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ジェーン・カンピオン - エンジェル・アット・マイ・テーブル (1990) an angel at my table

ジェーン・カンピオンの長編3作目。もともとはニュージーランドでのテレビ放映用として作られた作家ジャネット・フレイムの自伝3部作を映画化したもので、「To the Is-land」「An Angel at my table」「The Envoy from Mirror City」の3作のうち、リルケの詩をもとにつけられた「An Angel at my table」がタイトルになっている。感性が繊細すぎるがゆえに「統合失調症」と誤診され、8年間ものあいだ入退院を繰り返し、200回以上の電気ショック療法を受けたものの、のちに作家として成功したフレイムの幼少期から精神病院への入退院、その後友人となったフランク・サージソンの助けを借りて執筆活動、渡英を経て、ふたたびニュージーランドに戻ってくる1960年代までを描く。

158分という長さは、悲劇的なエピソードや悲惨さ・苦痛を伴う部分もかなり多く、冗長さを感じさせる部分もあるけれど、それがなんだか「人生」という壮大さを描くには適切な気が感じがするし、時折挿入される彼女が一人でフレームに収まっているシーンにはそれらの厳しい人生に対する慰めと解放を感じさせてくれる。エンドロールに入った瞬間、これは素晴らしい映画だったのではないか。と思わせる力を持っている作品だった。恥ずかしがり屋の女の子が「恥」を植えつけられ、かつ唯一こころを許せる友だちとの強制的な別れや、仲の良い姉妹の突然の死によって、閉じてしまう心、世間から与えられる「女の子」という女の子の像に憧れを抱きながらもそうなれない自分と(簡単にそうなれてしまう姉妹たち/ジェーン・カンピオンは主人公ともう一人という2人の関係性のなかで自己を定義する関係性を描くことが多いような気がする)の乖離によって余計に深い悲しみを感じ、苦しみ、それゆえに誤診されてあったかもしれない青春の時期を失い、深い悲しみのなかで生きていくために書き、生きながらえ、あったかもしれない青春を取り戻し、そして失い、「他人と付き合うのが嫌なら付き合わなければいい」という言葉に慰めを見出し、自分自身という灯台を見つけるまでを描くには、冗長的な158分が正解だよね。3章で、彼女からパリからスペイン、イビサ島へ行き、ひとりで海を前に立ったり、海が見える窓辺で自分の部屋を手に入れて執筆するシーンがあまりにも素晴らしかった。


1990/ニュージーランド、他/158分
監督:ジェーン・カンピオン
脚本:ラウラ・ジョーンズ 原作:ジャネット・フレイム
撮影:スチュアート・ドライバーグ
出演:ケリー・フォックス、アレクシア・キオーグ、カレン・ファーガソン、メリナ・バーネッガー

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