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A Contributor More Than a Consumer 消費者よりも貢献者へ

Duty&Right 義務と権利

・選択の基準=サーマンニャ・ダルマ。善悪など、普遍的な価値判断
・ダルマに合致した選択をする
・自分の義務を果たすことで、相手の権利を叶える
・それが自己尊厳やお互いの幸せになる
・ただし、現代社会ではインドでさえも、義務を果たすことから権利を主張するほうへシフトしつつある

A Contributor More Than a Consumer
消費者よりも貢献者へ

◆サーマンニャ・ダルマと役割

・私たちは「関わる」ために、形と役割を与えられている
・イーシュワラ以外の存在は、消費と貢献の両方を行っている
・貢献の比率を増やしていくことが成長
・「関わる」とは、相手に対して役割を演じること
・聖典という台本。学んでいなくても、サーマンニャダルマに沿った役割を演じられていれば、それが私の貢献である
・それをイーシュワラと調和しているといい、その生き方をヨーガという

◆役割を果たすとは

・直感的に、正しい行いができたときは嬉しい 
 ※何が正しいかは本来わかっているから
・例:洗濯モノや宿題といった「すべきこと」をやってないと後ろめたいけど、ちゃんと終えられると達成感ある
・大なり小なり、サーマンニャ・ダルマに沿った行いを果たす喜びにイーシュワラが存在する
・つまり、すべての人が個人としてイーシュワラという全体と繋がっているので、その人の人生・営みそのものを「ヤジニャ(儀式)」という
・自分の学びを深めていく・知識をもつことで、相手への接し方・出来事への捉え方が、その人の中で変わる。本人も気づかぬほど、ほんとに些細なところから
・「してあげている」「しなければならない」→「させてもらう機会をもらっている」「することができている」という意識のシフト
・相手を変えようとか貢献しようという意志ではなく、結果として、相手への役割を果たせている、という

◆ヴェーダーンタを、千春で腹落ちさせてみる

ヴェーダーンタの勉強内容を、千春の言動や歌を介して理解しようとする。
千春はテレビに出ずにコンサートで歌う。客は日常でそれぞれの役割を果たして生きている。「何かしようったって、実はたいしたことは出来やしない。でも、貴方は貴方で役割があって、生きていればそれが貴方の意味で価値」。それを確認しあう場がコンサートであり、そんなファンへ自分の元気を贈るのが千春の役割。千春、ヴェーダーンタそのものじゃないか。。

◆羽生選手が単独公演で話してくれたこと

自分は分かりやすく五輪連覇や4回転半という挑戦をしてるけど、みなさんも日常で色々なチャレンジをされている。だから、ちょっとでも自分が頑張ってる姿や演技で、なにか励みになれたら、ちょっとでも「いいな」と思ってもらえたら、と。
「節目は、大会とかケガとか大きなことだけじゃなくて。日常のほんの些細なこと。季節の変わり目とか何でも(気づくことが出来れば)価値観は変わる」「ひとつとして無駄なことはない」(『プロローグ』のMCより)
相手は人間だけでなく、自分自身・そして自分が感じるあらゆること。それらに対して、自分の役割を常に更新し続けてる人の言葉。

◆ChatGPTが話題ですが

今回のテキストに出てきた、「何も役割を演じてない人は、頭に太陽電池をつけて佇んでいるだけの目撃者」という比喩。ChatGPTは、自分の思考や感覚を介さずに成立してしまうツール。ChatGPTの出した内容を選択することもなく、出てきたものが最終回答になる。
私が「関わる」ことも貢献することも省略され、その為に必要な私の身体も感覚器官も要らない。太陽電池人間の比喩は、既に現実になってきていて、太陽を浴びて充電されているだけの存在。
良い悪いは置いといて、もうそれが成り立ってしまっているという事実。
人間が生きてる意味は、これからもっと問われることになりそう。自分の役割と繋がれないと、生きていくことの虚無感がとんでもないことになりそう。「人間はもう要らない」と言われるからこそ、もう一回そこに回帰するタイミングにもなるかもしれない。

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