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伝統芸能を知ろうとして、家族が知れた。|企画メシ 感想

私はいま”企画メシ”に参加してる。
「企画でメシを食っていく」講座、略して”企画メシ”。コピーライターの阿部広太郎さんが主催する連続講座だ。7月16日に2回目の企画メシがあった。

ゲスト講師は九龍ジョーさん。
編集者・ライターとして、ご活躍されている九龍さんは、伝統芸能から音楽・映画・プロレス等のポップカルチャーまで通じている人。調べてみると、大好きなバンドceroの3rdアルバム「Obscure Ride」のインタビュー記事が出てきた。一気に親近感…。(大学時代、たぶんこの記事読んでたと思う。)

今回、九龍さんから出された事前課題は、”「伝統芸能」を調べて、あなたが見つけた魅力を説明してください。”

この課題を見たときに、「伝統芸能」だったら文楽だ!とすぐ思い至った。
というのも、私の弟は、文楽の語り手”太夫”の道に進んでいて、2年間の研修期間を終え、無事今年弟子入りした。知りたいけどよく分かっていない文楽の世界、これを機に知ってみよう。

文楽、あんま分からん


文楽は実際に生で見たことがない。文楽好きの母に何度も誘われていたが、難しい古典のストーリーを理解できないだろうと予測できたし、良さが分からなかった時に家族との関係性も悪くなるのではないかと不安だったからだ。

直近、一番近くで文楽に触れたのは、去年の研修生発表会でみた弟の素浄瑠璃。(人形がなく、太夫さんの語りと三味線だけで演じるのを「素浄瑠璃」と呼ぶ。)「マイクなしだと声張らないといけないから大変やな。叫んでるみたい。高い女の人の声とかいろいろ変えんとあかんのか。正座痛くないかな。口も目もめっちゃでかく開いてるやん。声、裏返らないように、ああ、、どうか、、がんばって…!」といった調子で、心の中で大声で応援していた。弟の緊張が私にも伝わり、ストーリーどころではなかった。
必死に頑張ってる弟の姿が見れたのはよかった。

文楽の道に進んだ弟に、いざインタビュー

私自身が文楽の魅力を語れる状態になかったので、弟にインタビューさせてもらった。文楽の道で進んでいこうと思うまでを。そして、いま感じている文楽の魅力を。

一番興味深かったのは文楽ならではの脚色…「話を盛りがち」なところだ。(大阪人らしいな。)

例えとして、源平合戦の「一の谷の戦い」を描いた『一谷嫩軍記』(いちのたにふたばぐんき)のあらすじ&ネタバレを弟に話してもらった(ここでは省略)。今でいう「織田信長は、実は本能寺の変で死んでいなかった…?」といった都市伝説的な感じで、江戸時代の人たちも「熊谷直実が打ち取った平敦盛、実は入れ替わっていた…?驚愕の真実とは!」みたいな楽しみ方をしていたのだろうと想像できた。

ザ・世界仰天ニュースと歴史秘話ヒストリアを混ぜた感じ? 人間の興味は、江戸時代からの300年じゃ、そこまで変わらないのかも。

とにかく何か見てみたい。というと弟には「伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段」(だてむすめこいのひがのこ ひのみやぐらのだん)を勧められた。つまり「八百屋のお七」。私はガラスの仮面で話の大枠を知っていたので安心して早速見てみることにした。お七が最後に恋人を助けるために火の見櫓に上るシーン(以下のサムネ参照)では、人形が一人で動き出したのかと思った。既にかなり感情移入していた。

「登ったら自分が死ぬのに!登ったらあかんって!」そんな私の感情をよそに、どんどんに登っていくお七。いつのまにか髪の毛も乱れている。櫓に登り切って振り返った時のお七の表情、達成感と悲壮感が混ざったような複雑な感情に汲み取れた。そして鐘を鳴らす…。 
文楽初心者としては、これで一気に引き込まれた。

そんなこんなで、私は弟が語ってくれた文楽の魅力の答え合わせをするように、Youtubeを見漁った。浮気されて嫉妬に狂いそうな妻が、俯きながら袖を嚙みしめるシーン(実際には袖を引っ掛けるための針が口元にある)とか、首の角度ひとつで感情ってわかるものなんだなと感心した。人形の主遣いのおじさんの顔が最初は気になったが、だんだん人形にしか目がいかなくなる。違う世界にトリップする。不思議な感覚だった。課題は、弟の話してくれた内容を軸に、感じたことや調べたことをまとめて提出した。

企画メシ② 文楽の世界 JPEG

九龍さんの講義を受けて。

心に残ったのは「自分という演算装置を動かす」という言葉。私はいつもできてない。極端にインプットに偏っていて、エンタメもグルメも享受してばかり…。すぐに他人の口コミや考察をみて自分の思考の整理をする癖がある。今回も、弟に教えてもらった「文楽の魅力」を自分も感じたい!と思って、「ははぁ、これがあれか」と納得し、満足して終わる楽しみ方をしていた。

私の五感で感じたことを、私ならではの視点で、色んな言い換えをしたらよかったな、という気づきが大きかった。太夫の道に飛び込んだ弟の姉としての立場でしか書けない魅力があったはず。まず飛び込んで自分なりの感想をもってから、弟に聞けば良かったな。なにも知らない私が表現した文が、文楽無関心層の興味を惹くきっかけになったかもしれない。文楽の中の人では表せない、ちょっと距離があるからこそできる表現があったかも。今回の課題の内容は、弟の演算装置が動いて知った魅力だし、少し玄人目線だった。

ただ、まだ本当の意味で文楽デビューはできていない。ライブも生は違う。プロレスもテレビでみるのと後楽園ホールで生でみるのとで違った。文楽の音や熱気、ニオイを感じた上で、文楽の魅力とは?のアウトプットに再チャレンジしたい。今度の9月に東京で初めて文楽を観る予定(弟も少し出演予定)なので、その時またこのnoteで感想を絶対書く。

そもそも、この課題がなければ、この9月の文楽も「弟の応援」以上に文楽を知りたいと思う機会にはならなかったかも。今回は、弟と久しぶりに深く話をして、いまの文楽に向かう意気込みを知れたのは大収穫。「大学の哲学科時代に『生』と『死』について考え続けても結論は出なかったが、文楽の人形が演じる「死」のシーンから何か理解が深まりそうな気がした。」「元々無機物な人形の死は、人が演じる死よりもリアル。」弟がそんなことを考えていたなんて知らなかった。

実家で右耳から左耳へ通り過ぎていた文楽の音が、興味の範囲にきただけでも自分は変わった。文字数的には書ききれなかったが、文楽ファン代表として母にもインタビューした。「太夫さんの語りは、R&Bのソウルフルな歌声と近い」云々…母ならではの演算装置がちゃんと動いていた。自分の好きな音楽との共通点を見出している。母、弟、それぞれの解釈が面白かった。

伝統芸能を知りたいと思ったら、家族の知らない一面が知れた。
そして、生の文楽を感じたくなった。

最後に…私が弟に送った一枚のポスターについて

文楽ポスター

大阪に住んでいた頃、最寄り駅には文楽のポスターが何かしら貼ってあった。定期的に変わるのだが、いつもの演目ポスターとは異なり、現代っぽいトンマナのポスターが貼ってあるのを仕事帰りに見つけた。
「視線の先に見えるのはキミの未来」
その頃、私は陶芸作家の作るうつわ収集が趣味になり始めた頃で、伝統的な技術を受け継いだ上で今の時代に合う自分なりの表現ができている人への憧れる気持ちがあったため、このコピーが直感的に響いた。歴史を受け継いで未来に残すってすごいことやん。

そして大きな口を開けて語っている太夫さんのイラスト。これがなぜか弟に見えた。
もしかして弟がやればぴったりかも…? すぐに写真を撮って送りつけた。この時、まだ弟は就職前だったので、人生を考え直すきっかけになったそう。結果として、新たな一歩へ背中を押す形になってよかった。

このポスターは「文楽の魅力を伝える」広告として、力強く作用した。1枚のポスターが私の気持ちを動かし、行動を起こさせ、弟の人生を変えた。

このポスターでのやりとりを思い返すことで、人の気持ちを動かすものづくりや広告の企画をしていきたいと改めて強く思った。

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