「みずからが納得しない死はない」という考えに救われた

私は以前、小児科の子どもたちと遊ぶボランティアをしていたことがある。子どもや付き添いの保護者のみなさんたちと仲良くしている時があった。重い病気で入院も長い子が多かった。

私が通っていた数年間でたくさんの子どもたちが病気で亡くなった。何度も子どもの葬儀に参列した。

ものすごい悲しくて、何もかもがどうでもよくなり、身なりも食事も生活も、本当にどうでもよくて、何もやる気にならないし、どうなるかも考えられない、深い悲しみを体験した。

自分だけではなく、みんなも悲しいし、ましてやその子の家族は私よりももっとツライのは当然のこと。悲しいと一言では言えない絶望だろうと思うと、今のこの私ですらこんなにツライのに、それを上回るほどなんて自分は耐えられないし想像もできない。

ブログに、仲よくしていた幼児が亡くなってツライと書いた。すると、いろいろなコメントをもらった。

・親はもっとあなたよりもツライんだから、しっかりして。

・今はツライだろうけど、時が解決してくれるよ。

私のことを心配して励ますための言葉だとはわかるけれど、ものすごいその言葉に傷ついたし腹も立った。

もちろん私よりも親の方がツライに決まっている。そんなこと知ってるよ。でも私だってツライんだよ。

一番嬉しかったのは、「あなたは一人じゃないからね、忘れないで。ここで吐き出して。いつでも聞くからね。」と言われたこと。

実際の友人には本気で心配をかけてはいけないと思って言えずにいたから、私は一人で、誰も私の気持ちなんてわかってくれる人はいないと思っていた。

だから会ったことのないブログでの友だちに一人じゃないんだよ、そばにいるからと思い出させてもらえた気がして、とても安心した。

子どもを亡くすなんて、こんなツライことはない。私の父親も病気で亡くしているが、高齢の肉親よりも、血縁のない子どもたちの死が何十倍も悲しかった。そういう絶望を味わうくらいなら最初から子どもはいない方がいい。その時にそう思った。

そしてわかったことは、「悲しみは時が解決はしない」ということ。

病気で多くの子どもたちが亡くなり、悲しみは同じ分量でそのままそこに在りつづけている。

確かに時が経つと、それまで毎日泣いて暮らしてどうでもいいという投げやりな気持ちでいても、生活があるから思い出す時間が毎日ではなくスパンがどんどん長くはなっていく。

だけど、思い出すと、悲しみは変わらずあの時のまま、そこにあって、あの時と同じ悲しみや絶望感に襲われる。

時は解決しないということがわかった。

どうしてあの子たちが病気で苦しまなければならなかったのか、どうしてあの子たちが死ななければいけなかったのか、そればかりが頭の中でグルグルと答えの出ないまま巡っていた。

スピリチュアルに興味が湧いたのもそういうことがあったからかもしれない。理由が知りたくて、精神世界系の本を手当たり次第に読んだ。

その中で、「みずからが納得しない死はない」という言葉に出逢った。

この言葉に救われた。本当にそうかはわからないけれど、でもみんな子どもたちは、亡くなる前は、疲れたよなんて言葉を残して旅立っていくことが多かったので、納得して旅立ったんだと思えば、私の何もしてあげられなくて申し訳ないという罪悪感が減る気がする。

もっとああしていればよかったんじゃないかとか悔やんでも悔やみきれないことだけど、本人が決めたことなんだと自分に言い聞かせられた。

でも当然その子たちの家族にはそんな言葉は、辛さが増すだけだろうからと思って言えなかったので、親は特に、私が親なら誰に何を言われようと、やっぱり自分を責めるだろうと思うから、子どもと関わりがあって同じ悲しみを抱えている私だからできる「話を聞く」ということに専念した。

仲良くしていたお母さんは、シングルマザーで母子2人きりだったのに我が子を亡くし、悲しみに暮れ、祖父母が心配して泣いているといつまでも泣いてないでとか、愚痴も言えないし泣くこともできなくてツライと言っていた。

「私も一緒に死んでしまいたい。」

「うん、うん、そう思うよね。」

私がそう言うと彼女は安堵した様子だった。死にたいに同意してはいけないだろうから、ダメな対応かなと思ったけど、そんな気持ちがあるんだというのはわかるし受け止めてあげたい。

彼女は自分が悲観的なことを言っても、実際に死んでしまうわけではないけど、彼女の両親や周りの人に「そんなこと言ったらダメだよ!」と怒られるし過剰に心配されるから気持ちを言える場所がないと言っていた。

だから今は同意してよかった場面だったのかと私も安心した。

でも今になって思うのは、私は専門家でもないのに、そういう部分は専門家に任せたらよかったのに、私も何か力になりたいと思ったがために共依存関係をいくつか作ってしまい、私が潰れてしまった。

「力になりたい」という考えで結局はど素人のくせに無謀なカウンセリングのマネごとをしようとして、共依存関係をたくさん作ってしまった。

私の「役に立っている私」という欲を満たそうとして失敗したんだよね。

そのことを教訓にして自分の欲と共依存関係にならないように気を付けている。

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