アラン『幸福論』感想

自分から笑顔になる人が、幸せになれる人。

そんな話を聞いて、幸福ってなんだろうって思った。

日本国憲法にも「幸福追求権」というものがある。

生きることは幸福になる道を探すことなんじゃないかな。

さて、幸福になりたい私は、幸福ってそもそもなんだろうと、約100年前に生きたアランさんに聞いてみました。

アラン『幸福論』はフランス北部ノルマンディ、パリからTGVで1時間のルーアンという町の新聞に連頼されていた「プロポ」(哲学断章)をまとめた本です。アランさん以外にも、ヒルティさんや、ラッセルさん、椎名林檎さんなど幸福を論じてきた方も多いのですが、アランさんを選んだのは、幸福と笑顔のプロポがあるらしいと聞いたから。それと、ルーアンは昔ちょっとだけ住んでいて、懐かしい気持ちになったから。

気に入ったプロポの一部を紹介します。

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12章「ほほ笑みたまえ」

自分の機嫌を自分でとれるのが大人だというけれど、不機嫌な気分になることは誰だってある。人間だもの。気分に逆らうのは不自然で、自分じゃあどうしようもないときだってある。でもそんなときは、ちょっとした運動をするだけでいい。ほほ笑むという小さな筋肉運動だけで血液循環がかわって気分がよくなったりもする。本心から笑わなくとも、ストレッチ感覚で顔の筋肉の体操をするだけで、ちょっとハッピーになれるなんてお得じゃないか。

74章「一つの治療法」

入浴や食餌療法だという治療法が100年前も流行っていた。炭水化物を抜いたり筋トレをやったりしている現代人とさして変わらない。ある男が言った「ぼくは上機嫌という治療法をやっている考えていることがどうも刺々しくなる時、むしゃくしゃして何でもけちをつけるとき、自分の中に何ひとつ美しいものや良いものが見いだせない時、そういう時が上機嫌療法のベストタイミング。相手にのろいの言葉を浴びせてしまうようなくだらぬことがらに出会った時に上機嫌にふるまえば、坂道をのぼるおかげで足が強くなるように、心が上機嫌になる」

上機嫌療法の方法はこうだ。「身ぶるいをし、さっと肩をすくめ、筋肉をのばし、柔らかくして、筋肉をぬれた下着のように次々をぬぎすてると、せきを切った泉のように、豊かに波打つ生命があふれ出てくる。食欲が進み、命の洗濯ができて、人生がよいものに感じられる」んだってさ。だから不機嫌な人の罵詈雑言に耐えるトレーニングをするんだって。ドMかな。でも、嫌いな人で経験値を積んで、自分がレベルアップしていけるなら気分いい。苦手なやべー奴だって、「お!あいつ、はぐれメタルじゃん!」って思える。

77章「友情」

「幼な子がはじめて笑うとき、その笑いは何ひとつ表現していない。しあわせだから笑っているのではない。むしろ、笑うから幸せなのだ。幼な子は笑って楽しんでいる、ちょうど食べて楽しむのと同じように」

誰だって幸せになる種は持っている。でも植えなければ芽吹くことはない。幸せになりたいなら、自分から幸せになりにいくことが大切。ほほの筋肉に軽く力を入れて、唇の両端をほんの数ミリ、数センチ、上昇させる。

それだけで、ちょっとだけ、愉快。

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こんな感じでアランさんが幸福に関するTipsを惜しげもなく教えてくれる。

膝をうつようなアイデアが多くて、付箋だらけになってしまった『幸福論』。

きっと誰にとってもへんな1年だった2020年。つらいこと、悲しいこと、どうしてもくさくさしてしまうことも多いと思います。

どうしても苦しくて、立ち直れないような気持ちの時には、ふと思い出して手に取りたくなる一冊です。

※括弧の文章は一部抜粋または意訳しています。


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