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タイカ・ワイティティ - ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル(2016) Hunt for the wilder people

タイカ・ワイティティはどうしてこんなに優しいんだろう。「愛している」と言われること、愛されていると認識できること。そういったことを描いてきたティーンエイジャーの物語はこれまでもたくさん作られてきた/そして、これからもたくさん作られるだろうけれど、ワイティティのこの映画が特別な愛の映画として描くのではないまま、特別な映画になってしまったことに驚いてしまった(そして、それは瞬間によるかけがえなさに由来している)。なにより、13歳のリッキー・ベイカーを演じたジュリアン・デニソンの輝きがかけがえない。

まもなく13歳になるリッキー・ベイカーは器物破損、落書き、ツバ吐きで児童福祉局の頭を悩ませる「厄介」な子どもだけれど、児童福祉局のポーラは「だれひとり取り残さない」(No Child Left Behind)を信条にしており、リッキーを牧歌的な山のふもとに住んでいる夫婦ベラおばさんとヘックおじさんに預ける。彼の悲しみを理解しようとはしないポーラとは反対に、ベラおばさんは彼の孤独を理解しようとするのだけど、それがありきたりな言葉や行動ではないところが良い。リッキーの家出も、きちんと見守っているというメッセージとともに許容し、彼の誕生日をオリジナルの歌を歌って祝う。リッキーも「こうあらねばならない」という規範から外れたベラに心を開きはじめるが、そんな矢先、ベラが急死。無愛想で孤独な男ヘックと取り残されしまう。

ワイティティは、人生の不条理をユーモアで乗り切ろうとする日常讃歌を多く描いてきているような気がする。それも「はみ出しもの」ゆえの孤独とか仲間外れとか。この映画では、リッキーのことを裁かない。愚かな子どもでもなければ、悪い子でもない。リッキーは、音楽がないところで音楽があるように踊れるし、俳句をつくるのが好きな子で、ポジティブで、愛情深い。小さな瞬間であってもかけがえない愛すべきキャラクターとして描くことで、愛情を抱いてしまうキャラクターにしているし、それは、ヘックも同様で。最初は嫌なおやじだけれど、どんどんいい奴にも思えてくる。章立てで進んでいく語り口は、そのままリッキーが大人になったあと、同じような境遇の子どもたちに語りかけている「物語」のようにも思えて泣けてくる。悲しみを通して、思いやりとか共有を描き、思いもよらなかった驚きを共有してくれる映画だった。


2017、ニュージーランド、101分
監督・脚本:タイカ・ワイティティ
撮影:ラクラン・ミルン
出演:サム・ニール、ジュリアン・デニソン、リス・ダービー、レイチェル・ハウス

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