学校に行けなくなった時の話。

高校2年生の時、学校に行けなくなった時があった。
行けないと言っても、3,4日の話だったけど。
こういう自己開示をするかどうかはずっと悩んでいたけど、
今日が世界メンタルヘルスデーと知って、半年ほど前の自分の経験と、その時考えていたことを振り返ってみようと思った。
当時の文章をそのまま載せたり、ちょっと今の視点から書き替えたりする。感情的で恥ずかしい部分もあるけど、書いてみようと思う。出来事と思考を積み上げた、脈絡のないエッセイのようなものとして受け取ってほしい。

2月の終わり

(この章から、当時の文章)

悲劇のヒロイン症候群、だと自分でも思う。

最近、なんとなく鬱だった。最近、というより9月くらいからだし、鬱、というよりはなんとなく辛い、があっていると思う。
週に1回だったのが、週に2,3回になって、1月末くらいからは、毎日、だった。
人と会っている時はいい。よく喋る方だと思うし、笑うのも、人を笑わせるのも好き。人といると忘れられる、という感じだった。ただ反動はある。学校の帰り道は大抵一人だし、思い悩む。歩くのが遅くなる。考えすぎだと思うし、自分の捉え方の問題だとも思う。でも、どうしようもない喪失感や孤独感に襲われる。それが怖くて、人と話している時間もだんだん、後からやってくるものに少し怯えるようになった。

いつもと同じだった。駅まで歩く。友達の隣。「またあしたね」
また明日って人は言うけど、それ本当なの、瞬間に思った。
バイバイ、は言わないようにしていた。なんとなくの了解。もう会えない気がするから、バイバイは言わない。またね、って言う。いいんだ、またね、は素敵な言葉だと思う、これからも使っていきたい。でもこの時の自分は天邪鬼だった。考えなきゃ使えない言葉をまた増やしてしまった。

また明日、会えないかも。また明日、会わないかもね、不意に感じて、言葉は口を突いて出た。君は怪訝な顔をした。18時05分発に手を振った。
なんとなく思っていた。会わないかもね。会いたくないかも。
目覚ましの数秒前に目が覚めるように、机から転がり落ちるものを受け止めるように、なんとなく予感していた。

深い沼に落ちていくような感情から抜け出せずに、家に帰っても胴が重かった。早よ制服着替えて、という母の言葉にのろのろと動いて、またこの感情を見過ごそうかと諦めかけた。


味噌汁の器が手に当たって倒れて、膝元に、床にこぼれて、そんな小さなことで、私は堰を切ったように泣き出してしまった。


2,3時間、話をしたと思う。「明日は休もうか」という言葉にほっとする自分がいた。たまの泣き寝入りは、気持ちが良い。何もかも手放して眠ることができる。


二日目

朝から昼過ぎ、何をしたかはあまり覚えていない。母とスタバに行った気がする。ずっと欲しいと言っていたオーロラのグラスを買ってくれた。

夕方すぎ。進めているプロジェクトの、企業さんとの打ち合わせを入れていた。流石に社会人の方に迷惑はかけられないので参加した。いつもより緊張はひどくて、始まる前に3回トイレに行って、キーボードを打つ手は汗がすごかった。

上だけ制服に着替えて、にこにこして後輩のバックアップをしていると、自分何してるんだろ、という思いがふと頭をよぎったけど、人と話すこと、質問やリアクションをうまく回すことにはやはりわくわくした。



同席してくれていた、敬愛している先生からのチャット
「このあと残れる?」
参加者2人になったzoomで、先生が伝えてくれたのは、私がいちばん欲しかった言葉たちだった。


「話すのが上手」「ずっと愛想がいい」「咄嗟のコメントが丁寧」「後輩のサポートができる」
「当たり前だと思って任せてたけど、高二でここまでできるのは、本当にすごいことだよね」


号泣する私を見て、画面の中の先生は爆笑していた。
思ってたこと、悩んでたことを伝えて、先生は丁寧に応えてくれた。
「気が向いたら来たらいいし、向かなかったら休めばいいよ。」少しほっとした。

画面外に誰かいるようだったので聞いてみると、もうひとりの大好きな先生がいるようだったので、顔を見たいです、と言うと映ってくれた。
私の話をもう一度短く繰り返して、先生が言ったのは「贅沢な悩みだねえ」。
そして、先生自身の経験を話してくれた。
プライバシーのために書かないけど、想像したこともないようなことだった。伝えてくれたことに感謝した。ありきたりな言葉かもしれないけど、勇気をもらった。

弱かった人は、弱さをわかる人は、やはり強いのだ、と思った。苦しんだことがある人なら、苦しい人の気持ちがわかるでしょう。

三日目

当時の私が様子を書き残していないので、あまりよく覚えていない。
確か、この日にzoomで担任に話を聞いてもらった。私はほとんどずっと泣いていたけど、1,2時間話を聞いてもらって、割と実践的なアドバイスをもらった。そのやりとりで、自分が漠然と辛かったことの正体が少しずつ見えてきて、これからの道も少し開けたと思う。月曜日から、図書室に登校してみることになった。

この時の私は、何につけても涙が止まらなかった。ご飯が美味しくて泣く。駆け寄ってくれる犬に泣く。推しの笑顔を見て泣く。ちょっと家族と話して泣く。2日目から4日目は、そんな感じだった。


四日目

今日は、朝少し時間をずらして図書室に来た。静かな空間で、自分の勉強をした。

学年主任が話をしにきた。図書室の長机に向かい合って座る。主任だから、そこそこ緊張はするし、私なんかに何を話すのかと思っていた。もう何度もしたように、私が思っていたことを、考えていたことを伝えると、先生もまた先生の視点で、先生の言葉で応えてくれた。嬉しかった、自分は見てもらっていたんだと思った。

そして、先生と生徒というより、陳腐な表現だけれども人生における先輩と後輩というか、単に大人と子供というか、そういうやりとりをしたから面白かった。もっと人生の話をしたいと思った。
(でも先生たちもっと早く気付いてくれたらよかったのに、と思ったことは内緒にしておこう。)


今日1日を図書室で過ごして、制服を着ている、学校にいる、勉強している、それでも誰とも会わない空間が心地よかった。壁越しに聴こえる体育館の音楽や、休み時間のざわめきが、丁度いいと感じた。離れていても、割と近くにいる、繋がっている感覚だった。同時に、ちょっとだけ、みんなに会う勇気ができた気がした。会いたいな。話したいな。疲れるのは怖いけど。明日は午前中を図書室で過ごして、午後は教室に戻る。3日間の休みでも、緊張はする。自分を見失わずに、みんなの中に戻れるかわからない。でも、ちょっとずつ前に進みたいと思っている。


五日目

この日のことは、きっと疲れてしまって何も書いていなかったので、振り返り。
昨日と同じように図書館に行った。4限までの時間を勉強して過ごして、昼休みに担任が来てくれた。教室に向かう道中、少しだけ私は緊張していた。黙食だから一律に前を向くみんな、私の席は一番前。仲のいい子たちの声を出さずに驚く顔を思い出す。心配してくれてた子、ハグしてくれる子、みんなごめんね、と思いながら、またにこにこできるようになった自分が嬉しかった。


こうやって五日間が過ぎた。当時の私は、「自分の輪郭を取り戻す期間だった」と書いている。確かにそうだ。たくさん刺激や影響にさらされて、毎日が目まぐるしく進んで、周りが気になって、置いてけぼりにしてしまったいろんなもの。そこに戻って、本当にただぼーっとして、自分に寄り添う感じを覚えた。

自分ともっと仲良くなりたいな、と思うようになった。そういう日々だった。



思ったより長くなってしまったから、一旦ここまでを公開しようと思う。
「考え」の部分は明日出す。ぜひそちらも、というかなんならそっちの方が伝えたいことがあるかもしれない。これは単なる私の記録だから。
私が向き合っていたことを、これまで向き合っていた人、今向き合っている人に読んでもらえたら、ヒントとまで大層なことは言わないけれど、何かつながりを感じてもらえたら、嬉しい。

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