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はじめてのサードプレイスを、学童で獲得した。

サードプレイス。
今考えれば、私は小さな頃からサードプレイスを持っていました。放課後に通っていた学童が、一番はじめのサードプレイスでした。

サードプレイス…家・生活を営む場所を第一、学校・企業・働く場所を第二の場所とするとき、第三の他の居場所やコミュニティのこと。カフェや公園などを指すことが多い。第一・第二からの逃げ場のような、創造的な自分になるような場所や空間の概念です。

物理的な、家や学校以外の居場所。
親兄弟、先生や同級生以外の関係性をもつ、友達や仲間や人生を彩ってくれるご縁たち。
自分だけが没頭する好きなことをする時間もまた、サードプレイスかもしれません。

ドラえもんに出てくる、空地のような場所?
学校の帰り道に出会う、犬のケン?
映画館で始まる前の待つ時間や、寝る前の妄想タイム。



学童とは

学童は、学校の後、放課後にいく場所です。親が働いていて家におらず、子供を一人で家に置くのを避けるために通わせる家が多いと思います。

基本的には夜家に帰るまで、勉強をしたり、ご飯を食べたり遊んだりします。長期休みなどは、昼寝やキャンプ、祭りなどもありました。

学校では、同い年、特に同じクラスの子と深く関わりますが、学童では学年を超えた関係がありました。また、私にとって学童の指導員は、学校の先生と友達と親の真ん中のようなイメージです。怒られることもあるし、あだ名で呼んでたくさん遊んだり、一緒におやつを食べたりもしました。

自分が年を重ねていくと、指導員や他児童の親と、話せる内容が広がっていくことも、個人的には嬉しく面白かった点の一つです。


とにかくなんでも経験!

自分たちで考えてつくる経験が多かったことをよく覚えています。日々の遊び作りや時期ものイベント企画・運営も当たり前に行っていたのが、良い思い出であり、本当に良い経験でした。

今の自分が、"何となくはじめてではないイメージがあること"は、"小さい頃に手を出していたこと"なのだと思います。

地域や時代によって、出来ることは変わると思うのですが、私の通っていた学童では、本当にたくさんの経験をさせてもらったと思います。

経験や知識、出逢いを積みかさねて、個は形成されていきます。どんな順番で経験するのか、自分が何歳の時にその経験に出会うのか、そのどれもが正解でありながら、作り上げられていく個は様々に異なります

細かい部分や失敗など、覚えてないこともありますが(笑)、恐らくたくさん喧嘩し失敗し(笑)、たくさん走り回って笑って、そんな日々だったと。

(1)模擬店運営
毎年行っていたのが、ミサンガを作ってお祭りで売り、売り上げで次の材料を買う、というもの。
値段設定も行い、行列をさばきながら、作りながら売っていました。小学生ながらにシフトも組んでいましたが、作ることに追われて、お祭り自体を楽しむ余裕はあまりありませんでした(笑)。でも、学童に通っていないクラスメイトが買いに来てくれたりして、違う楽しさもあったことは覚えています。大人はついていなかったけど、周囲の模擬店は基本大人が運営していたので、見守ってくれていました。

(2)キャンプ・合宿の運営
キャンプや合宿が基本的に夏と冬にあったのですが、しおり作りや班分け、企画進行をしていました。キャンプでやりたいことや流れを考え、かかる時間を考え、しおりの構成を考え、誰がどのページを書くのか振り分け…当日、しおりを見ながら時間を見ながら、次を想定して動く感覚が少しずつ身に付きました。準備をして、何かにのぞむことの楽しさを知った気がします。

(3)劇や会、企画を作る
クリスマス会やキャンプファイヤーで、劇や歌の出し物を結構やっていたのですが、シナリオを書き、役割を決め、本番までに練習し、小物を作ったりして本番にのぞむ。本番の司会やナレーターも何度かやりました。小学生ながらに、何度か回数を重ねると、友達の好きや得意が互いに見えてきて、役割配置も大切でした。


人間は、やったことあることしかできないですよね。やってみて失敗して学んで出来るようになる。経験と上手になることとはまた違いますが、経験があると上手な人との差が理解できるようになります

スキルや経験と考えると、お金を使って行う習い事や旅行、イベントが想像しやすいですが、なんでも経験になります。

例えば土曜日の学童は、人数がかなり減るので、平日には出来ないことが出来ました。木苺取りに行ってジャムを作るとか、平日のおやつ用に干し柿を作るとか。だまされて渋柿を食べたことも、よい経験の一つ(笑)。

私は、学童での縦と横の関係性が結構好きでした。遊ぶときの上下関係は個人的にはあまり感じていませんでした。何かを教えてもらう時は、年上の行動や方法を見ていいものは継承し、微妙だと思ったり文句があると自分たちの学年で変える(笑)、という流れがあったと思います。


はじめの一歩を、与えてもらった。

小さな頃って、もちろん今より世界が狭いです。家か学校が世界の8割を占める気がします。年齢が小さくても、生きていれば色々あります。経験が少ない分、どこに逃げればいいのか、どうやって逃げればいいのか、そもそも逃げるという発想もないように思います。

逃げる、という表現をネガティブにとらえる方もいらっしゃると思いますが、Aから逃げるということは、Bを選ぶということでもあります。

子どもの頃のサードプレイス知らない世界とのきっかけは、一番初めは大人が与えるものだと思います。そこで、自分にとっていいものを見出したら、あとは勝手に進んでいく。嫌だ、違うと思えば、新たな何かを探すようになっていくと思います。

小さな頃に、世界を広げる最初の一歩を、家と学校以外の場所を、与えてくれた親に感謝です。どこまでも世界が広く、興味が尽きないことを知り、新しいこと、興味があることに突っ込んでいく私の起源が、ここにあると思います。

いじめっこもいたし、その当時にしたら嫌なこともありました。一方、嫌な感情を抱かせてしまったこともあります。でも、よく喧嘩してた子と今連絡を取るようになったりして、何があるかわからないものです(笑)。

どんな場でも、好きなことも嫌なこともあるのは当然です。そこでどう自分が動いていくのか。小さな頃から、自分なりの逃げ方や楽しく考える方法、味方を蓄積していくことは、大切に自分と人生を歩んでいくために、必要なことです。


先日、学童時代の友人に名刺を作ってもらいました。とてもかわいくかっこよく、シンプルなものを作ってもらいました。

もちろんそのこと自体とても嬉しいことだったのですが、「はじめに出会った場所や関係値を超えて、違う場や関係値で出会う・仕事をする・関りを持つ」ことは、私の人生における大事な目標・指針のひとつなので、そんなことも単純に嬉しかったです。

日下部紅子
彼女の作品たちを、学生のころからコツコツ蓄積していて、とっても素敵です。
友人のInstagramはこちらから。

小学校の頃、どんな話をしたのか覚えていないけれど(笑)、今後の話や現状報告をして、なんだか不思議でした。

日々色々あるけど、また頑張りますか~!と、会った後に元気が出たり、明日への活力になる関係性の人って大事ですよね。


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