見出し画像

【千字掌編】土曜夜の雪華は淡く輝く……。(土曜の夜には……。#028)

 雪香の初恋は雪華のごとく淡く消え去った。自然に溶けた雪のように音もなく何も言わず闇へ消えていった。
 
 それから、年を経て、不惑の年とまで言われるような年頃になった。毎晩、仕事帰りに「カフェ・ノスタルジア」に寄ってはホットチョコレートを飲む。寒い冬にはこれが一番だ。少しとろっとした解けたチョコレートが何とも言えない。ココアのようにさらりとしてないのが気に入っている。味わいもこちらがいい。満足げな顔で飲み終わるとお代を置いて帰る。夫婦が営むカフェだが、必要以上に他の客のように話さない。ただ、注文し、飲んでお金を払うだけ。この簡素なやりとりが心地よかった。もうひとりなんて慣れっこだ。そろそろ終の棲家を探さないと。ぼんやりと雪香は思う。今のアパートも気に入っているが、間借りした感じは否めない。自分だけの城が欲しくなっていた。蓄えは腐るほどある。うら寂しい女の道をまっしぐら、だ。
「あ。雪」
 見上げるとちらちらと雪が降ってきた。手袋をした掌に雪が落ちる。よく見れば、きれいな結晶があるのだろうが、そんな間もなく消えゆく。あの日の思い出がよみがえる。あれからどれだけ経っただろう。お互いいい年だ。幸せであることをそっと祈る。この奥手が決定打で初恋は解けて消え去った。
 雪香はふと、あの場所へ行ってみたくなった。もう、だれも来ないあの湖の桟橋へ。足が自然と向く。
 そこには先客がいた。男性のトレンチコートを着ている。あの、後ろ姿は……。期待がこみあげる。いや、もう結婚して何年もたっている。今さら熟年離婚なんてしてるわけがない。それでも声が上ずる。
「俊之……さん?」
 男性が振り向く。驚いた顔をしていた。
「雪香かい?」
「ええ」
 小走りをして近づく。
「どうしたの? こんなところで。家に帰らないと。もう遅い時間よ」
「帰っても愚息がいるだけだよ。今頃ピザでも食べているだろう」
「え? 奥さんは?」
 名前は言えなかった。親友だったあの子。
「男作って出て行ったよ。男二人でむさい生活してる。やばい。雪が本格的になってきた。そこのカフェへ入ろう」
 肩を押されてまた来た道を戻る。またカフェ・ノスタルジアがある。雪香は混乱していた。離婚? 出て行った? 奥さんの事まだ愛してるの?
「ふぅ。大雪に見舞われましたよ。ホット一つ。雪香は?」
 あの人から自分の名前が出てどきどきしだした。馬鹿ね。乙女じゃあるまいし。
「また、ホットチョコレートで」
「はい。かしこまりました」
 男性がオーダーをうけて奥に行く。
「奥さんさがしてあんなところに?」
 席に座りつつ聞く。
「いや、もう見限った。あれが一度じゃないんだ。息子の心がずたずただ。当分、妻はいらないよ。優しいカウンセリングが息子には必要なんだ」
 カウンセリング。雪香はカウンセラーだった。だが、私情を挟む気がして申し出る気にはなれない。代わりに、青少年の心に詳しい知り合いを教えた。
「雪香はカウンセラーにならなかったのかい?」
「なったけれど、知り合いなら私情を挟んでしまうわ。無理よ」
「そうか。残念だな。訪ねていこうと思っていた矢先なんだ」
「え」
 雪香の動きが止まった。必要とされてるの? この私が?

 混乱する頭とは別に、手袋についていた最後の雪に雪華が見えた。一瞬、照明を反射して輝く。すぐにそれはとけてなくなった。だが、目の前にいる俊之は消えない。雪香は勇気を出して口を開いた。
「あの……!」

 また一つの恋が始まった。


あとがき
また、住所不定のカフェ・ノスタルジア。この店のシリーズを書いた方がいいのかしら。古書店とかBARとか珈琲専門店とかあるんですけどねぇ。古書店は今の時期寒い。あまり暖房とかなさそう。いや、さすがにエアコンは入れてるか。こうも寒波が来たときに出すものでもなさげなのに、書いた先週は載せ忘れ。しかたなく一週間ずらしたら、なんと本当に大雪時期に掲載になった。ちゃちな話に反応が怖い。雪華も雪も冬の季語です。六花も雪の結晶のことなんですが、六花じゃない雪華を選びました。今は六花がよかったかしら、と思ってます。最近、俳句熱が高い。また始めようか、と思ってますが、積読終らせないと困る。知識がなさすぎる。20週のは最低読破しないと。だけど、一週間で俳句が覚えられない。ので進まない。困ってます。まぁ、締め切りなどなどで俳句は一度離れたのですが、季語は大好きで相変わらず季語から話を書くのをやめられません。余計なことなんですけどね。季語と17音であらわさないといけない世界ですから。
と、久々の土曜日シリーズでした。ここまで読んでくださってありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?