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Evergreen Forever

第1章:Alley’s Life Chronicle

(1)My Life Kick Start

 おそらく僕は泣いていた。
 Long Islandにあるおばさんの家に遊びに来ていた時のことだ。僕の頭を撫でながらなだめる母親の声も聞こえない。しばらくして、由美子おばさんがキッチンから戻ってきて、僕の目の前に立った。僕と目線を合わせるようにしゃがみ込む。そして、アルカイックな笑顔を浮かべ、また澄まし顔に戻った。由美子おばさんは僕が泣き止むまで、僕の瞳をじっと見つめていた。
「あなたの人生はこれからちょっぴりハードになるわよ」と僕に尋ねるように言った。僕はただうなずいて、シャツの袖で涙を拭った。母親は何度か首を振り、大きなため息をついた。
「決まりね」
 父親が間の抜けた顔をしながら、廊下の奥の部屋から出てきた。彼はまだ何も知らない。母親がそんな父親の元にかけより、早口で話しかけている。
 父親は一瞬、驚いた表情を見せたものの、深くうなずき「そういう人生も面白そうじゃないか」と僕に聞こえるように大きな声で言った。
 その瞬間がすべての始まりだった。然るべき位置にキーが差し込まれ、ひねられる。うなりを上げ、エンジンが稼働する。重低音のアイドリング音が鳴り続けている。
 両親はそれから二日後に帰国した。最後に僕を抱き上げた父親は、その重さを確かめるようにゆっくりと上下に揺らしながら、目を細めて僕の表情を見ていた。僕は少しだけ泣いた。両親は二人とも笑顔だった。
 雲間に隠されていた月が顔を覗かせ、柔らかい光をレースのカーテンを通り抜けて運んでくる。その日、僕は眠ることができなかった。ベッドの上で 毛布にくるまり、いつもとは違う天井を見上げていた。僕は少しの不安を感じていたことを覚えている。
 午後になりホンダ製のセダンが、車寄せにゆっくりと近づいてくるのを僕は窓越しに見ていた。
 先におばさんが助手席から、続けておじさんが運転席から降りてきて、トランクを開ける。大きなマットレスと、掛け布団。それに自転車を積み下ろして、玄関から入って来た。
「他に必要なものはないかしら?」、由美子おばさんは僕に優しく声をかける。
「うん、大丈夫」
 僕は新品の自転車が嬉しくて、外に掛け出て早速サドルに跨がった。車輪の径が大きくて転びそうになったけれど、一度スピードに乗ってしまえば安定して、僕は家の周りの道路をぐるりと一周して戻った。頬に当たる風は最高に気持ちよかった。「おじさん、おばさん、ありがとう」と家の中にいる二人に聞こえるかどうか分からなかったけれど、大きな声で叫んだ。
 隣の家で飼われているビーグル犬が吠えた。空は遠くにあり、透き通った青色をしていた。
 僕の人生はここから始まるのだと思った。


(2)夢という曖昧な定義

 僕は激しい違和感を覚えていた。高橋は言葉を発せず、特徴的な切れ長の目の奥にある瞳を、まるでトカゲでも見るようにインタビュアーが差し出すマイクへと向けていた。
「やはり人との信頼関係が、一番の財産だったのではありませんか?」
インタビュアーはそんな質問をした。そしてそれまで流暢に話していた高橋は突然、黙ってしまった。
 高橋はある大規模な企業同士のM&Aに投資し、およそ80億円のキャッシュをほぼ一瞬にして手に入れた。そしてその資金を元にLLCを設立して、ビークルスキームと呼ばれる手法を用いて投資家を集め、様々な投資案件を手掛けるようになった。グループ企業を十社ほど持ち、そのうちの一つが事業展開しているスマートフォンユーザーをターゲットにしたサービスがマスコミから注目され、インタビューを受けることになった。
 二十代後半だと思われる女性のインタビュアーは白いスーツを着て、タイトなミニスカートを履いている。一見、聡明そうに見えるのだが、どこか間の抜けた顔付きをしていた。両目が離れすぎているので、そのような印象を与えるのだろうと僕は思った。
 インタビュアーは高橋にマイクを向けたまま、笑顔で返事を催促している。
 それは違う、高橋は非常に小さな声で言った。
「では一緒に頑張ってくれた社員の方々の力も大きいのかも知れませんね」
 インタビュアーはまったく笑顔を崩さず言葉を続ける。
「お客様から感謝され、お礼を言われたりすることって最高のモチベーションアップになりますよね」
 高橋は返事をしない。ただ高橋が苛立っていることが僕には伝わってきた。
 このインタビューの内容は経営者を対象とした月刊誌に掲載される予定になっていた。編集者から打診があった後、詳しい内容は聞かされないまま、指定されたホテルの一室に我々は足を運んだ。僕は高橋とビジネスパートナーとして事業を展開する機会が何度かあり、高橋に付き添いとして呼ばれた。
 続く沈黙。
 高橋はちょっと失礼、とトイレへ入った。
 すると、インタビュアーは僕にマイクを向けてきた。
「高橋様とご一緒にお仕事をされていらっしゃるのですね」
「そうだ」と僕は答えた。
「パートナーとして仕事をされる場合、やはり信頼関係が大切になると思うのですが、きっと高橋様のお人柄を信頼されていらっしゃるのでしょうね」
「人柄でビジネスパートナーを選ぶことはない」と僕は答えた。
 高橋がトイレから出てきて、もういいだろう、と女性インタビュアーに向かって言った。
「では最後に、高橋様の今後の夢をお聞かせ下さい」
 高橋は首を横に振っただけだった。
 後日、発行された雑誌には、ひどい内容のインタビュー記事が掲載されていた。「そのシャイで控えめな性格が周囲の人々に好印象を与え、お客様からも信頼を得ることができるのでしょう。世界中の人々が笑顔で暮らせるようにするという素敵な夢をお持ちでした」とその記事は締めくくられていた。
 高橋は決してシャイで控えめな性格などではなく、曖昧な夢を持つようなバカな男でもない。


第2章:他人と共存するという意味

(1)The entrance ceremony of the elementary school

 小学校の入学式の日は、晴れ渡った空から強い日光が降り注ぎ、じっとしていても汗がしみ出すくらいだった。由美子おばさんの家で暮らすようになり、四ヶ月が過ぎていた。由美子おばさんは、おじさん、息子さんと話すときもずっと英語を使うので、僕も日常会話には困らないくらいに英語を使えるようになっていた。もちろん六歳の僕が話す内容なんて、たかが知れているのだけれど。
 入学式には様々な人種の子供たちが集まっていた。肌の色、瞳の色、髪の色、すべてが異なっている。学校長から簡単な挨拶があった後、僕らは保護者同伴でそれぞれの教室に移動した。金髪で細身の女性が教壇に立ち、これから私があなた達の担任になる、と宣言した。神経質そうな顔立ちをして、常に胃痛を抱えている患者のようにも見えなくもなかったが、立ち振る舞いは堂々としていた。
「あなた達は人生のうちで最もやっかいな時期を私と一緒に過ごすことになる。これからあなた達は性に目覚め、自分自身の存在に疑問を持ち、世界のあり方に対して不満を持つようになる。次から次に、ピッチングマシンのようにやっかい事が飛んでくる。時にはそれを避けるだけで精一杯になることだってある。
 この世界に産み落とされたことを恨むことだってある。周囲の人々に殺意を持つこともあるかも知れない。それでも私はあなた達のケアを辛抱強く続けることを約束します」
 保護者から一斉に拍手が起きた。子供たちも、あまり意味は分かっていない様子だったが、何となく弱々しい拍手をした。
「それでは順番に自己紹介をして貰います」と先生が言った。僕の動機は早くなった。僕の席はアルファベット順で一番前だったからだ。由美子おばさんは、僕に目配せをして、頑張りなさい、と声を出さずに言った。
 何を話したのかまったく覚えていない。ただ拙い英語で名前と、住んでいる場所を言っただけのような気がする。
 それでも、全員の挨拶が終わった時には、何人かが僕に話しかけてきてくれた。日本の出身は僕だけだったので、日本はどんな国なのか、みんなが知りたがった。忍者や武士がまだいると思っている子供たちがほとんどで、それが面白かったので、僕はあえて否定はしなかった。猿まねで空手の演武を披露するだけで盛り上がってくれた。


(2)他者からの救済を求めてはいけない

 高橋は部屋に用意されていたボトルワインをグラスに注いで煽っている。インタビュー記事の載った雑誌には興味がなさそうに一度、ページを開いただけでベッドの上に放り投げた。
 高橋は珍しくその日の夜は酔った。
 ドバイでのF1サーキットの建設とそれにまつわるVIPクラブの設立へ向けて、半年以上の期間をかけて世界中の投資家から投資を募り、高橋は400億円という大規模な投資ファンドを組んだが、結局その案件はドバイショックといわれる経済危機が起こり、そこにどうしようもない突発的な事態が重なり、失敗に終わった。おそらく徒労感だけが高橋を支配しているのだろうと思った。
 こういう時は何も言葉をかけないほうが良い。よく勘違いして、頑張って、とか、次のチャンスがある、とか励まそうとする人がいるが、それは逆効果だ。そういった言葉は挫折感の種を生んでしまう。挫折感というのは非常にやっかいなもので、それは日々を追うにつれて膨らんでいき、やがてがん細胞が全身に転移したかのように、気力と体力を奪ってしまう。そうならないためには、もう一度何かにトライして成功を収めるしかないのだが、挫折感が転移してしまった後ではもう遅い。新たなことにトライする勇気さえ残っていないからだ。
 高橋とは五年くらいビジネスでパートナーシップを結んでいる。ある起業家向けのセミナーで出会い、それ以来の付き合いだ。
 しかし、高橋と僕の気が合うかと問われれば、そんなことはないと思う。考え方も好みも趣味もまるで違う。
 ただ高橋はビジネスについてあらゆる面でずば抜けて優秀だったので、それがパートナーとしてやってきた理由だ。ビジネスなので当たり前だが、いくら人柄が良くても能力がなければ一緒に仕事をしようなどとは思わない。
「あのさ……」
 高橋がゆっくりした口調で話し始めた。
「俺は間違った選択をしたのか?」
 僕が言葉を挟もうとすると、高橋はそれをさえぎるようにして話を続けた。
「いや、分かっているんだ。今回の件にしても、ほとんどは外的な要因に過ぎない。ドバイショックは俺が起こしたわけでもなければ、それを止められた奴もいない。いくらリスクヘッジをしても避けられない要因だったわけだ。だからそんなことで悩んでも状況が変わるわけでもないし、金が返ってくるわけでもない。何人かは慰めてくれるかも知れないが、俺は慰めて欲しいわけじゃない。ただ、俺は、ただ、俺は」
 高橋はそのままうつむいた。
「一つだけ、決定的なミスを犯してしまった」
 高橋の言う決定的なミスというのはドバイでは婚外性交渉が犯罪とされるという点だった。高橋の組んだ投資ファンドに出資をしたフランス人の投資家が愛人とともに現地視察に訪れ、クラブで酒を飲み、軽くペッティングを始めたところで警察に通報されて逮捕されてしまったのだ。これは致命的だった。この噂は一気に投資家の間に広がった。高橋は人目に付く場所でなければ絶対に逮捕されることなどない、バーでペッティングをする人種のほうが希だ、と必死に説得して回ったが、失われた価値を取り戻すことはできなかった。世界中の富裕層はリゾートに妻ではなく愛人を連れていくのが当然だが、性行為が出来ないとなると、現地まで赴く意味のほとんどが失われてしまう。人生の中で味わったことのない多幸感や興奮、優越感などに包まれたその先にあるものは、往々にしてセックスに限られる。
 確かに高橋にしては考えられないようなミステイクだった。ドバイにおいて婚外性交渉罪で外国人が逮捕された前例はなく、それが初めてのケースになった。
 だから高橋はその法律があることを知りながらも、おそらく大丈夫だと判断してしまっていたのであろう。リスクに気付いていながら、放置してしまったのだ。ビジネスにおいては「リスクを無視する」というのは絶対にやってはいけない最重要項目の一つだった。それはいつ爆発するかも知れない爆弾を抱え込むことに等しい。リスクには前もって対応策を考えておく必要がある。
 またバカンスの潜在的ニーズである風俗店の営業も禁止されているので、ドバイにはそのような要求に応えられる店やサービスもまったくなかった。
 ほぼ同時期にドバイショックが起き、ファンドに投資していた投資家たちは次々に資金を引き上げ始め、最終的に高橋のもとには負債だけが残った。
 あのフランス人カップルさえいなければ結果は違っていたかも知れないな、と僕は言った。

第3章:マインドとビジネスの関係性

(1)I play a guitar!

 夏休みに入る少し前、両親は日本人だけどアメリカ生まれアメリカ育ちのTimが家に遊びに来いよ、と誘ってくれた。ニューヨークの小学校は夏休みが長く、六月中旬から始まる。その一週間くらい前の日のことだった。
友達の家に行くのはそれが初めてだった。僕は決して内向的な性格では無いと思うし、クラスの中にも気軽に話せる友人はたくさんいる。そして何度か家でのパーティーや誕生日会に誘われたこともあったけれど、すべて断ってきた。
 それぞれの家庭にはそれぞれのルールがあり、それに従うのが僕は苦手だったのだ。例えば、靴を履いたまま部屋に入るのか、脱がないといけないのか。食事の前にはキリストにお祈りを捧げる必要があるのか。ベッドをソファー代わりにして座っていいのか。炭酸水を体に悪いものとして認識していて、飲むことを控えたほうがいいのか。そういった細々としたルールは教えて貰えるものでもないので、その場の空気を読んでとっさに判断しなければならなくて、そういうことにうんざりすることが分かっていたからだ。
 それでもTimの家に行くと決めたのは、彼の父親の職業がミュージシャンだと聞かされていたからだった。僕はその頃、誕生日におじさんに買って貰ったビートルズ・ベスト選曲集のLP盤に夢中になっていた。ビートルズはとっくに解散していて、ジョンも死んだ後だったが、ラジオからはよくその楽曲が流れていて、僕はだんだんとファンになっていったのだった。毎日、学校から帰っては、そっとレコード針を乗せて、回転する黒い板を眺めながらスピーカーから発せられる音に耳を澄ませていた。その回転はまるで時の流れを表現しているかのように円盤の中心へと針を吸い寄せる。
 Timの家はこぢんまりとした平屋の一戸建てだった。玄関で靴を脱いで部屋に入ると、想像していたとおりギターが20本ほど壁際に並べて立てかけられていた。木目調や黒、ブラウンなどシックな色合いのものが多く、形は様々だった。地下室は大きなグランドピアノがあり、アンプやドラムセット、ミキサーなどが置かれたスタジオになっていた。
 Timのお父さんと、同年代の男性二人がアンプの上に腰掛け雑談をしていた。タバコの臭いがきつく鼻を刺激する。一緒にいるのはTimのお父さんのバンドメンバーだ。Timのお父さんは日本でグループサウンズと呼ばれているジャンルの音楽バンドでプロデビューしていて、何枚ものレコードを発表していた。同じようなバンドがたくさんいて、たくさんのレコードが発売され、それらはジャンルとして一括りにされて、レコードは何万枚も売れて、どのバンドも有名になっていた。
 Timのお父さんは僕に気付くと、軽く僕の頭を撫でて、これからも仲良くしてやってくれよ、と言った。
「音楽は好きか?」
「はい」と僕は緊張しながら返事をした。
「どんな音楽が好きだ?」
「ビートルズ」、僕は迷うことなく答えた。
 彼らは「Lucy In The Sky With Diamond」」から始めて、何曲かを披露してくれた。僕が興奮して足でリズムを取りながら聴いていると、Timが一廻り小さなギターを持って、そのバンドに加わった。僕が驚いていると、軽くピースサインを送ったTimは、ソロパートを楽に弾きこなした。
「ギターが弾けるなんて一言もいわなかったじゃん」
「まあね」と笑顔で返事をするTim。
 僕のおじさんは僕がビートルズを聴いているとあまりいい顔はしない。ヤンキーの聴く音楽で、単なるノイズでしかない、と言う。レコードを買って貰う時も一ヶ月近く毎日頼み続けてようやく了承してくれたくらいだった。
 ビートルズを認める大人がいるなんて思いもしなかった。大人はみんながビートルズを嫌っているものだとばかり思っていた。
 それから僕はTimの家に頻繁に通うようになった。もちろん、ギターを教えて貰うために。
 Timの家に通うようになってから一年ほど過ぎると、僕が弾ける曲のレパートリーもだいぶ増えた。最初はコードをなぞることしかできなかった曲も、アルペジオやスイープ、ソロパートなども弾けるようになった。Timはその頃、ギターからベースに転向していて、よく一緒に曲を演奏していた。
 学校の授業は退屈だったけれど、友達と一緒に遊ぶのは楽しかった。みんなでよく野球をした。日が暮れて周囲が薄闇に包まれ、ボールが見えなくなるまで夢中で遊んでいることも多かった。
 担任の教師は敬虔なクリスチャンで、確かに皆に平等に接し、優しく細かなところまで気が利く人だったけれど、人間としてどことなく面白みに欠けるところがあった。ジョークの一つも言わない。ほとんど笑顔も見せない。 ただ授業の内容は的確で、余計なことは一切話さずに、系統立てて知識を与える技術に長けていた。生徒の態度が悪くても感情的に怒鳴ったりせず、きちんと理論立てて説明し、なぜそれが悪いことなのかを納得いくまで説明した。それは僕たちにはありがたいことだった。隣のクラスの担任は、何かといえば生徒に暴力を振るい、度々生徒に怪我をさせ問題になっていた。子供にとって圧倒的に力のある人間からの暴力は脅威だ。その圧倒的な脅威から逃れるために、隣のクラスの子供たちからは、個性が消えた。僕は誰とも仲良くなることができなかったし、逆に誰かを嫌いになることもなかった。放課後に誰かが遊んでいる姿を見かけることもなかった。
 僕らは隣のクラスを「Jail」と呼んでいた。

(2)「労働」から「ビジネス」へのマインドチェンジ

 高橋と出会った時、僕は翻訳とデザインを手掛ける小さな会社を経営していた。月商は150万円前後という、どうしようもない零細企業だった。従業員が三名いたので人件費を支払えば、ほとんど利益は残らなかった。毎日営業に出ては遅い時間まで作業をしていたが、一向に利益が上がることはなく、すがるような気持ちで中小企業家向けのセミナーに参加した。しかし、セミナーの内容はビジネスにおいての形而上学的な内容ばかりで実践することは不可能と思える内容でしかなかった。
 そして、セミナー終了後の懇親会で高橋は僕に話しかけてきた。僕は簡単な自己紹介と、手掛けているビジネス、そして営業利益の話などをした。いつも金策に困っていて、利益が伸びない辛さも正直に全部話した。
「それで、あんたはその仕事が好きだからやっているのか?」
 高橋からそう問いかけられて僕は言葉に詰まった。今まで一度も考えたことのない質問だった。アメリカで暮らした経験から、必然的に翻訳の仕事をするべきだと思ったし、パンフレットや雑誌広告などの翻訳はデザインも付随するのでやらなくてはならないことだと判断した。
 果たして僕はこの仕事が好きなのだろうか?
 高橋は自分のビジネスに誇りを持っている、と断言した。だが、どんな仕事をしているかと尋ねても、うまく説明できない、と繰り返すだけだった。
「あんたは経営者、俺は起業家。それだけの違いだよ」
 今となっては高橋の答えも理解できる。高橋は、知り合った当時にはクリーニング店を12店舗チェーン展開していたがおよそ半年後にすべてを売り払い、自己啓発系のセミナー事業を行う新しいビジネスの会社を立ち上げ、その内容をDVDとしてインターネットを使って販売しながら、DVDの内容とまったく同じセミナーを行える講師を14名育て上げ、かなりの収益を上げた。しかし、またあっさりとその事業を売却して、次にカラーコンタクトレンズ専門の通販会社を立ち上げ、たった一つのWEBサイトを軸にして、あっという間に国内ナンバー1のシェアを獲得することに成功した。
 僕は相変わらず同じ状況で、毎月の支払いに苦悩しながら細々と会社経営を続けていた。高橋とは月に一度は会い、食事をしたり、ドライブをしたり、お互いの家族を連れてキャンプに行ったりするような仲になっていた。
「お前にも何かあるんじゃないか?そう、今の状況を突破するような何か、が」
 高橋は銀座の料亭で日本酒の杯を傾けながらそんなことを言ったことがある。
 彼の言わんとしていることは理解できた。僕は幼なじみのTimに久しぶりに連絡を取ってみることにした。僕が知っている情報が確かなら、弁護士の資格を取り、ニューヨークで小さな事務所を経営しているはずだった。

第4章:初めて経験する「ビジネス」

(1)The first business

 四年生になった時、同じクラスのHiroが僕らのバンドに加わり、ドラムを担当した。Hiroのテクニックはずば抜けていた。小学校に入学する前から、ドラムスクールに通い、その技術を磨いてきたそうだ。
 Hiroが加入したことによってTimと僕もより練習に没頭するようになり、必然的にバンド全体のレベルが向上した。ボーカルはTimと僕が得意な曲をそれぞれ取った。
 それから一ヶ月に一度、練習用の部屋に友達を呼んでライブを披露することにした。チケット料金は一枚五ドル。たった五ドルとは言え、僕らにとっては大きな金額だった。多いときには三十人を超える観客が来てくれた。
自分たちの力でお金を稼ぐ、ということを初めて体感して、世の中の見方が少し変わったような気がした。
 僕たちはどんどんレパートリーの幅を広げ、ローリング・ストーンズやビーチボーイズ、エアロスミスなどの曲も追加していった。
 欲しい物は自由に手に入れることができ、学校帰りに立ち寄るファストフード店では好きなだけオーダーできるようになった。おじさんから毎月貰っていたお小遣いも断った。
 ニューヨークの市街地にあるライブハウスに出演するようになると、メンバー全員が小学生という物珍しさから多くの観客が集まり、僕らは多額の出演料を受け取ることができた。
 お金には不思議な力がある、と僕は思うようになった。
 その時、僕らが感じていたのは開放感だった。誰からも強制されることなく好きなことをしてお金を稼ぐことができる。その感覚は正に快感だった。 僕は自由を手に入れたのだと感じた。
 僕らが五年生になった頃、Timのお父さんが音楽編集用にMacintoshを買った。Timのお父さんのバンドはそのコンピュータを使い、様々な効果音を曲の中に入れ、さらに今までアナログのミキサーでやっていた多重録音も行うようになり、レコードの次世代の規格になったCDアルバムを日本で発表した。その音源を聴かせて貰うと、今までとはまったく違うクリアな音質になっていた。
 僕らは最先端のコンピュータに夢中になった。まだまだ使い方の分からないところも多かったけれど、Timのお父さんに手伝って貰い、オリジナルの曲だけを収録したCDを作成した。ライブ会場での販売や知り合いに買って貰ったりして、僕らの稼ぎはさらに大きくなった。
 そんな年、「Jail」で事件が起こった。生徒の一人が担任を拳銃で撃ったのだ。至近距離からの発砲だったが、弾丸は太股を貫通しただけで命に別状はなかった。犯人はすぐに留置所に送られたが、その生徒は担任からほとんど毎日のように体罰を受けていたらしい。ブラジル系アメリカンで、明らかな人種差別が行われていたと皆が証言している。この事件はテレビや雑誌に取り上げられ、ちょっとした社会問題となった。
 僕らが登下校する時間には校門前にインタビュアーが大勢待機していた。学校側としては緊急に休学にせざるを得なくなった。

(2)「経営者」から「起業家」へ

 Timは久しぶりの僕からの電話に驚いたようだった。
「何かあったのか?トラブルでも抱えているのか?」
 トラブルではないが、提案がある、と僕は答えた。Timの口癖は昔から「You decide it.(お前が決めろ)」だった。どんな相談ごとを持ちかけても、最終的に決めるのはお前だ、としか言わなかった。そういうところも僕はTimに好感を持っていた一面だった。下手に意見を通そうとしたり、甘えさせることなく、きっぱりとそう言うTimの言葉は何よりも正しい。
「新しいビジネスを始めたいからアイデアが欲しい。そしてその新しいビジネスを一緒に手掛けて欲しい」
 まずはお前の他人にはないアドバンテージを考えることだ、とTimは言った。そして俺というリソースをどのように使うのかを教えてくれ。
 簡単なことだった。僕のアドバンテージは英語が使えること、主にアメリカに友人がいること。Timにはアメリカのビジネスの最新情報を伝達して貰うことや、商品の仕入れ、商談を手伝って貰うことが可能だ。
 それをTimに伝えると、オーケーと軽く返事をして、詳細はまた連絡をくれ、と言って電話を切った。
 その数日後、Timからメールが届いた。
「現在、アメリカではインターネットを使ったビジネスで巨額を儲ける人が続出している。やることは簡単だ。ハウツーをe-bookにして販売するだけだ。日本にはまだこのウェーブは届いていないみたいだ。アメリカのサイトを調べて、すぐに実行に移せ」
 僕は指示に従い、早速アメリカのサイトを調べ始めた。金魚の飼い方から、ガーデニング、株式投資、美容法、ギャンブルで勝つ方法など様々な種類のe-bookが信じられないくらい高価な値段で売られていた。試しに幾つかのe-bookを購入してみた。確かに一般の書籍では手に入らないであろう情報が掲載されていた。このビジネスモデルが日本に輸入されるのは時間の問題だろうと思われた。元手もかからず、在庫リスクもない。この市場は確かに魅力的だった。ただし、より多くの情報を持っていなければ大きな利益は見込めない。僕はそれから英語版のe-bookをかなりの金額分買い込み、日本向けにアレンジできそうな情報を整理する作業を始めた。電子的な砂金探しのような作業だった。
 およそ四ヶ月かけて、僕は一つ目のe-bookを完成させた。まだ日本には入ってきていない情報だったし、かなりの利益を確保する自信があった。
早速、僕は最近、日本で立ち上がったばかりのe-book専用の販売サイトを通して、販売を開始した。アフィリエイトという成果報酬型のプログラムも取り入れた。
 その結果、五日間限定の販売期間で八百万円という純利益を得た。本業である会社の売上のおよそ半年分に相当する売上だった。
 高橋にこのことを報告すると、「それが経営者と起業家の違いだ、よく分かっただろう?」と言われた。僕はすぐにホームページデザイナーと、インターネット専門のマーケッターを雇い入れ、会社の仕事の受注や業務形態をインターネット中心へと方向転換した。そして、顧問契約をしている会計士に投資に関するe-bookを書かせ、販売を開始した。結果的に、それは僅か二週間で一億円以上の純利益を生み出した。会社の利益は昨年の十倍以上になった。アフィリエイトシステムを使い、他の人が販売している商品をe-bookの購入者のメールリストに紹介するだけで、月辺りに三百万円を超える収入が継続して入るようになった。僕はメールを送信するリストの数を増やす仕組みを作った。その結果、まるで雪の玉を雪上で転がしているように、その収入は大きくなっていった。
 そして八年以上に渡り雇用していた翻訳者とデザイナーを解雇した。同情は禁物だった。剣を抜くときは素早く振り抜くこと。これは高橋の経営方法を参考にした。
 会社の規模は小さいままだったが、僅か一年で年商では五十倍近くに成長していた。

第5章:ネットビジネスのその先へ

(1)Angel, Rika

 ようやくマスコミの熱が冷め、報道陣が学校に押し寄せることがなくなった一ヶ月半後に授業が再開された。「Jail」は担任が交代することになった。長くきれいな金髪が印象的な新人の女性教師だった。会話はウイットに富み、常に優しい笑顔を浮かべていて、すぐに他のクラスの生徒からも憧れられる存在になった。「Jail」は「Evergreen」とその呼び名を変えた。
 元「Jail」の担任は人権侵害の疑いで逮捕され、法廷闘争中だった。「surveillance」が「suspect」へと立場が逆転してしまったわけだ。
僕は「Evergreen」クラスの日本人「Rika」に恋をした。監獄から解放されたRikaは天使のように思えた。長い黒髪が印象的で、笑うと微かにえくぼができる。すらりとした手足は細く白く、黒目がちで丸く大きな瞳が印象的だった。
 元「Jail」の生徒は笑顔を取り戻し、それぞれが個性ある一人の人間として、その魅力を発揮していった。様々な笑顔があり、様々な人生があり、様々な未来があった。
 僕は勇気を出して、RikaをManhattanでのライブに誘った。オーケーしてくれた時には、体が震える思いがした。
 彼女の誕生日にはバラの花束をプレゼントした。ぎこちないものだったけれど、僕の初恋はこんな風にして始まった。少なくともRikaは僕に好意(あるいはそれに似た感情)を少しは持ってくれていたと思う。Rikaが僕たちのバンドの練習スタジオに時折、手作りのドーナツやクッキーを持ってきてくれるようになり、ライブハウス出演のブッキングを取ったりCDを販売するなど、マネージャーのように働くようになった。僕たちは稼いだ金額の一部をRikaにも渡すようにした。
 練習中に一度、Rikaがふざけてボーカルを取ったことがあった。練習に何度も付き合っているだけあって歌詞もメロディも完璧に覚えていた。
 透き通り、何マイルも先まで届きそうな声。伸びやかなハイトーン。
 天使の歌声だ、と僕は思った。

(2)新しいビジネスモデル、飛躍的な業績の伸び

 Timに年商が五十倍を超えたこと、業務形態を変えたこと、それはTimの送ってくれた一通の電子メールがすべての発端となったことなどを報告した後、僕は電話口に向かって言った。
「ところで提案のことなんだけど。覚えているかな?」
 前の電話からすでに八ヶ月が経過していた。
「もちろん、覚えているさ」とTimは答えた。
「僕はニューヨークを拠点にビジネスを展開したい。ニューヨークに会社を設立しようと考えているのだけれど、そのメンバーになってくれないか?」
「そういうことだと思ったよ。とっくに分かっていたさ。お前の故郷はニューヨークだからな。返事はもちろん、Yesだ」
 アメリカでビジネスを展開するにおいて必ず必要となるのは弁護士だ。それぞれの州によって法律が異なっているし、様々な手続き、書類の作成なども弁護士に頼まなければならない。ビジネスについても細かな規制が定められている。その点においても弁護士であるTimがビジネスパートナーとなってくれることはありがたい。
 日本とニューヨークに拠点を置くことになったので、最も効率のよいビジネスは海外製品を日本で販売する、という輸入ビジネスになるだろうと僕は予想を立てた。強い円高基調も支えになる。海外メーカーはアメリカへの輸出は可能でも、日本へは不可能としているところも多い。そのため、アメリカには日本向けの輸入代行業者もたくさんあった。
 高橋はいつかこう言っていた。
「ビジネスはどんなモデルであれコピー可能なものを作らないといけない。つまりお前がいなくても、システムは自動で稼働して常にキャッシュを生み出し続ける仕組みを作ることだ」
 僕はニューヨークのQueensにアパートを借り、会社設立の準備に入った。事務所はManhattanの中心部にあり、家賃は高かったけれど、あえてステータスを重要視した。実務面はほとんどTimが担当してくれたので、僕は新しい事務所に必要な文房具を買い揃えたり、机を並べたり、そんな雑用をこなした。
「ところで社名はどうする?」、会社を登記する段階になってTimが言った。
「あれしかないじゃないか?」
「ああ、やっぱりあれか」とTimは微笑んだ。
 ビジネスではまとまった資産が用意できる場合、ある程度の規模でスタートしたほうが良い。これは僕の経験則だった。幸いなことに僕の手元には一年もかからずに五十倍以上になった日本の会社の売上があった。
「あいつらも誘ってみるか?」、Timがニヒルな表情を浮かべて言う。
「もちろんだろ」
 Hiroは小さな音楽プロダクションで働いていた。Rikaはバーで働きながら、時々、ステージに立って歌を歌っていた。
 二人とも今の仕事なんてどうでもいい、と答えた。
 事務所に久しぶりに四人が揃うと、どことなく気恥ずかしさがあった。
 この瞬間が「Evergreen, Inc.」のスタートだった。
 僕たちはアルバイトを二人雇い、商品の仕入れとそれを日本に発送する役目を与えた。日本での販売は完全に日本のスタッフに任せた。ネットショップや、ネットオークションなど、幾つかの方法を用いて利益が最大化できるように、日々、僕とTimが売上をチェックした。
 また日本市場向けの輸入代行業者としての業務も立ち上げた。
 日本向けのホームページを作成し、日本にいるマーケッターに宣伝をさせた。顧客として申し込みがあった分は、WEB上で情報を共有できるソフトウェアを介して、アメリカ側からもチェックできるようにし、送られて来た荷物を日本の顧客宛に転送した。
 Hiroは交渉が得意だったので、アメリカを初めとして、イギリスやイタリアにあるファッションブランドの日本独占販売権を取得する役目を担った。Rikaは秘書、広報、宣伝を担当し、時折、テレビにも出演して自社の商品をスポットコマーシャルで宣伝し、その美しい容姿は人々の羨望を集めた。
 僕は日本とアメリカを二ヶ月ごとに移動して、キャッシュの流れと、資産、負債の数字を主に確認した。一年ほどが経過して、このシステムが確実に利益を生むことが確信できた時点で、僕はQueensのアパートを引き払い、日本で次のビジネスに取り組むことにした。それまで僕が分担していた業務はすべてTimに引き継いで貰った。
 日本での次のビジネスはコンサルタントに決めた。在庫リスクもなく、経費もほとんど必要ない。日本のスタッフのWEBマーケッターは優秀で、次々に顧客を集めてくることができた。すべてインターネット上からの集客だったので、営業コストもほとんどゼロ。コンサルをする中で必ず、ホームページの作成や修正などの作業が必要となり、ホームページデザイナーの仕事も確保できたし、顧客単価の向上にも繋がった。しかしコンサルの仕事は早々にモデルを変えたほうが良さそうだった。それは課金のシステムが時間幾ら、というものなので、時間を切り売りすることとなり、自ずと収益に限界があるからだ。
 僕はコンサルの内容をDVDに収録し、インターネット上で販売する戦略を取ることにした。そしてこのDVDを買った人の中からさらにハイグレードなサービスを求める顧客に対して、月額で高額な費用を取り、コンサルタントを行うというモデルを作った。このDVDは「Evergreen, Inc.」にも送付され、Timが音声を吹き替え、アメリカでも同じ戦略を取った。

第6章:枯れることのないビジネスを探して

(1)Rika with the voice of the angel

 Rikaが歌い終えた後、しばらくみんなは呆然としていた。心臓を素手で直に握られた、そんな感じがした。
「その才能をどうして今まで隠していたんだ?」とHiro。
「私、歌うのはずっと好きだったけど、人前で歌ったのは初めて。ずっと海岸で海に向かって歌っていたから」
「これは……ボーカル交代だな」、Hiroは僕とTimに交互に視線を向けながら言った。僕らは負けを認めざるを得なかった。Timは深く頷いている。
 そして僕たちのバンドにはそれまで決まった名前がなく、ライブごとに適当な名前を使っていたのだが、Rikaがボーカルに就任したことをきっかけに、「Evergreen」で今後は統一することとなった。メンバーの誰もがこの名前を気に入ったようだった。Rikaがボーカルを取るようになってから観客の動員数は飛躍的に伸びた。ライブハウスから貰えるギャラも桁が変わった。
激しく体を動かしながら、歌うRika。それでもピッチは絶対に狂わない。
固定客もつき始め、ライブを行うと必ず満員になるようになった。僕たちが小学生だからという珍しさはもう売りでも何でもなかった。純粋に実力と音楽性で勝負ができるようになった。地元のテレビ局にも何度か取り上げられた。
 僕たちには輝かしい未来があった。Rikaは何度か雑誌の表紙を飾った。今、注目のボーカリスト、という特集が組まれたこともあった。けれど、Rika自身はそんな風に自分が有名になっていくことには興味がないようだった。
「私はただずっと自然体でいたい。こうしてEvergreenのみんなと一緒にいられたら、それだけでいい」
 Rikaには何度かメジャーレーベルからのオファーがあったが、それもすべて断っていた。私には商業音楽は向かない、歌いたい曲だけを歌っていたいの。
 天使の声を持つRikaは、そんな風に語っていた。

(2)ビジネスのリスクを取り返す「マインドセット」

 結局、ドバイの投資案件で高橋の手元には18億円の負債と、起訴案件が4件残った。微妙な選択を迫られる数字だった。自己破産をしてすべてをゼロに戻すか、再度、ビジネスを仕掛けて穴埋めをするか、どちらにしても取らなければならないリスクは同じ程度のものだった。
「なぁ、あのビジネス雑誌のインタビュアーのこと、覚えているか?」と高橋は僕に訊いた。
「ん?ああ、あのねつ造した記事を書いた奴のことか?」
「なかなかいい女だったと思わないか?」
 高橋は追い込まれている、と僕は思った。普段の高橋であれば、あの程度の女に気を向けるはずはなかった。要するに高橋は現実から目を背けようとしているのだった。
「それで、どうするつもりなんだ?」、僕は単刀直入に尋ねてみた。
「万に一つ、別のビジネスを手掛けて失敗すると、俺はもう二度と立ち上がれないかも知れない。乞食になって残りの人生を地面に這いつくばって過ごすことになる」
「なら、破産するしかないな」
「いや、それも今後のビジネス展開に悪い影響がある」
 高橋はやはり迷っていた。精神的にかなり追い詰められているのだろう、ここのところ顔色が優れず、デパスを常用していた。しかし僕にアドバイスできることは何もない。Timの口癖の通り「You decide it.」と言うしかない。
 狭いビジネスホテルの一室で中年の男が二人黙ったまま、ワイングラスを傾けている。換気が悪くタバコの煙が部屋中に充満している。
「俺、もう一度やってみるわ」、突然、顔を上げた高橋は決心したようにそう言った。
「悪くない選択だと思う」と僕は言って、持っていたワイングラスを高橋のグラスに当て乾杯をした。
「次は何をやるんだ?」
「具体的なプランはまだないさ。でも今までもずっとそうやってきたじゃないか。チャンスはいつでもどこからでも見付けることができる。そうだろう?」
「その通りだ」と僕は返事をした。実際に僕は高橋の助言に従っただけでビジネスを何十倍にも拡大させることができたのだ。
「なぁ、高橋。僕たちが手を組んでビジネスを手掛けるようになって、もう五年になる。信じられるか?思い返せば色々あったよな。お前は僕に教えてくれたことがあったよな。ビジネスでは同情は禁物だと」
「ああ、そうだ。だから今回の件についても同情なんていらないぞ。ただ、憂さ晴らしの酒には付き合ってくれ」
 ようやく高橋らしい笑顔が戻ったので、僕は少し安心した。
「ただな、感傷は禁物だ。五年がいったいどうしたというんだ。俺はメリットがあったからお前と組んだだけだ。それがたまたま五年続いたというだけのことだ。お前の存在が邪魔になれば俺は遠慮無くお前を切るぞ」
「分かっているって」
 いつもの高橋に調子が戻っていた。
 その後、高橋はデジタルサイネージ業界に進出した。繁華街やビルの壁面に設置されている大型のディスプレイ型の広告を扱うビジネスだ。広告媒体としては扱っている代理店の数も少なく、また地域のスポットCMに効果が大きいので、中小の小売店舗や飲食店からの引き合いがたくさんあった。高橋はCMに使う映像の撮影料と放映料を一つのパックとして、顧客辺りの単価を高く設定することで、収益性の高いビジネスを作り上げた。だが、収益性がいくら高くても全国へ一斉にマーケティングを仕掛けることができず、細々とした地域の適正に合わせた施策が必要で、ある程度軌道に乗った時点で高橋はそのビジネスモデルを売り払った。
 それでもまだ、総負債額の三分の一しか返済できなかった。

第7章:継続性のあるモデルをビジネスにせよ

(1)I do not want to return to Japan

 六年生になった頃、由美子おばさんから、ショックを受ける言葉を告げられた。
「あなたは小学校を卒業したら、日本に帰るのよ」
 僕は毎日が楽しくて仕方がなかったし、バンド活動は最高にエキサイティングなもので、学校の成績もトップクラスを維持していた。金銭的な負担もかけていない。帰る理由なんてどこにもないように思えた。何度も帰りたくないと訴えた。由美子おばさんは困った顔をして、あなたのお母さんとの約束になっているの、と繰り返すばかりだった。
 せっかく仲良くなった友達も、Timたちとのバンドとも離れなければいけない。Rikaに会えなくなるのも悲しかった。僕はずっとRikaを愛し続けていた。僕は日本という遠く離れた場所へ帰されてしまうのだ。隣町へ引っ越しをするのとはわけが違う。けれどいつまでも由美子おばさんの家でお世話になっているわけにはいけない。そのことは重々承知していた。僕には日本に両親がいるのだ。
 最後の一年だと思うと、僕は今まで以上に熱心に物事に打ち込むようになった。どうせできないだろうと諦めていたことも、すべてチャレンジするようになった。例えば、そう。バンドのプロデビューだ。僕たちはあらゆるレコード会社にデモCDを送った。そのうちの一社からオファーがあった。それはインディーズレーベルでプロデビューの夢は叶わなかったけれど、一応はアメリカ全土のCDショップに僕たちのバンドのCDが並ぶことになった。
そして、Rikaに思いの丈をぶつけると、すごく嬉しい、と言ってくれた。日本とアメリカに距離は離れてしまうけれど、連絡は絶やさないようにして、できるだけ会う機会を作ろうということになった。
 友人たちと過ごす時間もより濃密になった。遊んでばかりではなくて、人生における重要な何かについて(それは例えば、生きる意味や恋愛のことや将来就くであろう職業について)語り合うことが多くなった。
 そのようにして最後の一年を過ごしていると、不可能なことは何もない、と思えるようになった。すべての物事はただ行動するかしないか、たったそれだけの違いであるように思えてくるのだった。

(2)継続性課金モデルへと進出

 高橋の次の一手は投資情報の提供ビジネスだった。月額制で会員を募り、定期的に投資情報を配信していく。証券会社の投資担当をヘッドハントし、情報配信のすべてを任せた。高橋は新規会員の獲得に注力するだけで良かった。投資関連のマーケット規模は非常に大きく、マーケティングにはさほど苦労はしない。
 高橋はこのサービスに信じられない保証を付けた。それは「返金サービス」だった。一ヶ月間、配信された情報の通りに銘柄を売買し、損失が出た場合はその損失を補填する、というものだった。投資家のリスクは完全にゼロになるので、新規顧客が殺到した。
「そんな保証を付けても大丈夫なのか?一歩間違えれば大損ということにならないのか?」
 僕は気になって高橋に尋ねた。
「それはない。まぁ、結果を見ていれば分かるさ」
 高橋の言う通り、そのビジネスをサービスインしてから半年が経過しても返金サービスを利用した顧客はただの一人もいなかった。
「配信された情報通りに売買するなんて元々無理なんだよ。欲を出して、単元数を多くして取引したり、独自の判断で違う銘柄に手を出したり、そうやってアレンジを加えてしまうのが人間というものだ。俺には最初からそれが分かっていたから、このサービスを付けることができたんだ」
 高橋は人間の心理を読むのが上手い。言われてみれば確かにそうだ。配信 情報通りに手心を加えずに取引することは僕にもできない。
 高橋はこのサービスにサポート担当のアルバイトを一人だけ雇って継続し、また別のビジネスを模索し始めた。高橋はこうして次々に新しいビジネスモデルを構築することで、資産を増やしてきたし、ドバイ投資の負債の回収を進めた。
 高橋が新しいビジネスの種を探す時、僕はいつも貪欲な狼の姿を思い浮かべる。鋭い嗅覚だけを頼りに獲物を探すのだ。風向きが変わるのをじっと待つ。そして獲物の臭いがすればためらいもなく、一気に襲いかかる。それが高橋流のビジネスだ。

第8章:お金に対するメンタルブロックを破壊せよ

(1)Good luck, U.S.A

 いよいよ卒業式が近づいてきた。教室の窓から見える校庭もどことなくもの悲しく瞳に映る。友人たちは僕のためにお別れライブを企画してくれたり、海辺でのバーベキューやナイアガラの滝ツアーなど、色々な催事を用意してくれた。でも、それらのイベントが終わると寂しさは増すばかりだった。
 イベントごとに僕は泣きながらみんなにお礼を言った。僕以外の友達たちはみんな、同じ中学校に進むことになるので他の仲間たちとの別れの感傷などは感じることはない。
 卒業式が終わった後、体育館にアンプや機材を持ち込み、簡単なライブをやった。このメンバーで音を出すのは最後になるのだろうな、と考えると涙が出そうだったので、僕は演奏に意識を集中した。由美子おばさんも観に来てくれて、最後は生徒を代表してクラスメイトの一人が大きな花束をプレゼントしてくれた。
 そしてみんなが冷やかす中、僕とRikaはキスをした。これまでの人生で最高の瞬間だった。この瞬間は僕が十二年間生きてきた証のようなもので、これまでの時間と生き様がなければ決して味わえないものだろうと思った。
その日の夜は特別だった。学校の校庭にある新緑のサクラの木の下でRikaと二人きりで夜中まで過ごした。言葉数は少なかったけれど、お互いの手をずっと握り合っていた。
「さよなら、じゃないよね」、Rikaが呟くように言う。
「もちろん。必ずまた会える」
「それじゃあ、悲しむことなんてない」
 Rikaは立ち上がり、その透き通った声で歌い始めた。僕らのバンド名と同じタイトル「Evergreen」を。僕は目を閉じてその美しい歌声を胸の奥にまで染みこませた。

(2)ビジネスの水平展開という手法

 高橋は投資情報サービスとまったく同じ形式で、競馬、競輪、ボートレースの情報配信サービスを始めた。しかし、これらは投資情報とは違い、プロのアドバイザーがいるわけでもなく、資格も必要がないため、新聞の三行広告で募集したアルバイトに情報を書かせていた。元々がギャンブルのため、顧客単価を引き上げても問題なく、むしろ値段が高いほうが信頼できると、会員は増える一方だった。
「ギャンブルは中毒になっている奴がほとんどだ。ドラッグと同じで一度はまると抜け出せない。だから一度、顧客として囲い込んでしまえば逃げられることはほとんどない。これは美味しいマーケットだぞ」
 高橋はそんな風に言っていた。そして次に高橋が目を付けたのはロト6だった。
 このような情報配信サービスは会員にメールを定期的に送るだけで良いので、コストは限りなくゼロに近い。高橋は順調に負債を取り戻していった。
 僕は契約しているクレジットカード会社の担当者から、ある有力な情報を入手していた。それは国内のクレジットカードで取扱金額が最も多いのは「出会い系サイト」の課金である、という情報だ。つまりネットに限らずリアルビジネスでも最も広いマーケットであることを意味する。
 僕は早速、出会い系サイトのシステムを丸ごと買い取った。ご丁寧なことに「サクラ」役のアルバイトも20名契約することができた。後は何もすることはない。適当なメールアドレスにメールを配信し、男性が餌に食い付くのを待つだけだ。サクラとのやり取りでポイントを追加するために、どんどん課金してくれればいい。このビジネスは月商で1,000万円を簡単に超えた。年商は軽く1億円を超えた。
「Evergreen, Inc.」は年商にして十億円に迫ろうとしていた。
 短期間でこれほど大きな金額を動かすようになった自分に僕は驚きを感じていた。高橋に言わせればまだまだ、ということになるが、僕には十分な成果であるように思えた。ただ僕は高橋と知り合ってから、あくまでインターネットを中心にビジネスを展開していたし、投資案件に関しては高橋の言うままに、キャッシュを投じてきただけに過ぎない。ただお互いにビジネスに対して口出しはしなかったし、高橋はどちらかと言えば人脈を重視し、僕は情報や知識を重視するタイプだったので価値の等価交換がスムーズでお互いを補完し合うことができていた。そういった意味では最高のパートナーだった。人柄などは関係がない。一緒にキャバクラに行って騒いだり、風俗に行って遊んだ経験もない。
 ただ高橋からは「お前はマインドイメージが甘い」という指摘をよく受けていた。僕自身もインターネットにだけ頼ったビジネスは、いつ流行が過ぎ去るか分からない、という危機感を感じていた。新しいテクノロジーが出現した場合、スムーズに適応できなければ、そこでビジネスは暗礁に乗り上げてしまう危険性が常にある。

第9章:自らの力でマインドブロックを「突破」する

(1)The confinement to the "Jail"

 そして日本に帰った僕がまずやらなければならなかったことは日本語の読み書きの練習だった。由美子おばさん、おじさん、従兄弟のお兄ちゃんと日本語で会話をすることはあっても、日本語を読み書きする機会はほとんどなかった。特に漢字はまったくといっていいほど読むことができなかった。アメリカの卒業式は六月なので、幸い中学校の入学までには時間がたくさんあった。
 こつこつと勉強は続けていたけれど、退屈な毎日だった。日本には友達もまったくいない。どうしても集中力が続かず、気が付けば机の前でニューヨークで過ごした日々のことを思い返していることもしばしばだった。勉強はそっちのけでギターを弾いていると、Rikaの歌声が届いてくるような気がした。そして何度となくRikaとのキスの感触を思い出した。
 週に何度か僕はRikaに電話をかけた。相変わらず元気な声で、みんな変わらず元気でやってるよ、などと言う。国際電話なので電話代が気になってそんなに長く話すことはなかったが、声を聴くだけで僕は幸福な気持ちになれた。
 僕は自分のバンドのCDをよく聴いた。ニューヨークにいた頃の鮮明な記憶が蘇ってくる。うっすらとバターの香りのする教室、タバコ臭い練習スタジオ、汗で毛先まで濡れているRikaの横顔、海辺に浮かぶヨットの真っ白な帆、土にまみれて遊んだ広い校庭。それらはすでに僕から遠く離れた存在になってしまった。
 結局、僕は入学式を迎えるまでに最低限の漢字を覚えることしかできなかった。ことわざや、複雑な言い回しまではとてもではないが手を付けられなかった。
 日本の中学校では全員が黒い詰め襟の制服を着て、髪型は丸坊主と決められていた。僕は肩まであった髪をばっさりと切り落とした。アメリカの軍隊でもここまで厳しい規律はない。女子生徒も肩を超える長さの髪は禁止されていた。体育館に生徒たちが並んだ異様な光景は、忘れることはないだろうと思った。まるで明治時代の軍事演習と変わるところがない。
 クラス分けが発表され、僕は自分の教室の席に着いた。間もなく担任が入って来て、黒板に名前を書いた。
「これから一年間、俺がお前らの担当だ。いいな。俺の言うことは聞くように」
 軍曹が部下に命令するような横柄な態度だった。
 そして生徒は順番に自己紹介をさせられた。僕が話していると、くすくすと小さな笑い声が聞こえた。日本語の発音が変なのだろう。担任の教師も一緒になって笑っていた。
 それからの日々は過酷だった。男子生徒は僕の日本語がおかしいことを常に笑い物にした。僕が何を話してもまともに会話しようとしなかった。帰り際には自転車のタイヤに釘が刺さっていることがあった。靴が焼却炉に捨ててあることもあった。これが「いじめ」というものか、と僕は悟った。アメリカでは喧嘩や議論はあっても、こういう陰湿なやり方はなかった。
 僕にとってそこは「Jail」だった。
 僕は親に頼み込んで、格闘技を習わせて貰うことにした。陰湿なやり方には力で対抗し、恐怖心を植え付けるしかない、と思ったのだ。電車で一時間以上もかかる教室に週に二度、通うようになった。僕が選んだのは北派少林寺の流れを組む流派の一つ「無影拳」というカンフーで、超実践的な鍛錬が有名になり格闘技専門雑誌に度々取り上げられていた。結局、将来に渡って僕はこの教室に二十歳になるまで八年間通い続け、師範の免許皆伝を受けることとなる。
 教室に通い始めて一ヶ月は基礎を覚える練習だったが、二ヶ月目からはいきなり実践を想定したスパーリングに入った。グローブも防具も一切なし。 当たり前だが、先輩たちにはやりたいように蹂躙され放題で僕は練習の度に毎回、顔面のどこかから出血した。けれど、「Jail」から抜け出せると思えば、まったく苦にはならなかった。空手やムエタイなどのように単純にパンチとキック、肘と膝を使うものとは無影拳の技術体系は大きくかけ離れていた。えぐる、噛みつく、踏みつける、投げる、ぶつける、突き刺す、といった技が中心で予想もしない攻撃なので、最初は防御さえ一切できなかった。それでも練習を重ねると徐々に、顔面からの出血も減っていった。
 僕はRikaとの電話で「僕は自分の力でJailを突破する」と何度も言った。
 Rikaは「大丈夫、君ならできるよ」といつも励ましてくれた。

(2)一点集中から拡散モデルへ

 高橋に「パチンコの攻略情報を流すのはどうなんだ?」と訊いてみた。「他のギャンブルより依存症の人数は多そうだけど」
 高橋は首を横に振った。
「ダメだね。パチンコは専門の攻略雑誌が何誌も発行されている。頭のいい奴はそれを情報源にして確実に勝ちを手にしている。ああいう雑誌には驚くほど正確な情報が載っていて、オカルト系の情報は入る隙間がない。それにも関わらず、怪しげな情報を欲しがるのはよほどの無知か、とんでもない年寄りかのどちらかだ。そりゃあ、そいつらを相手にすればかなり稼げるさ。でもな、後味が良くない。オカルトの攻略情報に何百万と突っ込んだ挙げ句、首を吊ったなんてよくあることで、そんな奴らに恨まれちゃ、寝付きが悪くて仕方ない」
「なるほど。確かに本物の情報が雑誌には載っているからな」
 高橋はよく研究している、と思った。パチンコの攻略情報を販売している会社には暴力団が絡んでいる場合も多く、そういったマーケットに手を出すことは危険だとも判断しているのだろう。
 高橋がビジネスを展開するスピードと比べて、僕は随分遅れを取っていた。彼のように一ヶ月に一つは新しいビジネスを立ち上げる、ということは真似できずにいた。
 僕は日本より五年進んでいる、といわれるアメリカのインターネットビジネスに目を向け、「Evergreen, Inc.」のメンバーへセミナーに積極的に参加するようにと指示を与えた。Timたちは主にマーケティングを教えるセミナーに参加した。どんなビジネスでも当てはまるのだが、その土台を支えるのは新規顧客開拓に他ならない。言い方を変えれば、マーケティングの戦略さえしっかりしていれば、どんなものでも販売できる。
 特にインターネットでは物を販売するために顧客リストを手に入れるのではなく、顧客リストを手に入れるために物を販売するというパラダイムシフトが必要だ。そしてこのリストはリアルビジネスでも活用できる。
 これが理解できなくて、売上を落としていくネット関連企業は多い。
「Evergreen, Inc.」は次の戦略としてマーケティングのプロ集団への道を目指すこととした。

第9章:欲望ではなく「飢え」という感覚

(1)The escape from the "Jail"

 入学式から三ヶ月が経過した。初めての定期テストも終わり、後は夏休みを待つだけだった。
 僕はクラスの男子生徒全員を体育館に呼び出した。熱気がこもり、じっとしているだけでも額から汗が滲み出た。
 連中は全員で二十人。へらへらと笑いを浮かべながら、ゆっくりと僕に近づいてくる。そして僕を中心に円状になって周りを取り囲んだ。一番のお調子者、イケダが僕に近づいて、何かを言おうとしたが、つま先で股間を蹴り上げると、その場にうずくまってうめき声を上げた。ちょうど良い具合に、 体育館シューズはつま先とかかとの部分が固いゴムで覆われていて、十分に武器として使えるものだった。二人目が僕に殴りかかろうと右腕を振りかざしたので、右足のヒール部分で目をえぐった。三人目は膝でみぞおちを突き上げてから、鼻の穴に人差し指を突き刺し、そのまま深くまでねじ込んだ。
 格闘はそこまでだった。誰かが教師を呼びに行ったのだ。駆けつけた体育の教師が僕らを制した。僕らはそのまま職員室まで連行され、事情を聞かれた。一対二十の多勢に無勢で格闘をし、その当事者の僕はずっといじめられていたという事実から、二十人全員がその場で謹慎処分となった。
 勝負はあっけないものだった。時に、困難に思える状況もこんなに簡単に突破できるものだということを僕は初めて知った。
 翌日から教室に男子生徒は僕一人という異様な状況になった。
すがすがしい気分だった。クラスメイトの男子に誰一人友達になりたいと思う奴などいなかったし、何よりこれで陰湿な行為の被害はなくなる、という自信めいたものがあった。Rikaに報告すると、電話の向こうで手を叩いて喜んでくれた。「さすがだよね!あなたはタフだよ!」と何度も繰り返していた。
 後、三日で夏休みだった。

(2)強烈な「飢え」を覚えるまで

 僕は「Evergreen, Inc.」のメンバーと情報収集を一緒に行うために、ニューヨークへ戻った。生活は由美子おばさんのお宅にまたお世話になることにした。
 手当たり次第に色々なセミナーに参加したが、そのどれもが刺激的だった。僕らのまったく知らない手法で見込み客を集めてくる、あるいは既存の方法を組み合わせてさらに加速させる、といった内容でどれも理にかなっていた。
「Evergreen, Inc.」のメンバー全員が新しい知識に飢えていた。それは欲望や好奇心というより、正に「飢え」だった。例えば脱水症状を起こし水分を必要としているとか、戦争で重傷を負ったが家族のために死ぬわけにはいかず、這ってでもキャンプ地にたどり着かなければならない、といった感情と同種のものだ。
 新しいステージに到達するためには飢えの感情が必要不可欠だとみんなが感じていた。時間があれば本を読んだり、インターネット調べ物をしたり、 マーケティングの専門家にインタビューを依頼したりした。
 つまり誰一人として現状の「Evergreen, Inc.」の現状には満足していないということだった。
 僕らはそれぞれが学んだことをひたすら文書に落とし込んだ。半年を超える頃には千ページを超える量になっていた。そして僕らはそこに記されたマーケティング手法を実践に移した。リストの属性は「ネットビジネス」、つまりインターネットを使ったビジネスに興味のある人の氏名とメールアドレスに絞った。
 その結果、わずか三ヶ月ほどで「440万件」という莫大な数のリストを獲得するに至った。インターネットの世界ではリストの保有数が勝敗を決する、といわれることもある。何かを販売するにしても、サービスを提供するにしても、保有しているリストの人数に対して、ほとんどコストゼロで一斉に売り込みをかけられることが主な要因だ。
 僕らはテストとして、オンラインの証券会社を使った株式売買の入門書の電子書籍を販売してみた。電子書籍は製造コストも搬送コストもほとんどかからない。その結果、日本円換算で一億二千万円という金額を一週間で売り上げた。これには全員が歓喜した。販売したものはあくまでテストマーケティングということで深い内容のものではなく、検索エンジンで調べれば分かるような内容の物だった。それが僅かな期間で莫大な利益を生み出したのだ。
 次に、僕らは商品開発にじっくりと時間をかけ、FXの自動売買システムのソフトウェアを販売することにした。
 ソフトウェア開発会社に委託し、安くはない開発費を投じ、バックテストを何度も繰り返した。満足のいく利回りを上げられるようになるまでに四ヶ月を要した。僕らはマーケティングのテクニックを入念に活用し、見込み客の購買意欲を極限まで引き上げる努力をした。販売に至るプロセスまでにさらにリストの数を増やし、ジョイントベンチャーでの協力者を募った。
じっくりと策を講じ、期は熟した、と全員が感じた時期に、インターネットはもとより、雑誌や新聞なども使い、一斉に販売を開始した。
 販売期間は二週間だ。その期間内に六億円を稼ぐことに成功した。そしてそのすぐ後に、追加販売をして四億円。合計で十億円の売上になった。
「Evergreen, Inc.」はわずか四名で大企業にも劣らない利益を上げることのできる会社にまで短期間で成長した。
 そんな頃、高橋から連絡が入った。
 すぐに日本に戻ってきて欲しい、と。

第10章:セルフ・イメージの限界

(1)The escape from the prison

 夏休みを利用して、僕はバンドメンバーを探すことにした。楽器店にメンバー募集の張り紙を貼りだし、雑誌にメンバー募集の広告を出したり、クラスメイトの女子に楽器ができる知り合いはいないかと聞いて回ったりした。
 楽器店のチラシと、女子に紹介して貰った人で何とかメンバーは揃った。全員が僕より年上の高校生でボーカルは女性だった。それぞれがそれなりの経験があり、最初にスタジオ入りした時から、数曲は完全に音を合わせることができた。このメンバーなら大丈夫だ、と僕は確信を持った。
 夏休みのほとんどをバンドメンバーと一緒に過ごした。彼らは僕の知らない世界をたくさん見せてくれた。他のバンドのライブに連れて行ってくれたり、飲み会をやったり、河原でのキャンプに参加させて貰ったりして、知り合いもたくさん増えた。どこへ行っても僕が最年少だったので、みんな僕を可愛がってくれた。僕らのバンドはそれぞれが自作の曲を持ち寄って、結成から一ヶ月も経たないうちにレコーディングを開始した。「Evergreen」より若干ハードな曲が揃ったが、バンドの音楽性として統一された満足のいく仕上がりのアルバムが完成した。
 日本での夏休みは忙しくも楽しい日々だった。
 夏休みが終わり、初登校の日。クラスの男子生徒は誰も僕と目を合わせようとしなかった。望み通りだ。
 僕は女子一人一人に声をかけ、バンドのライブチケットを買ってくれるようお願いをした。僕がバンドをやっていることが以外だったようで、最初に驚いて、それから多くの子がチケットを買ってくれた。坊主頭でステージに立つことには多少抵抗はあったのだけれど。
 ライブ当日にはクラスの半分以上の女子、それから他のメンバーの知り合いが来てくれて、ライブハウスはいっぱいになった。ステージングもみんな慣れたもので、観客も盛り上がり、気持ちの良いライブが展開できた。大成功と言えるだろう。
 僕はスタジオでレコーディングしたものと、ライブを録音したものを2枚組のCDにして、販売することにした。予想以上の売れ行きで、それは口コミで広がり、クラスメイトは元より、隣のクラスや学年が上の先輩も買ってくれた。結構な儲け額になった。
 そんな時、僕は担任に職員室に呼び出された。
「お前はまだ中学生だ。金儲けはしてはいけない」ときつい口調で担任は言った。
「中学生だったらどうしてダメなんですか?」と僕は反論した。
「ダメなものはダメだ」としか担任は繰り返さなかった。
「Business is business!」と僕も繰り返すしかなかった。
 業を煮やした担任は生徒手帳を取り出し、校則のページを開いた。
 そこにはこんな一文があった。
「特別に家庭が貧窮する要因がある場合を除き、アルバイトを禁ずる」。
 僕の父親は高校の国語教師だったのだが、現在はガンの治療で一年以上の入院生活を続けている。症状は末期で後一年は持たないだろうと医者から告げられていた。
「先生も知っている通り、僕の父親はガンで入院しています。医者からはもう長くはないだろうと言われています」
「それはもちろん知っている。だからまず、申請書を出して欲しい」、担任は背後の書類棚から一枚の書類を取り出した。保護者の氏名と捺印が必要なようだった。
「この書類に記入さえすれば、許されるのですね?」
 担任は少し困惑した表情で、話はそう簡単ではない、と言った。
「新聞配達や土日に知り合いの大工さんの仕事を手伝わせて貰うとか、色々あるだろう?そういうのだったら問題はない」
 僕の頭には様々な疑問が浮かんだ。新聞配達?大工仕事?
「先生、僕は人一倍、朝に弱いんです。学校に遅刻することも多いので、先生も分かっているでしょう?それに僕には知り合いの大工さんなんていません。
 それにどう考えても、今のやり方のほうが効率よく儲けることができます。CDやチケットを販売するのは僕のビジネスです。それがどうしてダメなのですか?」
「いや、中学生だったら中学生らしく、アルバイトをするべきなんだ。ビジネスなんて大人みたいなことを言うな」
「中学生らしい、というのはどういうことですか?その言葉の定義を教えて貰えませんか?」
 担任は明確な回答は避けた。
 そこからの議論は堂堂巡りだった。前例がない、という点もかみ合わない理由の一つだった。必要以上の大金を稼いでしまう可能性がある、とも担任は言った。どうせ稼ぐなら金額は大きいほうが良いのではないか。
僕は諦めて校内での販売は止めた。楽器屋に来る人に声をかけたり、他の学校に通っている生徒、ライブハウスに出入りしている人に営業をして販売した。営業に関するビジネス書を読み、様々なテクニックを学んだ。人生で初めての営業活動だったけれど、売上は好調だった。常に一定額以上の儲けを手にすることができた。
 僕はビジネス書を読むことで日本語の本を読む喜びを覚え、小説もたくさん読むようになった。そして不十分だった日本語の読み書きの能力も補完されていくことが実感できた。

(2)セルフイメージをぶち壊せ!

 高橋は常宿にしているビジネスホテルの一室で待っていた。シックな紺のスーツを着込み、分厚い資料をデスクに置き、ノートパソコンを開いていた。酒は飲んでいないようだった。
 ビジネスの真剣な話をする際の高橋のいつものスタイルだった。
「要点から話して貰うことはできるかな?」
 僕は着ていたジャケットをシングルベッドの上に放り投げ、ソファーに座りタバコに火を着けた。
「ああ。単刀直入に言う。200億円出資してくれないか」
「ディティールを話してくれ」
「まず今回の案件は、多くの投資家を募って投資ファンドを組むことはしない。俺たち二人だけの出資で利益を独占したいと考えている。リターンが投資額を割り込むリスクはおよそ18%だ。この案件はインサイダー情報となるので、投資ファンドは先んじて動くことはできない」
「M&Aの案件ということでいいな?」
「その通りだ。東証一部上場企業同士の大型買収案件だ。どちらも誰でも知っている有名企業だ」
「資料を見せてくれ」
 資料には人材派遣業界で日本でのナンバー1とナンバー2の企業の名称が書かれていた。株式取得による友好的買収。デューディリジェンスまでは終了し、結果を契約書に反映される段階にある。
「知っていると思うが」と僕は口を開いた。「今現在、僕の会社には200億円のキャッシュはプールできていない。必然的に借り入れをすることになる。そして僕はこれまで、ここまで大きな金額を動かしたことはない」
「一つ、リスク要因が増えたわけだ」
「そういうことになる。200億円という巨額を投資するのは僕にとって未知の領域だ。正直に言えば、恐怖も感じる」
僕はさらに資料を深く読み込んだ。リスクに対するリターンの数字をざっと計算してみたが、投資に値する十分な数字だと思えた。
「一週間だけ時間をくれないか。キャッシュを用意する」
「オーケー。余計な質問もしないし、保証を求めたりもしない。相変わらず、お前らしいな」
「リスクを取るのも、投資をするか決めるのも僕自身だ。I decide it.」
 高橋はタバコに火を着けて、唇の端だけで笑みを浮かべた。
 僕はその場でアメリカの顧問会計士に電話をかけ「Evergreen,Inc.」の資産を担保にいれて銀行から借り入れをし、200億円のキャッシュを作るように指示した。問題ない、5日間待ってくれ、と会計士は返事をした。
 セルフ・イメージのアップデートが必要なのだ、と僕は考えていた。数十億円を扱うことは僕にとっては当たり前のこととして受け入れることができた。ただ数字が一桁上がるだけで恐怖を感じた。このままでは「Evergreen, Inc.」は年商数十億から抜け出すことはできない。そう判断して、僕は投資にかけることにした。結果によって、セルフ・イメージをアップデートすることが可能になる、と思ったのだ。それは考えようによってはチャンスだった。
 この案件に関してはリターンを得るまでに四ヶ月かかった。
 リターンの金額はおよそ600億円。200億円の投資に対しては、立派な数字だった。高橋は株式のインサイダー取引も含めおよそ1千億円のリターンを得た。
「悪くない」、高橋は満足げに頷いた。「お前がいなければ、俺だけの資力ではこの案件を成立させることはできなかった。恩に着る」
 これで、高橋はドバイ案件での負債を完済した。
「これまでも持ちつ持たれつでやってきただろう、今さらそんな言葉はいらないさ」
 この件で得たキャッシュで、Timに人材を雇用するように伝えた。ビジネスでは常にレバレッジが必要で、人的レバレッジは「Evergreen,Inc.」に欠けている要素の一つだった。Timはまず20名をテストとして雇用してみる、事務所が手狭になるので、Wall Streetに移転する、と伝えてきた。
「OK, You decide it.」

第11章:思考停止こそが、欲望を奪う

(1)My father died

 僕の中学生活はそれなりに充実したものになった。二年生になると、クラス替えがあり担任も替わった。男子生徒の友達も増えた。バンド活動も順調で忙しいながらも、楽しい日々だった。時々、ニューヨークでの生活を懐かしく思い出したりはしたけれど、Rikaの声を電話越しに聞くと郷愁感は少し和らいだ。
 そして中学最後の年の春。父親が死んだ。父親と過ごした時間は短かったけれど、小説を読む面白さや文学の魅力について、病室でたくさん教えてくれたことに感謝している。父親は国語教師を務めながらも、何冊もの小説を出版していて、それは僕の大切な形見となった。日本では公務員の副業は禁じられているので、それが理由で芥川賞の選考から落とされたという作品もあった。同じ理由で他の作品も一般の流通には流れずに、大学への文学教材としてのみ流通していた作品群だった。その割には多作で、単行本にして二十冊以上あった。きっと父は教師よりも小説家として生きていきたかったのだろう。しかし、死の神はその手で父を捉えたのがあまりに早く、その願いは叶わなかった。
 僕はお通夜の夜からお葬式の日の朝まで冷たくなった父親と添い寝をした。考えてみれば父親と一緒の布団で寝ることは幼少の頃以来だった。小学生時代はアメリカで暮らしていたので、ほとんど顔を合わせることさえなかった。一年に一度ほど、母親と一緒に遊びに来た程度だ。
 父の頬に手を添えると、驚くほど冷たかった。不思議なものだな、と僕は思った。この人がいなければ、僕という存在は今、ここにはいない。
 僕は冷たい手を握りながら、深い虚無の眠りに落ちていった。そこには生の躍動も、脈打つ鼓動もなかった。ただ漆黒の空間が広がっているだけだった。
 父のお葬式にはクラスの全員が参列してくれた。僕はひたすら泣いていた。理由は分からない。何年も前からこの日が来るのは分かっていたはずだ。けれど、ただ涙が止まらなかったのだ。
 親が死んだ、という理由で学校から特別に一週間の休みが貰えた。僕は毎日、父の残した遺作を読んで過ごした。まるで父から語りかけられているような錯覚に陥った。これらの遺作を残したことは、父の短い四十六年の人生に少しの意味を与えたと思った。
 父親が死んだことで、経済的に大学への進学は諦めざるを得なくなり、僕は商業高校へ進むことになった。けれどそれは僕にとって好都合だった。大学で無駄な時間は過ごしたくなかったし、受験のために高校時代の貴重な時間を摩耗させるのも嫌だった。
 そして自分の手でビジネスを起こすなら、最低限の簿記会計や、企業ファイナンスの知識が必要だと思っていたので、むしろ願ったり叶ったりというところだった。
 受験は学校のランクをかなり下げたことにより、ほとんど勉強もせずにパスすることができた。TimやHiroは有名な進学校へ進んでいたので、大きく差が付いてしまったけれど、将来はどんな形であっても、それぞれの得意分野を活かせばいいと考えるようにした。そしていつか再会できる日を楽しみにしていた。Rikaだけは高校へ進学せず、ボーカルスクールに通いながら、バーやライブハウスなどで歌うことを選択した。大人になったRikaの姿を見てみたかった。音楽に合わせ激しく体を動かしながら、ハイトーンの透き通ったボーカルを響かせ、観客の男性を性的にも魅了していることだろう。

(2)ビジネスマンとサラリーマンのマインドの違い

 Timが雇い入れた二十名のテスト生は、最終的に二名しか残らなかった。自主的に退職した者も、こちらがクビにした者もいる。そして再度、募集をかけ、今度は三十名のテスト生を迎え入れることにした。
「サラリーマン意識が強すぎるんだ」とTimは言った。「とにかく決まった時間、オフィスのデスクに着いていればサラリーが貰えると考えている。こちらが指示しなければ、まったく仕事をしない。まるでマネキンに給料を払っているような感覚に陥る」
「それは仕方ないさ。彼らはサラリーマンなのだから。小学生の頃から自分たちでビジネスを展開していた僕らとはまったく違う生き物だと思ったほうがいい」とまるで昔話の一説のような会話が僕とTimとの間で交わされた。
 この頃には、「Evergreen,Inc.」はCEO(最高経営責任者)が僕、COO(最高執行責任者)がTim、CFO(最高財務責任者)がHiro、CIO(最高情報責任者)がRikaと、設立メンバー全員が役員となっていた。
 僕らはポリシーとして社員教育というものを行わなかった。それは単なる無駄なコストだと考えた。最初から、仕事をビジネスとして捉え、労働力を提供する代わりに少しでも有利な条件を引き出し、双方にとってメリットのある着地点を見いだして、提示してくる人材だけを選ぶようにした。
 それは仕事を教えることはできても、ビジネスマインドを教えることは不可能に近い、という僕ら四人の結論に基づいていた。
 そして僕らは厳密に言うと、国籍は変わっていても四人とも日本人なのだが、日本人を幹部候補にしようと考えたことは一度も無かった。
 日本人のほぼ100%は「外部」というものを知らない。知らないというより、意識をしたことさえないというほうが正確だ。アメリカと違って人種や国籍の異なる他人と出会う機会は少なく、多くの場合、家庭環境や暮らしている地域なども似たような境遇の人たちとしか出会うことがない。仲間内でだけで通じる言葉で会話は進行していく。そして利害関係のない「仲良しグループ」を形成する。そこには、ただの仲間意識と暗黙の了解だけがあり、その曖昧な事柄だけがコミュニティを形成する要素となる。
 しかし、ビジネスにおいてはまったく違う環境にある外部の人間と接触する必要があり、いわゆる「暗黙の了解」を捨て、正確な言葉を使い、時には言葉の定義を再確認する作業を行い、折衝を進めていく必要があるのだが、そういうことを意識的にできる日本人には出会ったことがない。僕がアメリカから帰国した時にも強烈に感じたことだ。日本語でコミットできなければ、英語でコミュニケーションを取れば良いと考えていたが、日本人相手にはそれは通じなかった。高橋を除いて、ということになるが。高橋はオーストラリアからの帰国子女で大学を卒業する二十二歳までずっと海外で暮らしていたので、日本人らしい側面は殆ど持ち合わせていない。
 そして僕が日本で生活している間に、日本語は徐々に変化していき、今では断言することを避けることが主流となった。語尾に「~って感じ」や「~みたいな」と付けることで、それが誰の意見か分からなくなってしまう。僕や高橋のように第二言語に英語を使う人間は激しく混乱する。主語が無く語尾が曖昧になれば、英語に翻訳することは不可能だ。ビジネスの場において、そのような発言は絶対に許されない。高橋も僕もその前提を理解していた。
 そのことが、僕が、そして高橋が互いをパートナーとして受け入れる一つの要因となっていた。
「Evergreen, Inc.」はそのような基準をもとに採用と解雇を繰り返し、最終的に14名の社員を採用することで落ち着いた。幹部の四人は実務から解き放たれ、ビジネスの要となる重要なポイントだけを見ていればよく、役務型労働から解放された。

第12章:セルフ・イメージの限界を突破した向こうに

(1)Business image training

 高校生になった僕は自分自身でも驚くほど、学校の授業にのめり込んだ。企業のファイナンスの基礎となる会計の授業はあったし、コンピュータプログラミングの授業もあった。簿記会計や商業経済、商法など実務面で役に立つ内容がたくさんあって面白くて仕方がなかったのだ。部屋全体を銀行に見立て、銀行業務を体験する授業なんかもあった。キャッシュフローの仕組みがよく分かったし、企業経営において大切な数字は何かということも分かった。
 これは思いも寄らない収穫だった。
 僕は得た知識をもとにして、新しいビジネスを立ち上げようと考えていた。高校の校則では、片親の家庭では無条件にアルバイトや副業が許されていて、何をしても自由だった。まず、時間給いくら、という労務型のモデルでは大きな収入にはならないことは授業を通して、嫌というほど学んだので、このモデルは却下した。そしてキャッシュフローを円滑にするために現金化が早いモデルである必要があることも学んだ。最も簡単なのは、安く仕入れて高く売る、という小売り型のビジネスだ。そして仕入れ原価は出来るだけ抑えて、粗利を大きくする必要があった。また新規顧客を獲得するにはコストが必要なので、できるだけリピート性のある商品が良い。僕はある方法を思い付いて簿記会計担当の先生に協力してくれないかと相談を持ちかけてみた。
 面白い、そのアイデアに乗ってもいいぞ、とその先生は簡単に了承してくれた。さすがに実業系の高校だけあって、先生の理解の幅も広かった。
僕が考案したビジネスモデルというのはこうだ。
「フォローアップコース」というサービスに事前にお金を払って申し込んだ生徒には一回の簿記会計の授業終了後、「フォローアップテキスト」という授業内容を補足するテキストが配布される。これは演習問題が中心に構成されていて、授業内容よりハイレベルな問題が掲載されている。この内容がそのまま定期テストに出題される可能性も高い。
 ここで次回分の「フォローアップコース」の代金を払っている生徒にだけ、先生とマンツーマンの添削サービスが受けられる、という特典を付加した。
 先生が全面協力してくれただけあって、このサービスは大ヒットした。生徒のほとんどがこの「フォローアップコース」サービスを利用した。おかげで僕はほとんど何もしなくても、定期収入を得ることができるようになった。
 僕が新しいビジネスを展開する魅力に取り憑かれた瞬間だった。
 僕はこのビジネスを他の科目にも拡大していった商業経済、商業法規、情報処理などだ。当然、収入は飛躍的に増えていったし、僕はさらにビジネスについての勉強に没頭するようになっていった。
 不思議だったのは、誰も僕の真似をしたり、新たなビジネスを立ち上げようとする生徒が現れなかったことだ。
 三年生の夏休みを目前として、そろそろ就職活動の時期を迎えていたが、学校から提示される企業の推薦枠に素直に応募するだけで、自らビジネスを立ち上げようとする生徒は皆無だった。
 高校でこれだけのチャンスを得ることができたのに、なぜなのか、僕には理解できなかった。
 当然、僕は就職活動などはせず、卒業したら自分で会社を立ち上げると決めていた。

(2)エバーグリーンビジネスを目指して

「Evergreen, Inc.」の新しいオフィスにはまだスペースに余裕があった。僕はTimと相談して従業員を増やし、新しいビジネスへ踏みだそう、と提案した。
 理事会で話し合った結果、次のような条件を満たすことが前提とされた。

1. 仕入れ原価が限りなくゼロに近いこと
2. 在庫リスクがないこと
3. 商圏が限られないこと
4. 継続課金が可能であること

 簡単ではないが、これまで僕らが手掛けてきたビジネスは偶然、この原則に当てはまっていた。高橋が手掛けているビジネスもすべてこの条件に当てはまっている。高橋のことはみんなもよく知っていたので、高橋が現在、手掛けているビジネスを簡単に説明した。
「高橋さんのビジネスモデルには大きな欠点があるよ」とRikaが言った。「それはね、顧客一人当たりの単価があまりに低いこと。ギャンブル中毒者とか、出会い系サイト利用者とか、そんな貧乏人を相手にするべきじゃない。お金をたくさん持っている富裕層に対してもっと高級なサービスを提供することだってできるはずよ」
 鋭い指摘だった。
「だけど高橋は折を見て、大きな投資を仕掛けるんだ。数百億円単位の。これが高橋のビジネスを支える柱となっている。他のビジネスには決して執着しない」、僕はそんな説明を付け加えた。
 そしてRikaは少し考えた後、LLC利用者対象のサービスなんてどう?と言った。LCC-low cost carrier-つまり格安航空会社のことだ。
「ちょっと待てよ。LCCってのは、金のない貧乏人が利用するものなんじゃないのか?」とHiroが異論を挟んだ。
「バカね、そこにチャンスがあるんじゃない」とRikaは諭すように言った。
「LCCは運賃自体は安いわけでしょう?それならそこに付加サービスをどんどん追加することができる、ということにならない?」
 みんなは黙ってRikaの続きの言葉を待っている。
「例えば空港からホテルへの送迎。どこの国でも都心部からは電車やタクシーで移動しないといけないでしょう?それがもし専用のリムジンだったらどう?それから機内食。みんな知っての通り、LCCに限らず機内食はレンジでチン、とやって出されるわけよね。これをシェフが調理したものにしたらどう? あと、LCCは座席の狭さが問題だけど、両隣も同時に抑えて空席にすれば、ファーストクラスより広く座先が使えるわよね。私はコストをちょっと計算してみたんだけど、これだけのサービスをやってもノーマルのエアラインのビジネスクラスより低い価格で提供は可能よ」
「なんだか、もっと色々なサービスを提供できそうだな」と僕は付け足した。
「専任のCAなんかが着いてくれると最高だな」、Hiroが嬉しそうな声を上げた。
「もちろん、それも可能。世界にはフリーのCAを派遣する会社がたくさんあって自分の好みのCAを派遣して貰うことができるのよ。隣の席にずっと座っていて貰ってもいいかもね」、Rikaははきはきと答える。「このビジネスの一番大切なところは、それぞれの企業と専属契約をして有利な条件を引き出すことよ。継続的に利益をもたらしてくれる企業だと認識させて、こちらの要求を飲ませるようにすること。大丈夫、この手の交渉は得意だから、私に任せておいて」
 僕らはその後、思い付く限りのサービスをノートに書き殴った。Timがシャワータイムサービス、と書いて、それはさすがに無理だ、とみんなの失笑を買ったりした。

第13章:永遠のEvergreenを目指して

(1)False business training

 僕は高校を卒業すると、早速、翻訳会社を設立した。自分の特技を仕事にするのが一番だと思ったのだ。そしてアルバイトを一人雇い、毎日、コツコツと翻訳作業を続けた。時には無茶な案件もあった。夜中の十一時に原稿が入り、翌日朝の七時が納期といったものまで受注した。毎日、くたくたになるまで働いた。労働量が収入に直結したからだ。それでもどこかの会社に雇われているより、自分の力でビジネスを展開しているという満足感はあった。そして付随するサービスとしてデザインも請け負うようになり、デザイナーを二人雇った。三年ほどこの事業を続けたが、月商150万円前後から一向に売上は伸びず、僕はこのビジネスに疑いを持つようになっていた。けれど、その代わりになるビジネスを思い付くこともできなかった。僕はこの仕事を「IT型肉体労働」と皮肉を込めて名付けていた。ニューヨークでの生活を頻繁に思い出した。Rikaに電話をかける頻度も増していた。
 そんな時、僕は高橋に出会ったのだった。高橋と付き合っていくうちに、労働収益型モデルからは抜け出せ、と言われるようになった。僕は多少勉強したとは言え、ビジネス書はそんなにたくさん読んだと言えるほうではなかったので、後追いで本を読んで学ばなければならなかった。要するに労働を提供した対価としてお金を貰うビジネスからは脱却しろ、というアドバイスだった。そんな風に突然、言われても他に打つ手がない。バンドはとっくに解散していたし、高校を卒業してしまった今、「フォローアップコース」サービスを再開するわけにもいかない。今までビジネスだと思ってやっていたことは全部、月収にすれば100万円にも届かない。学生時代にやっていたことは所詮、「ビジネスごっこ」に過ぎなかった。
 僕は自分のビジネスセンスも対する自信が崩れ去っていく音を聞いた。もう僕には何も残っていない、と思った。
 高橋から「お前にも何かあるだろう」と言われて思い浮かんだのは、ニューヨークの光景だった。そうだ、僕にはニューヨークがある。
 これが僕のメンタルブロックが外れた瞬間だった。
「Evergreen」のメンバーとならきっと何かをやれる。100万円や200万円といった小さな額を追いかけるようなビジネスではなく、もっと大きなことだ。
 僕はオフィスの窓を開け、外気を肺いっぱいに吸い込んだ。僕のマインドは既に変化していた。小さな翻訳会社のうだつの上がらない社長ではない。もっと大きなビジネスを動かす本当の意味でのビジネスマンのマインドへと新しく入れ替わっていた。
 この瞬間がなければ、僕はずっと働き蟻のように寿命を縮めながら「IT型肉体労働」を続けていただろう。
 無知ほど恐ろしいものはないと思った。無知である限り、何事もなし遂げることはできない。
 最大の罪は自分が無知だと気付かないことだ。それに気付かない限り、ずっと人は無知のままだ。
 そして、高橋との付き合いを五年以上続けてきて、告げられた言葉がこれだ。
「お前は自分自身の力で100億や1,000億という単位を動かせるとは思っていない。誰かの力を借りれば可能かも知れないが、お前自身は無理だと思っている。お前のビジネスの障壁は他の外部要因でも財務管理でもない。お前のその意識そのものだ。その壁をぶち破れ!」
 僕は高橋の言葉に頭を思い切り殴られた気がした。

 You are just pretty, Rika!

 LCCとの契約は世界4ヶ国の航空会社と独占契約を結ぶことができ、僕らは次々に新しいサービスを生み出した。LCCにとっては負担が増えずに顧客が増えるので、多くの企業から問い合わせがあり、その契約社数は12社にまで増えた。サービスも顧客の要求があれば柔軟に対応し、一人に一人のCAを着けることもできたし、シートを取り外して、ベッドルームやルームシアターを設置することもできた。調理器具を取り付け、機内でコース料理を食べることもできるようになった。失笑を買ったTimのアイデアであるシャワールームも機体を改造して取り付けることさえできた。このサービスでは巨額な金が動いた。つまりLCCの機体をプライベートジェットとして運用する富裕層にもアプローチができるようになったのだ。それにはプライベートジェットを所有するよりレンタルをするほうが維持費も運用費もずっと安く済む、という理由があった。
 そして、1,000億円単位の契約が次々と結ばれた。
 高橋の助言がなければ、僕は物怖じしてこのビジネスを潰していたかもしれない。
 僕とRikaは「スペシャル・コンシェルジュ・サービス」の一貫である「ウェディングプラン」で、結婚式を挙げた。
 上空数万メートルでの披露宴だ。招待客の割れんばかりの拍手に迎えられ、僕らはコックピット側からみんなの前に登場した。
Rikaはどうしてもと言って譲らず、ミニスカートのウエディングドレスを着ていた。招待客はそれを見て、口笛をならしたり、下からのアングルで写真を撮ったりしている。高橋が大きなバラの花束を投げて寄こした。
 僕らはケーキカットの後、それぞれ楽器を用意して演奏の準備をした。
 曲目はもちろん、僕らの代表曲「Evergreen」だ。
 指輪を交換した後、僕とRikaは長い時間をかけて、誓いのキスをした。
 大空を滑走していく最高の「Evergreen」。

- E N D -

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