田中俊太、きょうだいの呪縛

「きょうだい」というのは、残酷だ。

「同じ家庭に生まれたから」ただそれだけの理由で、年齢や性別が違っても「お兄ちゃんは優秀なのに」などと比較される。

そして挙句には「◯◯のおねーちゃん」「◯◯の弟」などと言われ、きょうだいのオマケや分身のように括られることも珍しくない。

著名人であれば、「きょうだい」絡みの話題ばかり振られるということもあるだろう。

いずれにせよ、きょうだいが同じ世界にいるからこその弊害は、必ずと言っていいほど存在する。特に優秀なきょうだいを持ったひとほど、「きょうだいの呪縛」に苦しめられているように思える。


田中広輔の弟と呼ばれて
田中俊太の名が世に広まったのは、「田中広輔の弟」の触れ込みが大きかったのは事実だろう。

3連覇中のカープ主力選手の弟となれば、それだけで注目を浴びるのはほぼ間違いない。しかし、その「田中広輔の弟」という看板が、俊太を苦しめているように見える。チームの柱である兄と自分を比べられたり、同じ土俵で語られるのは、きょうだいの宿命とは言え、決して嬉しいことではないはずだ。

5月25日の巨人対広島戦では、サードベースでのアウトセーフに関してリクエストがあり、試合が一時中断した場面があった。

そのときのランナーが広輔、タッチした三塁手が俊太だったのだが、試合後俊太には「あの場面でお兄さんとは何を話されたんですか?」と質問が飛んだ。俊太は「アウトか、セーフかという話をしただけです」と淡々と答えたが、もしランナーが菊池涼介だったら、そもそも「何を話したんですか?」などとは聞かなかったはずだ。

2年目のシーズンである今年も、兄の呪縛からは逃れられないと悟った瞬間だった。


これからの俊太へ
「兄に追いつけ、追い越せ」などと言うつもりは毛頭ない。むしろ同じく兄を持つ立場として「兄を超えろ」などという、"兄ありき"の話をするのは好きではない。

俊太には、メディアが2年目になっても「田中広輔の弟」という目で見ていることを気にせず、ハツラツとプレーをして欲しい。

メディアがどれだけ兄とのエピソードを期待していても、その期待に変に応えようとせず「アウトか、セーフかを話してただけです」と淡々と語って欲しい。そして「田中広輔の弟」ではなく、「田中俊太」色の輝きを見せて欲しい。

全世界の弟・妹を代表して、田中俊太という男の活躍を心から願ってやまない。

#エッセイ #コラム #野球

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