見出し画像

フェミニズム(シモーヌ・ド・ボーヴォワール)

【2020/12/19】アクセス数が想像したより多いので、勘違いされそうな箇所に追記しました。
【2020/12/26】文章見直し。分かり易さを上げる為に追記。
【2020/12/29】れんさんのコメントに対する反応を追記。(コメント欄だと足りない)
【2020/12/30】伝わらない理由がやっと分かった。フェミニズムが男女平等を語っているという勘違いを指摘しない事には伝わらない。面倒くさい。。。

 最近色々と有名なフェミニズム。平たくいうと「女性を男性から解放する」。これ、感情的に結構センシティブなテーマです。冷静に読めない人もいるでしょう。
 一回深呼吸。
 大丈夫、大した内容ではありません。
 良く知ると「フェミニズムって、実は凄いんです」という話です。

フェミニズムとは何か?

 フェミニズムは日本語では表現するのは中々難しい。何故なら対応する丁度良い日本語がないから。その為、日本ではフェミニズムは只のルサンチマン製造機になっているような所があるかと思うし、そのせいで誤解されている気もする。

 大前提。というか基礎知識。
 まず、性別と性的役割、というのを分けて考える必要がある。
 人は生れた瞬間に(実際はもっと前に)性別をもつ(英語ではセックス)。これが男性、女性、つまり性別。
 そして成長していくにつれ、もう一つ後天的な性別をもつ事になる(英語ではジェンダー)。これが男性役割、女性役割、つまり性的役割。
 これをボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない女になるのだ」と表現した。
 この性別と性的役割を同じ男性、女性という言葉を使うので、ごっちゃになる。それが理解を妨げている。(普通に生きていて、男性役割、女性役割って使わないですよね?)

 ではこの役割、というのは何処から来ているのか?
 実は「大きな物語」(別記事参照)から来ている。そしてそれは日本語の中に組み込まれている。
 例えば「男らしさ」「女らしさ」という言葉や、「男らしくない」「女らしくない」とかとか。他にも男の子は「仮面ライダー」女の子は「プリキュア」とか。後はピンクとかブルーとかスカートとかズボンとか。その様に至る所に「性別=性的役割」が組み込まれていて、それが当たり前、と思っている。
 ボーヴォワールはこれを「性差別はとても根深く、血の中、骨の中に溶け込んでいる」と表現した。

 昔々はどうだったか知らないが、現代社会で生きる事を考えると、性別による差というのは、どれだけ有効なのだろうか?
 例えば、出産、生理、があるとして、それで出来ない仕事とは何だろうか?逆に、出産、生理がないから出来ない仕事とは何だろうか?
 考えても、性差(生物学的差)によって出来ない仕事は思いつかないでいる。(例えあったとしても、すごく少数だろう)

 余談だが、性差で考えると、他にも骨格や筋肉の付き方とかあるが、例えば、「男性は全ての女性より筋力があるか?」と言われたら違うし「女性は全ての男性より身長が小さいか?」と言われたら違う。平均で見ればそうかもしれないが、平均を見て個別の差を見ないで何かを規定する事に意味を見いだせない。(必要なのは、例えば筋力であって性別では無い)
 因みに脳科学分野で男性脳、女性脳は性別に由来するという話もあるが、それは眉唾で聞いておいた方が吉。冷静に考えて欲しい。「そういう環境で育ったらそういう方向に脳が発達する」のでこれは性的役割の差に起因すると考えるのが自然だと思う。もし性差で脳構造に差がある事が科学的に正しいならば、全世界でその傾向が見られ、反証が1つでも見つかればそれは誤りだという事になる。自分の知っている範囲では、それ程脳科学が進歩している、とは思えない。
 ただ出産については、確実に違う。現代の科学技術では男性に出産は出来ない。勘違いしないで欲しいが、これは優劣の問題ではない。性別に由来した機能差の問題、である。良い悪い、優れている劣っている、という話では無いし、それで優越感を感じるのは近い将来必ず女性自身を不幸にする考え方なので止めるのが吉。(平たく言えば「女性は子どもを産む機械」を肯定する理屈であり、フェミニズム的には論理的に破綻する。またどんな女性でも必ず子どもを産めなくなるので、子を産む機能を持った人を特別扱いするだけの理屈であり、フェミニズム的には意味が無い。)

 フェミニズムは「性別=性的役割」を元に生まれた、女性自身が感じる生き難さから始まっている。
 ポイントは「女性自身」という所であり、当事者の問題意識から当事者自身が始めた、という点である。

フェミニズムの分類

 さて、フェミニズムは「男性から女性を解放する」という主義・運動である。
 この「男性から」というのはどういう事だろうか?性別の事?性的役割の事?どっち?(英語でいうなら、セックスなのかジェンダーなのか)
 これはフェミニズムの分類から見て見ると分かりやすいかもしれない。
 簡単に言うと「女性に生まれたからと言って女性役割を押し付けるな」という話であるが、その言葉だけで「ふんふんなるほど」という簡単な話ではない。(恐らくこの言葉だけ一人歩きしている為、誤解が多いのだと思う)

 大別すると、フェミニズムは、リベラルマルクスラディカルの3種類に分類される。(因みに他にもルサンチマン・フェミニズム(ルサンチマンは別記事参照)や昭和フェミニズム、少女フェミニズムなど亜流が沢山あるが、本筋では無いので触れずにおく。)

・リベラル・フェミニズム「男性が持っている権利を女性にも」
 これは女性参政権、雇用均等、などの事を指している。いわゆる男女平等、等しいものは等しく扱う、という考え方である。
 ただこれ、実は問題がある。というか、あった。
 昔は、参政権は兵役とセットだった。つまり「参政権が欲しかったら兵役に服せ」という話である。今でこそ女性の軍人は(昔に比べたら)珍しくもないが、当時は恐らく皆無であっただろう。
 違う例で行こう。
 100時間働いたら同じ金額を貰う。これは平等だろうか?
 女性は生理とか出産とかある。つまり男性と同じ時間働けない。
 この理屈で言うと、女性の給料やキャリが低いのは平等、という話になる。
 恐らくフェミニズムに対して最も多い理解はリベラルだと思うが、実はこれ、上記理由により既に終わっている。
 なのでフェミニズムをこれだと思っているのであれば、次のマルクスに移行する事をオススメする。

・マルクス・フェミニズム「女性を男性社会から解放する」
 このリベラルの問題点を解決したのが、マルクス・フェミニズムである。
 平たく言うと、ちゃぶ台をひっくり返した。
 「そもそも男性優位の社会構造なんだからそれがオカシイ」と指摘し、男性基準の働き方を批判した。厳密にいうと、社会構造を批判した。
 そこから出てきた考え方が「ライフ・ワーク・バランス」である。
 つまり、この時フェミニズムは、公私という大きな物語に対して切り込んだ。
 マルクス・フェミニズムは公的領域に切り込んだ。
 これについては、興味深い事例がある。
 出産の話になるが、女性は妊娠すると母親役割(女性役割の一部)を押し付けられる。「子どもが小さい時に母親が傍にいないのはかわいそう」もその一つ。(実はこれ児童心理学の中で既に否定されている。時間的量の問題ではなく、質の問題である)それにより日本では、女性は「出産かキャリアの2択」を迫られる構造になっている。(以前に比べれは徐々に薄くはなって来ている印象だが、血肉に染み付いた物語を消すのは中々難しい)
 マルクス・フェミニズムはこの2択を否定した。
 そして妊娠・出産がキャリアに影響しない事は、ニュージーランド首相が妊娠・出産・産休を取りその後復職した事により、既に証明されている。(因みに産休中は副主首が代理を務めた。ただ産休は6週間なので、短めは短め)

 余談だが、ある時(恐らく京大時代)、上野千鶴子氏(フェミニストとして有名)が出産しない理由として「子どもを産んだら男に利用されるから子どもを産まない」と言った。それに対し、嘉田由紀子氏(元滋賀県県知事、現参議院議員)が「個人的に産まないという選択は出来るが、社会としては子どもがいないと次がない。私は授かったら産みたい」と答えたところ、上野千鶴子プロデュースの研究会からハミゴにされた、という逸話がある。
 妊娠・出産が女性のキャリアに影響するか?という意味で見ると、嘉田氏は県知事や参議院議員を務めている事からキャリアに影響しない事を証明した一人である、と言える。一方、上野氏は妊娠・出産を社会構造を理由に否定し「子どもを産まない」という選択をしたので、女性のキャリアに影響した証明、と言う事も出来る。(どちらが良い、という話ではない)
 因みに、個人的な感想だが、上野氏はリベラル・フェミニズム、嘉田氏は「真の男女平等主義者」という印象。本人達に言わせたら「勝手にラベリングするな」と怒られそうだが、怒られたら「ごめんなさい」と謝ってすまそうと思う。

・ラディカル・フェミニズム「個人的な事は政治的な事である」
 マルクスが公的領域に切り込んだのに対して、ラディカルは私的領域に切り込んだフェミニズムである。
 要は私的領域への法的介入。この私的領域ってなんだろうか?と考えると、一番分かりやすいのは、「家」である。
 昔は家の中の事は、私的領域として、警察とか法律は介入しなかった。DV法が出来たのも結構近年だった気がする。近年は家の事に警察や法が介入する。これはラディカル・フェミニズムの影響である。(なので、実は女性有利な法制度になっている。)
 因みに、ラディカルの凄い所は、公私の境目をぶっ壊した所にある。つまり、ラディカルは公私の境目はぶっ壊せる、という事を証明した。これは今後、フェミニズムに限らず、様々な所で応用される気がしている。(悪い方向に行きませんように)

 因みに勝手な印象だが、現代で過激な行動をするフェミニストは、ラディカルが多い気がしている。(フェミナチは良く分からない)ただ、ラディカルにせよマルクスにせよ、フェミニズムは公私という大きな物語に切り込んでいく、つまり現代社会の価値観の変質を求めているので過激な行動に出るしかない、という面は否めない。ので、彼女らの過激な行動の背景は「現代社会の価値観の変質を求めている」と考えてみると、行動の理由が見える、かもしれない。
 という訳で、現在主流となっているフェミニズムは上記の3種類である、と認識している。

HeForShe

 因みに。フェミニズムの中で「HeForShe」という活動を知っているだろうか?

 これについて、エマ・ワトソンが国連で行ったスピーチがある。こちらを一読して欲しい

 さて、これは何を言っているのだろうか?(正しく知る為に、ちゃんと原文を読んで欲しい。出来れば英語版を見つけて、英語で読むのが吉。)
 これは「人間を男性役割から解放しよう」という内容である。
 つまり、現代最先端のフェミニズム(リベラルでもマルクスでもラディカルでもない)は、男女間の対立、つまり「男性が悪い」というトーンではなくなっている。
 それはフェミニズム自体が不快な言葉として認識される事では目的に達しない事に気が付き、目的を達成する為に変わろうとした、という事である。

 では「HeForShe」が「性的役割からの解放」を意味しているか、というと実はそれは違う。フェミニズムはあくまで「女性を男性から解放する事」であり、女性の為の運動である事に変わりはない。何故なら「HeForShe」とは「彼女のための彼」という意味なのだから。そしてその活動の中で「性的役割からの解放」をうたっている。
 なので「HeForShe」の「男性を男性役割から解放」はただの客寄せパンダというか、オマケみたいなものなので、そのままの意味で受け取らない方が良い。ショックを受けると思う。これは「あなた(男性)の「娘が、姉妹が、母親が、彼女が」つまりあなた(男性)の大事な女性が、偏見から自由になれるように一緒に活動しませんか?」という意味合いが強い。
 またフェミニズムの文脈でジェンダー平等と言った場合、大体が「女性や女児が直面する不平等や差別」に対する活動となる。これは勘違いしやすいので、気を付けて欲しい。(これは「UN WOMEN 日本事務所」のHPに明記されている。少なくとも日本において、この定義は正しい)

https://japan.unwomen.org/ja/news-and-events/in-focus/heforshe
「ジェンダー」とは?
ジェンダーとは、ある時代のある社会において、男性・女性にとって「ふさわしい」とする役割、行動、性質など、生物学的な性差に付加された社会的・文化的な性差のことです。ジェンダー平等への取組は、かつては、女性だけによる女性のための取り組みとして認識されていました。しかし、最近では、女性や女児が直面する不平等や差別に対して、女性以外の人々も立ち上がり始めています。

 繰り返すが、フェミニズムはあくまで「女性の為のもの」である。
 極論(暴論)、男性が何人自殺しようが女性に殺されようが女性から不平等な扱いを受けようが女性から強姦(因みに日本では2017年まで男性が被害者になる事はなかった。何故なら法に「被害者は女性のみ」と定義されていたからである)されようが、フェミニズムの文脈の中では一切問題にしない。何故ならフェミニズムは女性の為の活動だから「女性や女児が不平等や差別」を受けない限り、範囲外なのである。(これはフェミニストは「男性に人権を認めていない」という意味ではない。「フェミニズムの文脈で読むとそうなる」という話であって、フェミニズムは「人権全般を対象にしていない」という意味である。ただ、フェミニズムのこの側面を知らないと、人の尊厳を無視するフェミニストが出来上がる。)
 まとめると、フェミニズムは「男性側の受ける不平等や差別は範囲外」つまり初めから一切考慮に入れていない。そしてそれはフェミニズムの文脈だと、正しい。なので、フェミニズムに対して「男性側の受ける不平等や差別が含まれていないのは男女差別だ」という指摘はお門違いである。
 だってフェミニズムはそもそも最初から「男女平等」なんて語っていないのだから。

 ただ、例えそうだとしても、この活動の価値は全く薄れない。
 何故ならば、一部だとしても「性的役割の解体、若しくは性的役割の選択の自由」を手に入れる事になるからだ。
 それは現代社会で性別で生き難さを感じている全ての人にとって、とても有効である。

女はガラスの天井、男はガラスの地下室

 因みに、近年言われている言葉として「女はガラスの天井、男はガラスの地下室」というのがある。

 これは「性差別撤廃運動」であり、完全に「性的役割の解体」を意味している。
 そしてこれは「フェミニムズから生まれた」と言っても過言ではない。(フェミニズムがなければ、この言葉は出てこなかった)
 要は男性側も生き難さを訴えても良いのだよ、という事である。
 これは女性にとっても、特に男の子がいる女性にとっては非常に重要な事でもある。何故ならば、その世界はその男の子が20年後に生きる世界なのだから。
 「HeForShe」になぞらえるなら、「SheForHe」つまり「あなた(女性)の「息子が、兄弟が、父親が、彼が」つまりあなた(女性)の大事な男性が、偏見から自由になれるように一緒に活動しませんか?」という事になる。もう少し言うと「I For You」(「HeForShe」AND「SheForHe」)という事である。
 因みにこの文脈だと、性別問わず、自殺や暴力、不平等は同じ問題として扱う。但し、人権全般を扱う訳では無い。その辺の注意点はフェミニズムと一緒である。

 余談だが、男性版フェミニズムに対する言葉がないので真の男女平等社会になるにはまだまだ時間が必要だ。また、実は現代日本の(クロード・レヴィ=ストロースの言う)構造では、女性の方が性差別的である、という話もある。(何故なら男性差別という言葉が無いから差別を認識出来ない)


 そして女性にとって「真の男女平等社会」とは明るい話だけではない。何故なら、現代の価値観のまま男女平等社会になった場合、つまりガラスが取っ払われた場合、女性も地下室に閉じ込められるからだ。(就職しないと結婚出来ない、正社員じゃないと結婚出来ない、自殺率は上がる、危険な職業にも就く、という状態になる)
 「天井のガラス」だけ取っ払われる、という女性だけに都合の良い事は起こらない。
 つまりフェミニズムから見ても「ガラスの地下室」は他人事ではない。

 現在のフェミニズムの文脈からだと起こりそうな気がする、と思う。
 では仮に起こったとしよう。あなたは女性だとしよう。男の子を授かったとしよう。
 「その世界はあなたの息子が20年後に生きる世界である」
 と考えた時、あなたの息子がその被害者にならないという保証はどこにも無い。例えあなたがどんなに立派に育てたとしても、構造はそれを保証しない。
 何故なら「あなたにとってどんなに大事な息子であったとしても、他の女性からみたら搾取の対象でしかない。あなたが他の女性の大事な息子を搾取したのと同じように、他の女性はあなたの大事な息子を搾取する」という事である。
 そしてそれは血肉に染み込み、あなたの息子が生きている間に消え去る事はないだろう。
 フェミニズムの文脈では確かにこれは問題にしない。ただ人は、フェミニムズのみで生きている訳ではない。
 故に「ガラスの天井」だけとっぱらわれるような事は起こらない。

ほら、フェミニズムって、凄いでしょ?

 HeForSheに話を戻そう。
 エマ・ワトソンのスピーチの中で、特に印象的だった言葉。

女性のみが話し合いに参加している状況で、どうやって世界に変化の影響を与えることができるのでしょう?

 これを弁証法(別記事参照)で読むなら「男性と女性がお互い努力し、女性差別を解体する」と理解するのが正しい、と思う。
 何の為に?
 HeForShe、あなたにとって大事な女性と、全ての女性が幸福になる為に。
 そしてこの流れば「性差別撤廃運動」へとつながっていく訳である。
 IForYou、あなたにとって大事な人と、全ての人が幸福になる為に。

 このフェミニズムの流れは
「全ての差別反対運動は、カテゴリ(ラベル)を解体し、個人へ還元する」
事を指しているのではないか、とも思える。
 そして、フェミニズムの歴史は、全ての差別撤廃運動のロールモデルになるのではないか?とも思う。

 ほら、フェミニズムって、凄いでしょ?

【合わせて読んで欲しい記事】

図2


2020/12/29 れんさんのコメントへの返信

 コメントだと文字数足りなくてお返事書けないので、本文を借りて返信しますね。

■頂いたコメント全文

エマ・ワトソンは「HeforShe」は掲げていても「SheforHe」は掲げてないし、あなたのいう「SheforHe」と「HeforShe」を組み合わせて考えると「男は女の為に、女の抱える問題をに声を上げなければならず、また、女は男の抱える偏見を解消しなければならない」と「女が持ってるはずの偏見」に対してはノータッチだし、それらを組み合わせて、どう好意的にとっても
「男は女にとって有害な男らしさと価値観を捨て去り、女にとって有益な男らしさの元、女の為に動くべきだ」となるような気がするのですが。

■頂いたコメントに対する解釈

 こう読んだ理由がさっぱり分からないので、コメントを逆から読んで、解釈してみました。

この記事は「男は女にとって有害な男らしさと価値観を捨て去り、女にとって有益な男らしさの元、女の為に動くべきだ」と言っている。
何故ならば。

理由①「女が持ってるはずの偏見」に対してはノータッチである。
何故ならば
・HeForSheは「男は女の為に、女の抱える問題をに声を上げなければならず」
・SheForHeは「女は男の抱える偏見を解消しなければならない」
だからだ。

理由②エマ・ワトソンは「HeforShe」は掲げていても「SheforHe」は掲げてない。

だからだ。

■理由①についての誤解

「女が持ってるはずの偏見」に対してはノータッチである。
何故ならば
・HeForSheは「男は女の為に、女の抱える問題をに声を上げなければならず」
・SheForHeは「女は男の抱える偏見を解消しなければならない」
だからだ。

 まず、HeForSheはフェミニズムの中で書いています。
 今までのフェミニズムは「男性が悪い」モードだったのが「あなたの大事な女性が偏見で苦しんでいたら、助けたいと思うでしょ?」という男女共通の物語を持ち出してきた、と書いています。
 つまり、HeForSheとは「あなた(男性)の大事な女性が、偏見から自由になれるように一緒に活動しませんか?」と読みます。

 次に、SheForHeは「女はガラスの天井、男はガラスの地下室」の中で書いています。フェミニズムと同様に、男性側も生き難さを語っても良い、HeForSheになぞらえて「あなたの大事な男性が偏見で苦しんでいたら、助けたいと思うでしょ?」という男女共通の物語を持ち出せるよ、と言っています。(最近知りましたが、マスキュリズムというのがあるんですね)
 つまり、SheForHeは「あなた(女性)の大事な男性が、偏見から自由になれるように一緒に活動しませんか?」と読みます。

 これらを組み合わせると
・HeForShe=「あなた(男性)の大事な女性が、偏見から自由になれるように一緒に活動しませんか?」
・SheForHe=「あなた(女性)の大事な男性が、偏見から自由になれるように一緒に活動しませんか?」
 から、
「あなた(男女関係ない)の大事な人(男女関係ない)が、偏見から自由になれるように一緒に活動しませんか?」
 になります。

 以上より「「女が持ってるはずの偏見」に対してはノータッチである。」は誤解です。

 因みに「女が持ってるはずの偏見~ノータッチ」自体についても、「女はガラスの天井、男はガラスの地下室」の中で(クロード・レヴィ=ストロースの言う)構造を背景に少しだけ触れてます。というか、そもそも記事を紹介している段階でノータッチでは無いです。
 この少しだけ、というのには2つ理由があります。
・フェミニズムについて書いているので、そこはメインでは無い(フェミニズムはそもそも最初から「男女平等」なんて語っていない)
・記事を書けるほど反フェミニズムについて詳しくはない。(と、前回のコメントに返信させて頂いてます)

理由②についての誤解

エマ・ワトソンは「HeforShe」は掲げていても「SheforHe」は掲げてない。

 エマ・ワトソンはフェミニズムの文脈の中で、フェミニストとして語っていますから「SheForHe」と言う理由はないです。そもそもフェミニズムは「女性の為の活動」であって「男性の為の活動」ではありません。つまりフェミニストに対して「男性の為に活動しないのはオカシイ!」と言うのは全くのお門違いです。だってフェミニズムはそもそも最初から男女平等なんて語っていません。(これもし語っているという人がいたら、フェミニズム自体が途端に終わっちゃうので、言えない筈なんだけれどなぁ)

 ただ、仮に「SheForHe」という活動があったとして、彼女が賛同しない理由は無いです。(これ賛同しないとHeForShe自体が論理的に破綻します。多分。)

 また、本記事の流れは
①フェミニズムって何?
②フェミニズムって、こんな感じで変わって来たよ
③最近のフェミニズムは男女の二項対立の物語から協力体制に変わって来たよ
④そこから性差別撤廃運動が始まり始めているよ
⑤フェミニズムって、全ての差別撤廃運動のモデルになれるんじゃない?
⑥ほら、フェミニズムって凄いでしょ?
という流れです。
 エマ・ワトソンの話は③の話ですので、ココを切り出して、本記事が「男は女にとって有害な男らしさと価値観を捨て去り、女にとって有益な男らしさの元、女の為に動くべきだ」と言う根拠にするのは誤解です。

 以上より、本記事が「男は女にとって有害な男らしさと価値観を捨て去り、女にとって有益な男らしさの元、女の為に動くべきだ」と主張している、というのは、誤解です。

 因みに。
 もし男性として生き難さを感じているのであれば、それは当事者が主張すべき話(男性の問題を女性だけで男性の意見を聞かないまま議論して、その結果を押し付けられたら嫌じゃないですか?)ですし、フェミニズムもそういう歴史を歩んできました。そしてその時に女性側の話を持ち出す必要はありません。だってマスキュリズムも男女平等なんてそもそも最初から語れないのですから。
 この「対立する2つが議論をしてより良い未来を目指す行為」(弁証法)が真の男女平等を実現する為の1つの道なのだと思います。
 ただ、マスキュリズムがフェミニズムと同じ道を1から歩むなら、その世界はこれから100年以上必要だと思いますし、振り子のように何時か止まるまで揺れ続けるのだと思います。
 であるならば、せっかくフェミニズムがショートカットの道を教えてくれているのだから、その道を便利に使ったら?と思います。
 要は「目指す目的地は何ですか?その為にどんな行動をするんですか?」だと思います。

 フェミニズムせよマスキュリズムにせよ何にせよ、ただ単に愚痴を言いたいだけ、文句を言いたいだけ、マウントを取りたいだけだったら、正直時間の無駄なので辞めた方が良いと思います。それは自分自身も含めて、誰も幸せにしません。(ただ不幸にしたい(なりたい)のであればその方法は有効ですが。)
 ただまぁ、現代日本のそもそもルサンチマンを貯めこみやすい構造になっている上に、日本の古いフェミニズムで更に追い打ちをかけているな、とは思うので、その誤解を解く為に記事を書いたのですが、まぁ伝わらないですね。

余程の理由がない限り記事は無料です。読まれた方が何かしら刺激を受け、そして次の良いものが生まれてくれると嬉しいです。