八方美人とカナリーイエロー

 夏の気配を感じられるようになると、大阪の寺は一斉にカナリーイエローに変わる。
 質素な色合いだった瓦や壁が、ある夜、一晩の内に脱皮して、緑の少しばかり混じった黄色に変わる。その変わりようは素晴らしいもので、何度見ても、目を瞠ってしまう。
 大阪の寺は脱皮で保つ。
 有名なエッセイストの言葉だ。戦前に大阪で生まれ、一度は東京に出たが、再び大阪に戻って来たこのエッセイストは、東京の寺が絶対に脱皮しないことに不満を漏らしていた。
「東京の寺は穏やかに過ぎる。静謐な瓦や木材の色合いばかりを誇りとしているからか、脱皮などは絶対にしない。だが、それは本当に生きていると言えるのだろうか。大阪の、立夏になるとカナリーイエローに脱皮する、あの寺々の記憶が脳裏に焼き付いている私にとって、脱皮をしない寺というのは、死んだも同然のように思えてしまうのだが」
 私は、あのエッセイストのように大阪至上主義者ではないので、立夏になっても脱皮しない東京の寺も、脱皮をしてカナリーイエローに輝く大阪の寺も、どちらも好きだ。
 それって八方美人ちゃうのと友達の亜紀に言われたことがある。大阪の淀川で、東京の大学へ行くんだと告げた時のことだ。
 亜紀とは小学校のころからずっと一緒で、まさか大学へ入学する時に進路が変わるとは、暢気な私は最終盤まで気付いていなかった。少し考えれば分かることだと思うのだが、受験勉強の苛烈さが、そのことを考える余裕すら、私から奪い去っていたのかもしれない。
 亜紀はあの時、無性に怒っていた。河原にある大きめの石を、ドボンドボンと投げ捨て、私の言うこと一々に棘のある返事をしていた。
 今なら彼女の気持ちもわかる。ずっと一緒で、これからも一緒だと信じていた友達が、最後の最後に大阪ではなくて東京に行くと急に告げて来た。裏切りと感じたのだと思う。
 八方美人発言も、そんな怒りの表れだったのだろう。でも、当時の私はそこがわかっていなくて、日和見と言われてカチンときた。
 大阪のことばっかりで、他のものに見向きもしない方がどうかしてる。大阪の外にも、同じくらい素敵なものはたくさんあるのに。
 そんなことがつい、口を突いて出た。
 亜紀の目から涙がポロリと零れた。でも、すぐに口は真一文字に引き結ばれて、もういい、アンタなんか知らん、という言葉と一緒に、彼女は私の前から去って行った。
 大学を卒業し、東京で働き始めてからも、大阪の寺がカナリーイエローに脱皮する時期には、フラリと里帰りする。脱皮したての寺を拝観したり、寺の皮で作られた製品の即売会を見学するために、高島屋や阪急百貨店を彷徨ったりして一日が終わる。
 カナリーイエローに輝く寺を見るたびに、喧嘩別れして音信不通になった亜紀のことを思い出す。連絡をしてみようと思う時もあるのだが、実行に移す勇気は、まだない。

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