グー・シャオガン『西湖畔に生きる』(2023)資本主義の人工性と自然界のつながり
長編デビュー作『春江水暖〜しゅんこうすいだん』で世界から注目された中国の新星グー・シャオガン監督が、釈迦の十大弟子のひとりである目連が地獄に堕ちた母を救う仏教故事「目連救母」に着想をえて撮り上げた長編第2作。2023年の第36回東京国際映画祭コンペティション部門出品作品。
前作がまるで絵巻物を開くように横に流れていくシーンが多かったのに対し、今作では上下運動が印象的だった(監督自身も掛け軸とイメージを語っている)。こんなこともできるんだと振り幅がすごい。まさに「自然の子」である目連が、冒頭で自然と戯れる幸福のシーンや、茶摘みが始まるまえに山起こしをするシーンが、「ああはじまるな〜」という気にさせてくれる。しかし、そんな天上のシーンはすぐに一転し、母の苔花がマルチ商法にはまって以降は、画面が節操なく動き回り、しつこいスローモーションや怒声、露悪的なハイテンションが続き、お金もたくさん出てくる。マルチ商法=欲望の渦巻く俗世界という対比。もうすこしだけ天上の世界を見ていたいと思わせられるのだけれど、それも下の世界があまりにも現実すぎて拒否反応を起こしているのかもしれないとおもった。
お金だけでなく、自己実現や他者からの承認を餌にマルチに洗脳させていくというのは、現実における欲望を利用したうまい商売だ。あまりにもリアルすぎない?とおもったら、監督自身が親族がマルチにはまったことをきっかけに、実際のマルチ集団に潜入した経験がもとに構築されているらしくて、執念を感じさせられる。弱みに漬け込み、空っぽの承認を授け、すでに「成功者」であるように勘違いさせる。中盤で、マルチだということを認めて手を引かせたい目連に向かって、苔花が言う「あるべき自分を見つけたの」「お金で幸せを買ってなにが悪いの」という言葉に、幸せであるために幸せから遠ざかっているという矛盾がそもそも舞台となっている杭州・西湖畔における「茶」自体にも含められているように感じていて、禅というものを体現する「茶」は一方で資本主義的な物質であって(金銭的なものでもあるし、格差社会において誰もが身につけることができない教養という意味でもある)、現代社会の矛盾を突きつけられるようだった。潤っているようでだれか・どこかの国を搾取していて、そういった誰か・国がなくなればそんな潤いはすぐにでも崩壊するという資本主義の見せかけが、マルチ商法やここで描かれる「あるべき姿」という自己承認や他者承認を通して描かれていた。天上から地獄への移り変わりで、画面の忙しなさも変化するし、音楽も変化するし、人間自体も豹変していて、ほんとうの地獄だった。
すごい映画だなと思う一方、地獄を描写するにあたって、俳優に事前情報を与えていなかったこと、俳優が「演技」ではなく、実際に「狂気」にいたる過程におかれた様子が撮られているというふうにインタビューで語っていたらしくて、この映画を安全面から見てほんとうに絶賛していいのだろうかと疑問の湧く内容だった。とくに苔花演じるジアン・チンチンのエネルギーの爆発力はすさまじく、危うい方向に進んでいる時ですら畏怖の念を抱いてしまう。なんだかエネルギーの爆発に自らも飲み込まれているように感じていて、それが演技として自他が切り離されているなら良いのだけど、ジアン・チンチンに限らず、メソッド演技を取り入れているのなら心配が残る。
草木人間 Dwelling by the west lake/2023/中国/1時間55分/1.85:1
監督:グー・シャオガン
脚本:グー・シャオガン、グオ・シュアン
撮影:グオ・ダーミン
音楽:梅林茂
出演:ウー・レイ、ジアン・チンチン、チェン・ジエンビン、ワン・ジアジア
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