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ド近眼、先天性白内障、新しい眼を手に入れる?

昨日、眼科に行ってきた。
いつもコンタクトを処方してもらうショッピングモールの眼科じゃなくて、
手術もやっているガチの眼科に行ってきた。

で、いろんな機械でいろんな検査を受けた後びっくりすることを言われた。
わたしは先天性白内障なんだそうだ。

先天性ってことは生まれつきってことで、
50歳すぎてそれを知るってあり?と思った。
思ったけど、納得した。

わたしは小学3年生で眼鏡デビューし、
小学6年生でコンタクトデビューした。
昭和55年当時、小学生でコンタクトレンズを使っている生徒は
一学年6クラスある校内でわたしひとりだと保健の先生が言っていた。

小学生ながら時代の先端を走ってたとか、
美容意識が高かったとかそんなわけはなくて、
単純に視力が弱過ぎて眼鏡では矯正不可能だったのだ。

それから40年以上コンタクトと共に生きてきた。
よく考えてみると、わたしにとって
「なくてはならないもの」
「かけがえのないもの」
「それを失うと生きてはいけないと思うもの」は、
夫より息子より、本当はコンタクトレンズかもしれんと思うくらい、
現実的に真剣にこれがないとちょっと生きていけない気がする。
(夫と息子もかけがえがないです。念のため)

裸眼視力は0.1以下で、近視に乱視が混じっている。
どれくらい見えてないかというと、
洗面所の鏡で自分の目鼻がどこにあるかわからない。
地面の色が変わっていると段差だと思って爪先でツンツンする。
5メートル先に座っている生き物が人間の子供なのか犬なのかがわからない。
という感じなので、裸眼で外出することはほぼ不可能だ。

中高生の時はプール授業が大冒険だった。
コンタクトを外してから水着に着替えるのがまず一苦労で、
毛がはみ出ていないかとかチェックするのも至難の業なのだ。
みんなよりかなり遅れてプールにたどり着いても、
隣の生徒の顔も先生の顔も見えていないから
しょっちゅう違うクラスの中に並んでいた。
女子生徒たちが「〇〇君筋肉すごい」とか「〇〇ちゃんおっぱいすごい」とか話していても、めっちゃ見たいのに全然見えない。
全員、動く色付き綿菓子みたいにしか見えない。
あるいは3歳児が描いたミニオン程度にしか見えない。
度付きゴーグルとか、その頃はなかったか、あっても高価だったのだと思う。

コンタクトと眼鏡は常に特注レンズだ。
特注で、高くても、時間がかかっても、買えればまだ良い。
遠近両用眼鏡は対応不可能と数社で断られて断念した。
「お客様の場合、最強度数レンズと申しまして…」
「普通のレンズよりも厚くて面積が狭い形にしかできなくて」
「いわゆる、瓶底眼鏡…と呼ばれるタイプのものでしたら…」と
申し訳なさそうに言われたこともある。

ずっと、50年近くこの調子で生きてきて、さほど深く考えていなかったけど、
先天性白内障と言われて、そうか、それでかと納得した。
ド近眼以外にも弱点があったのだな。
他の人の視界を比べてみることができないから気がつかなかったんだな。

最近眼精疲労が年々ひどくなるし、
左目の視力が落ちている気がするし…と思ってひと月前にコンタクトを新調した。
ところが、新品のコンタクトをつけても左目だけぼやけてる。
おいおい、これ以上視力が落ちたら、コンタクトでも矯正不可になる?と
ヒヤヒヤしながら医師に聞くと、あっさり「白内障が進行してますね」と言われたのだ。

で、改めて昨日白内障手術て有名な眼科に行ったと、そういうわけです。

白内障は手術以外の治療法はないらしい。
眼球の中のレンズを砕いて吸い出して、
代わりに人工レンズを挿入するのだそうだ。
怖!と思うけど、国内で年間100万件以上実施されているポピュラーオペらしい。

目の中に人工レンズを埋め込んで貰えば、
これから死ぬまでクリアな視界で生きていけるらしい。
しかもわたしのへっぽこ眼球が人工レンズでリノベーションされ、
ド近眼も乱視もない裸眼生活が可能になるのだ。
でも、レンズの性能は値段と比例して様々で、
保健適応なら片目3万円、
最新鋭の高機能レンズなら片目60万円と
選択肢が様々なのだという。

たまたま電話してきた実母に話したところ、
なんと電話の向こうで母が急に泣き出した。
「あんたは昔から眼ェが不自由で可哀想で…。
目ん玉こうてあげられたらと何度も思てたんよ…ぅぅぅ。
お母さんがその高いレンズ買うてあげたいわ…ぅぅぅ。」と泣く。
母親がそんなふうに思ってたなんて知らなかったから驚いて笑ってしまった。
眼ェが不自由って…、ちゃんと見えてますから。

視力が悪いからこそ、それでも視力がある、盲目ではないというありがたさは
今まで何度も感じてきたのだ。
小学生の頃、眼科医に、
「このままどんどん見えなくなって失明したりしますか?」と何度も聞いていた。
その度に先生に
「大丈夫。どんなに悪くなっても、見えなくなることはありません。」と言われ、
ああ、よかった。どんなに悪くても眼があってよかったと安堵していたのだ。

これから情報を集めて、考えて、決めないといけない。
いつ、どんなタイミングで手術するか、
どんなレンズを選択するか。(どれくらいお金を使うか)

先天性白内障は驚きだったけれど、わたしにとっては希望の光だ、
ド近眼生活とおさらばできる日が来る?
見え過ぎちゃって困るのォ〜♪をガチで歌う日が来る?
(昭和CMを知る人しかわからないフレーズでしょうか)

今後、新しい眼を手に入れるまでの道のりは
随時noteに記録していこうと思います。

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