今日から10月。


中国語の勉強を始めることになってから、約1ヶ月が過ぎた。
ヒョンな偶然が重なり、初めて日本語カタコトの同世代の中国人の友人ができたことがキッカケではあったが、ここまで夢中になり、のめり込むことになるとは自分でも驚いている。

半世紀以上生きてきて、お隣の国なのに興味を持つどころか、自分の人生の予定の中に関わりを持つなんて想像もしていなかった。

何故なんだろう…

不思議でたまらない。
日本に興味を持ち出したのも、50歳を過ぎてからだった。
若い頃は欧米人や欧米に憧れて、言語も文化や慣習やファッションや食べ物も、全て意識が欧米に向いていた。
旅行先もほとんどが英語が通じる場所。

日本という国の歴史を知れば知るほど、日本人が日本だと思っているものの大半が、大陸経由で渡ってきたもので形成されていて、我々が今現在享受している近代的なものはたったの数百年の歴史に過ぎないことがわかった。

神社や仏教も外来のものとの融合で、日本独特のカタチに作り変えてきたもので、オリジナルではない。

半世紀以上生きてきて、己の浅くて狭い知識や経験だけで、思い込みで形成されてきた価値観や先入観が音を立てて崩れていく。

いかにメディアや親や教育によって、洗脳されてきたのかを知り、カウンターパンチをくらい、完全にノックアウトされた。
このことを受け止め、焼け野原のような自分を立て直すのに、結構時間がかかった。

己の無知を知り、真に謙虚な気持ちになって、また小学一年生からやり直す勇気とやる気を取り戻せたことは、とても有意義な時間だった。

世の中を憂い、未来の行く末を憂い、今をイキイキと生きていけない時は、生きていることに感謝もできず、縮小していくだけの自分の将来に不安と憂鬱しかなかった。

でも今、お金でも成功でも依存でもなく、日々を楽しく感謝と満足を感じられる方法を手にした。

明日への希望は、自分の中にしかないということに気付けた。

若い頃から欲しいモノは手にし、仕事も充分頑張った。
大金持ちにはなれなかったけど、幸いそこそこ豊かな生活はできている。

自由奔放に、やりたいことはやり、楽しみという楽しみはもう享受してしまったと思い込んでいたが、死ぬまでにやりきれないほどの楽しみがあるということに気付けた。

ありがたいことだ。

漢字が好きで、字を書くことが好きなのだ。
音楽が好きで、見知らぬ国の見知らぬ人からまだ知らぬ言語や文化を知ることが好きなのだ。
太陽の日差しと爽やかな風、美しい景色が好きなのだ。

そして、人が笑っている姿を見るのが好きなのだ。
人が喜んでいるのが好きなのだ。

日々の一瞬一瞬の小さな「嬉しい」の積み重ねが、今日一日となり、一年となり、人生になっていくのだ。

テレビもスマホも私を喜ばせてはくれない。
イライラしたり、不安や不満を感じたり、薄っぺらな暇つぶしの欲求を少し満たしてくれるだけ。

ならば、昨日より今日、少しだけでも成長している自分を喜べる瞬間瞬間を選んで進もう。

私は今、毎日が楽しい。

ありがとうございます。

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