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日記|2023年12月20日|ホーム銭湯、至らなさを抱きしめる、me and youの日記文通

昨日から体調優れなかったが、今日は過眠過食ループに陥り、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき、という感じでダメだった。元ネタの短歌をわかる人がいたら嬉しい。気晴らしの日光浴も、気休めのブラッシュアップライフも、一時的には効くのだが、そのうち元の不調に戻ってしまう。

こんな時は銭湯しかないと、体にムチを打って行ったら、大正解だった。あつ湯で手足を伸ばし、水風呂で感覚の麻痺を味わい、冬の外気浴で体の芯から冷やすと、生きているという実感がある。2~3回ループしたら、最後はシメの炭酸泉で、体のどこにも力を入れずに、ただ浮力にすべてを委ねて、ぼーっとする。身体の外からの刺激は、強制的に思考を遮断してくれる。悪い気を断ち切る。

銭湯でぽつぽつ考え事をしていた。日記を書いて気づいたが、ほとんどの日で体調不良や心の不具合を書いている。私が私の至らなさや不足を認められてない、ということが原因とはわかったが、具体的に何がここまで追いつめているのか。病んでいることをアイデンティティにしたくない。どうにか自分なりの解というか、救済の術を見つけたい。アイデンティティにするのは、一生その自分と付き合っていかないと、という局面からでも遅くない。

この至らなさを抱きしめることができたら、もっとラクに生きられる気がする。そのためには、私自身が余裕をもつ必要がある。大体余裕なくなる時のパターンは見えている。仕事がうまくいかない/怒られる→悪感情でいっぱいになってストレスを溜める→帰ってもずっと仕事のことを考えて切り替えられない→疲労が限界に達して身の回りのことができなくなる→生活が荒れて栄養や睡眠が不足する→より生産性がおちて最初のマスに戻る、暗黒のループへという構造になっている。

だから、ベースで食生活と睡眠は死守して、そのうえで日々うまく悪感情を抜くこと、仕事とオフの明確なスイッチを手に入れると、ちょっとうまくいく気がする。見返した時のために、強調しておく。

食生活は最近、過食気味で炭水化物ばかり入れているので、意識してたんぱく質と野菜をとらないと。前メンタルやられた時も、炭水化物ばかりになってお医者さんに良くない、と言われたのを思い出した。とりあえず明日起きたらプロテイン。毎日飲む。睡眠は7.5時間切るとダメなので、あらかじめ天引きしてから、仕事やその他のことをする。

悪感情の抜き方は、日記で整理してまずは形式的にでも自分で認めていくしかない。悪感情で終わらせず、必ず救いの言葉をかけてあげるようにする。いつか人にできるようにするために、まず自分から慈しむ必要がある。

仕事とオフのスイッチは、五感を使うものが良い。音楽聞きながら日記を書いて、好きな入浴剤を入れて入浴、決まったお酒や食べ物を入れる、あたりが良い気がする。それかサードプレイス的なカフェやバーに寄る習慣ができたら、最高だな~。近場の通い詰めたいお店にでもフラッとよって、1杯飲んでから帰るとか。それかふらっと気になったお店で1杯飲んで帰るとか、でもいいかも。ちょっと見通しが立って、安心してきた。

また自己救済つまりセルフケアには、至らなさを抱きしめてあげるだけでなく、日々の幸せを通り過ぎずに、きちんと受け止めることが大切である。私の大好きな精神科医の先生も、その日の良かったことを3つ書き出そうと言っていた。

今日良かったこと、1,この日記のnoteをフォローしてくれた方が現れて何か認めてもらえたような実感が湧いた、2,銭湯前に喫茶店で読んだ『me and youの日記文通』がとても良くて日々の忙しなさを忘れさせてくれたこと、3,冒頭でも書いた銭湯で少しまともな思考を取り戻し、不調には銭湯と再確認したこと。

特に『me and youの日記文通』は素敵で、やっぱり買って良かった。日記祭でほぼ全部の日記に目を通したうえで、思想や言葉いちばん素敵だった。冒頭にある日記文通の思想が好き。

わかりやすい言葉を少しわきに置いておいて、誰に見せるでもない自分だけの言葉をまず書いてみること。その言葉を親密な場所ですこしだけオープンにすること。朧げな自分の思考の輪郭を朧げなまま認識し、それを共有することで、個人が個人のままでいながら誰かと生きる未知の豊かさに迷いながら辿り着けるのではないか?という実験の記録です。

『me and youの日記文通 message in a bottle』冒頭より引用

普段からわかりやすい言葉を意識せずに、感じたことをありのまま言葉にしているからか、日記文通はむしろ心地が良い表現が多かった。文通のなかでは、ワクワク感のある大人の遊び心や、はたまた表現や仕事に真摯に向き合うこと、何気ない日常のゆったりした雰囲気など、どれものびのびと書いてあって、日常の忙しなさや追い立てられている何かを忘れさせてくれる。

また文化人のお姉さま方の文通だと感じるのは、初めて聞く海外作家の名前が多いこと。作品名を挙げるとキリがないが、レベッカ・ソルニットの『ウォークス~歩くことの精神史~』を読んでみたいと思った。昔から思索と散歩の関係にはずっと興味がある。

特に印象的な日記は、2021年5月9日 「見知らぬ人の良い暮らしを祈り続ける人」という題の、由芽さんが海辺の家に内見に行った時の日記。すごく素敵な家で、吹き抜けや海の見えるバルコニー、手入れの行き届いた花や植物のうつくしい庭、自然と調和しながらも佇まいの美しさがある。でも、その家に住んでしまったら、もう出られないという感覚というか、どこにでもいけるという感覚を手放すことの恐れがあって、なくなく断りのメールを入れる話。

それに対しての万季さんの応答がまた素敵で、いたずらに慰めるではなく、スッと引いてそういうこともあるよね、と寄り添う姿勢に憧れる。

家も町もきっと素敵な場所で、ゆめさんが心から強く惹かれたんだろうなとひしと伝わってきました。どんなに素敵で、その場所に身を埋めたいと願っても、「いまは違う」と感じることってあるよね。それは場所だけでなく、仕事や人との関係なんかにも言えてるような気がする。

『me and youの日記文通 message in a bottle』
2021年5月9日 「見知らぬ人の良い暮らしを祈り続ける人」より引用

ああ、確かにあるな、という感情。タイミングとかご縁とか、運任せや何かうまくいかない時の言い訳みたいであんまり好きじゃない言葉だったけど、そうとしか言いようのない、確かにそこにあるものなんだな、と思った。単純だけど、そう思うと、今までうまくいかなかった仕事や人間関係を、いたずらに自分だけに起因させる考えから、すこし解放された気になる。

わからないけど確かにそこにあるもの、をちゃんと受け入れる。誰かだけのせいにしたり、特に自分のせいだけにしない。どちらのせいでもない、という解がある。またひとつ、良い考えをもらえた気がする。今日はゆっくり眠れそう。愛飲のキッコーマンの豆乳ココアをのんで、寝る支度をする。

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