍️




4月から復帰すると決めていた当時を思い返すと、


いざ復帰先が決まり、
3月もあとわずかという当時。

現実味が増してきて、
とても、そわそわ・モヤモヤ・不安・心配。

ついには、これが本当に私の望む幸せなのか?
と、思っていました。

というのも、
長女の濃厚接触者認定による自粛期間により、
普段から予定を入れたがりで、
行きたいところにたくさん行き、
やりたいことを全部やりたい!

そんな私にとって、
すっぴんでジーパンスウェットで
ダラダラと丸4.5日過ごしてみて、
とても新鮮で、そして心地の良さに気付いてしまったのです🥺

こうやって満たされる方法があったのか!
と、今なって気付きました。

育休が2年もあり、
ダラダラする時間は山ほどあったのに、
今になって知る「ダラダラの幸せ」

その幸せを知ってしまったら、
もうただの通常主婦モードに戻すのすら、
かなりエンジンかけないと辛かった。

起きて朝ごはんを作りながら、
自分の身支度、朝ごはん、子供の準備、洗濯、送迎などなど。

それを時間に間に合うようにこなすだけで、
とても負荷がかかるのだなと再確認しました。

そうなると、
私って本当にこの生活を望んでいるのか?
こんなに慌ただしい朝を過ごすことが
私の幸せなのか?
そう思いはじめていました。

つまるところ、ないものねだり。

忙しい時はゆっくりする時間が欲しいと思い、

ゆっくりする時間が山のようにあるときは
ちょっと忙しく充実することを望み、

それに終わりが見えた途端、

ゆったりとした時間にすがる思いで、

今までしてきた活動的な行動を否定し、

もっとのんびり過ごせばよかったと後悔すら感じるようになっていました。

でもそれは、本当は違う。

育休という大義名分の自由時間を手に入れたその時の私は、

のんびり何もせず子供とだけ向き合って過ごす毎日に嫌気が差し、

せっかくなら、子供と一緒に、
やりたいことをして、
活動的に過ごしたい!と動いてきたはずなのです。

だから、予定がない日もメイクをしていたし、
一応出かけられる服を着ていました。

今になって、
その当時やりたいと思った自分の思いや行動を否定するような事はしたくない。

私はこの2年間、
平日にショッピングモールに行くことも、
子供と一緒にお散歩することも、
お昼寝も、
おやつパーティーも、
ランチにもモーニングにも行き、
友達にも会い、
英語やネイル、エステ、ケーキ屋さん発掘、スタバ、パン屋さん発掘、お庭プール、雪遊び…

ダラダラしてこなかったことを悔やむ前に、
私は「してきたこと」がたくさんあったのだ!!

そのしてきた沢山のことは、
その時私がやりたいと思ったこと。

毎朝メイクをして着替えることも、
子供達に希望の朝ごはんを作ってあげることも、
多少バタバタしても朝のうちに洗濯や掃除を済ませることも、
私がやりたかったから、やってきたんだ。

「ないものを数えるのではなく、あるものに目を向ける」

だから私は何も、もったいない2年間を過ごしてきたわけでは無いんだ!と、気付いたのです。

私は私なりにこの2年間を楽しもうと、
毎日少しずつ少しずつそうやって過ごしてきた。

その楽しかった日々が走馬灯のように蘇り、
胸が熱くなったのです。

まるでその日々とお別れしないといけないかのように。

今まで送ってきた幸せな生活の日々を振り返り、
もう二度と戻れないような、
懐かしさや寂しさ、もどかしさや期待、
これで良かったのかなという自信がない気持ち。
こらから進んでいくんだと前を向く気持ち。
いろんな感情が混ざり、
それぞれ門出を迎えていくだなぁと、
思いを巡らせるのでした。

あなたは「ないものねだり」してますか?
「あるもの数え」しませんか?☺︎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?