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下灘駅に行ったときの話

このままどこかにいけたらなって
海に沈んでしまえたらって
/ 米津玄師「乾涸びたバスひとつ」より
https://j-lyric.net/artist/a0579b7/l02f9f8.html

 どこかに行けば何かが変わると思っていた時もあった。いや、もしかすると現在も、心のどこかで同じことを考えているのかもしれない。

 もう5年前になるのか。私は下灘駅を人生の目的地とし、ついにその地へと辿り着いた時を、今でも鮮明に思い出せる。

 下灘駅は愛媛県伊予市にあるJR四国予讃線の駅。ホームは一線だけで、周りも町とは言い難い閑散としている田舎だ。しかし、「海から一番近い駅(注:現在は一番ではない)」である下灘駅は、その名の通りホームのすぐ傍に海があり、そこから見る景色は息を飲む迫力があって、ドラマ・映画の撮影地やアニメの聖地となることも少なくない。そんなわけで下灘駅は、多くの鉄道ファンから私のようなにわかノスタルジックオタクに至るまで、様々な人を虜にしてきた駅なのだ。

 そんな駅に想いを馳せ、実家から半日をかけて辿り着いたのは2017年4月13日のこと。XperiaからiPhone7に機種変更したばかりの頃に撮った写真が、今も写真Appの一番初めに、強い太陽光の記憶とともに残っている。

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 4月としてはかなり暑さだった。気温としては例年通りではあるものの、とにかく日差しがキツイ。太陽だけならまるで真夏。目に入れようものなら一瞬で失明しそうだった。
 駅周辺には観光客もそれなりにいて、景色の綺麗な小さな駅としては非常に写真を撮りにくい環境で、少しだけ嫌な顔をしたのを覚えている。



 下灘駅のことを知ったのは確か高校2年生の頃だったように思う。適当な2chまとめ記事にノスタルジックな駅として紹介されていたはずだ。そこに貼り付けられた下灘駅の写真を見たときに、強く惹かれた。ここが人生の目的地であるような気さえした。実際、当時の私にとっては、ここに行けば何かが変わりそうな予感がしたのである。あの頃私がひとりで抱え込んでいたものや、今までの生き方、それらを全て変えてくれるような、そんな気がした。

 当然のように学校へと通う日々。しかしそこには虚無感しかなかった。高校1年生の時に目指していた道は、ひょんなことから自分のやりたいことではないと気づき喪失。一瞬にして無くなった生きる為の順路は、実際今もあるようでない。
 高校2年生の夏休みを過ぎたあたりだろうか、私は徐々に学校へ行かなくなっていた。授業中に毎時間のように当てられ、発表しなければならない高校の授業は、苦痛でしかない。当てられるまでは心臓が周りに聞こえているのではないかというほど音を立て、当てられた瞬間から体が小刻みに震え出すのだ。あれらは緊張から来るものだったのだろう。
 さらに深刻なのが毎朝の腹痛と授業中のお腹のガス音。これには現在でも悩まされることが多いのだけれど、本当に厄介である。この症状、過敏性腸症候群という立派な名前があるらしい。実際に他人にどれくらい聞こえているのかはわからないところではあるものの、50分授業中ずっとお腹の中でグルグルとガスが鳴き声を上げているのは気持ちが悪い。もちろん、休み時間はガス抜きのためにトイレに直行である。臭そう。
 いじめられたとか、クラスで嫌な思いをしたということは思いつく限りで大したことはないけれど、とにかく私にとって集団生活はストレス以外を生まなかった。

 そしてなんだかんだあって2年生最後の期末テストをすっぽかし、代わりにメンタルクリニックの診断書を提出してそのまま退学、からの通信制高校へ転入。ここまでが2017年3月までのこと。
 全日制高校が土曜登校必須だったこともあり、高校1、2年間で通信制高校の卒業に必要な単位をほぼ全て取っていた。だから高校3年の1年間はスクーリングをすることなくずっと家にいた。大学受験がなければ暇を極めていたのだけれど、まあこの1年は昨年とは違う意味で地獄だったような気もする。でも普通の高校生よりは自分のために使える時間が多いわけで、この下灘への旅も高校時代の思い出作りのつもりで出かけたわけだ。

 そうして、ついに下灘駅へと辿り着いた。複雑な心境とは反対に、太陽は明るく光り輝いていた。本当に、5年もの月日が経つ今でもはっきりと思い出せる。ヤンキー夫婦が唾吐いていたのも(思い出さなくていいのに)思い出した。あれは絶対高速バスで遠慮なくシート倒すタイプだ。さらさらとした春風も、リアルタイムに肌で感じているような錯覚さえ起こす。
 辿り着けたのだ。スマートフォンの小さい画面で見ることしかできなかった地に。嬉しいというか、目的が達成されたことで微かに虚無感が生まれたというか、どうやって言葉にすればいいのだろうか。不思議な気持ちだった。


 結論から述べれば、下灘駅に行って変わったことはない。その後も淡々とした日々を送り、無難に受験も終了し、無難に大学に通っている。人生の目的地とまで感じていた下灘駅に訪れたことで何かが変わったということはないけれど、5年前と今を比べればどうだろうか? 実際、5年という長いようで短く、短いようで長い歳月は、私にそれなりの変化をもたらしたと思う。当時はダイエットしたいダイエットしたいと言いつつも一切変わらなかった体重も、現在では約15kgほど痩せてしまった。また、ライブには行かなくていい系スタジオ音源派オタクだったにも関わらず、いつの間にかライブに行けない世界を恨んでいる自分が存在している。なんてこった。
 正直、全日制高校を辞めたときには人生終わりだとか、引きこもりの誕生だと絶望したが、今では就職活動も終わり将来に目が向いている状況である。なんなら大学も高校と同じく途中でダメになったらどうしようとか考えていたけれど、なんとなく4年間過ごしているといつの間にか卒業間近。大学は大学でメンタルのブレも激しかった割には楽しい4年間だったなぁ。

「変わりたい」と思うことは、5年前の自分は悪いことだと思っていた。しかし、人間は心のどこかでいつも変化を望んでいるのかもしれない。月単位、年単位で見れば、人は皆変化しているのだけれど、改めて考えてみなければ気づきにくい。

不甲斐無い僕等は何時も思い出を背に
新しい明日をただ待ち侘びてしまう
/ Ivy to Fraudulent Game「無常と日」より
https://j-lyric.net/artist/a05c68a/l04d5fa.html

 変化を楽しめるようになっていきたい。10年、20年という人間からしてみれば長い歳月の流れの中で。ゆるやかに。


 そういうわけで、今ではもう下灘駅に“人生の目的地”なんて重い仕事を任せていない。ただただ思い出の地なのである。本記事では自分語りばかりになってしまったが、天気のいい日には絶景を観ることができるし、下灘駅は立派な観光名所だ。ぜひ一度は訪れてみることをオススメする。
 私ももう一度行きたい。純粋に、なんの足枷もない状態でただ単純に。

 そういえば帰りに広島・尾道に寄ってラーメン食べたっけ。美味しかったなぁ。

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