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今日、わたし、お誕生日だったのに

今日はお誕生日だった。
ひとりで自分への誕生日プレゼントを買いに街へ出て、
あちこち歩きながら今日のnoteに書くことを考えていた。

でも、今、頭の中で組み立てていたもの
全部どこかにぶっ飛んでいって、
頭がぐちゃぐちゃになってる。
今、自分を落ち着かせるために書いてる。
落ち着け。
落ち着けわたし。

今日、暗くなってから帰宅し、
ポストを開けたらKちゃんからの手紙が届いていた。
Kちゃんはわたしの大切な友達でヘビーな文通相手だ。

その手紙で、今、
動揺している。
考えが、
考えることが、
できない感じだ。

落ち着くために、書く。

Kちゃんと知り合ったのは17年くらい前。
マンションが同じで、
息子が2人ってのも同じで、
息子の歳も同じで、
夫の転勤で引っ越してきた時期もほとんど同じだった。

お互い、頼れる親族は近くにいなかった。
縁のない土地で幼い息子たちを育てるのは結構大変で、
Kちゃんとわたしは必然的に助け合った。
助けるから、助けて!
言葉に出したことはないけど、
自然にお互いを支え合うようになった。

そんな時、Kちゃんの体に乳がんが見つかった。

軽い気持ちで受けた市のがん検診で小さなしこりが見つかり
あれよあれよという間に
治療が始まった。

Kちゃんは入院中はお見舞いに来ないでほしいと言った。
ボロボロの姿を見られたくないし
おしゃべりする余裕もないかもしれないからって。

わたしも入院経験があるからその気持ちはよくわかった。
だから、お見舞いに行く代わりに毎日手紙を書いた。
自転車で数分の場所にある病院へ
毎日切手を貼った手紙を出した。

乳がんの治療は長期戦だった。
短期間の入院を繰り返したように記憶している。
そんな中、わたしの夫の急な転勤が決まった。

転勤が告げられた日、
わたしは動揺と涙を抑えるために
コンビニで甘いお菓子を山ほど買い込んで食べまくった。
息子2人と一緒に
エクレアやシュークリームを無言で頬張った。

Kちゃんとわたしの文通はその時から今まで
15年ほど続いている。
15年の間にわたしは2回引っ越しをし、
Kちゃんは1回引っ越しをし、
Kちゃんのがんは1回再発してまた押さえ込まれ、
今わたしたちは電車を乗り継いで約3時間の距離にいる。

離れてからの15年間で、会ったのは2回だけ。
LINEやメールのやりとりも数回だけ。
手紙は何通になっただろう。
3桁であることは間違いない。

私たちは同じ土地で支え合いながら暮らしていたように
離れてからも手紙によって支え合いながら暮らしている。

いや、むしろ、
離れてからの方がずっと強く支えられている。
頼っている。

今年の1月、
わたしの脳に萎縮が見つかった時も
家族以外の誰にも話せなかったけど
Kちゃんにだけは手紙で知らせた。

Kちゃんは返事に
「入院していた時、毎日手紙くれたこと覚えてる」
と書いていた。
「これからもいっぱい書いて。わたしも書くから。」と

あの時のわたしの手紙がKちゃんを支えていたのだと言う。
わたしのくだらない日常の出来事や
日々感じる些細な驚きや違和感などの心の動きを
ただタラタラと並べただけの手紙が
Kちゃんの力になっていたのだと言う。
それを読んで、返事を書くことで、
Kちゃんはその時を超えられたんだという。

わたしの脳の萎縮が分かってから
私たちの文通の頻度はさらにエスカレートした。

内容はいつもたわごとばかりだ。
スタバの新作フラペチーノに対するがっかり感や
家計簿のつけ方に関する試行錯誤に織り交ぜて
不安や苛立ちや自己嫌悪や反省を綴る。

綴るなんて美しいものじゃないな。
垂れ流す。
溢れるに任せて。

そして、幾度となく、お互いが気付く。
私たち、こうして手紙を書くことで自分を整理しているねって。

とっちらかった頭の中
ささくれまみれの心の中
Kちゃんに伝えるために言葉を探して書くという行為は
自分で自分を把握しようとする行為でもあるんだ。

こんなふうにくだらないことやどうでもいいことや
キモいことやウザいことまで書けて
読みあって
返事しあえる相手がいて幸せだよと心から思う。

毎回、封筒が閉まらないくらいパンパンに便箋を詰めて
キッチンスケールで50gを超えてないか確認して
94円分の切手を貼る。

少なくとも週に1通。
多い時は週に3通の手紙のやりとり。
それがわたしの精神安定剤みたいなものなのだ。

それが
今日の手紙に
「がんが再発したみたいだ」って書かれていた。

Kちゃんの文章も動揺していて
それを読んだわたしも今動揺していて。
甘いものを食べなきゃ
甘いもので脳を麻痺させなきゃ
泣いてしまう。
だからチョコレートをガシガシ食べてる。
でも涙が出るよ。
涙なんか、出してもどうにもならないのに!

どんな返事を書けばいいかわからない。
noteを書いて心を落ち着かせれば
どんな返事を書こうか思いつくかもしれないと思って書いてるのに
全然ダメだ。
参ったよ。

Kちゃんは手紙に書いていた。
「はじめに乳がんがわかった時、神頼みをしたんだ。
どうか、せめて、
子どもたちが成人するまでは生きさせてって。
今年、次男が成人したから、
ああ、神様、ちゃんと願いを叶えてくれたんだって。
だから、この結果は致し方ないか、なんて思ったりして。」

そんなの嫌だ。
困る。
わたしが困る。
Kちゃんがいてくれないとわたしが困るよ。

Kちゃんを支える番が回ってきているのに

どうする、わたし。
落ち着け、わたし。

今日、わたし、
お誕生日だったのに。


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