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喫茶店の効能

(今年の6月末に書いて下書きに入れっぱなしにしていたものです。年末に合わせて #下書き供養  します。)

5月の半ば、NHKの『ドキュメント72時間』(ひとつの場所で72時間カメラを回し続け、その場所に訪れるひとの様子を淡々と記録するドキュメンタリー番組。)で名古屋のとある喫茶店が特集されているのを見かけた。

毎日のようにモーニングを食べに来るご夫婦だったり、競馬好きのお爺さんだったり、最近また2人での同居を始めたという母親と20代の息子だったり。喫茶文化で有名な名古屋という土地柄もあるだろうけれど、ここに集う人たちにとって喫茶店は、生活の中で、まるで呼吸をするのと同じくらい何気なく、そして、呼吸をするのと同じくらい大切な場所のように見てとれた。

自粛期間の真っ最中にこの番組を見た私は、この喫茶店に流れる朝・昼・夜×3日分の映像を大真面目に眺め、ふと

「喫茶店は、自分の感情を定点観測するものさしのような場所だな」と思った。

何をするでもなく、ただぼーっとしながらコーヒーを飲んだり、トーストをかじる場所が自分の家以外に一つあると、そこはいつの間にか、自分にとって感情のアルバムのようになる。そう思った瞬間、(おそらくこのとき放送を見ていた他の多くのひとたちと同様に、私も)自分の行きつけの喫茶店のことが、目眩がするくらいに恋しくなった。


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緊急事態宣言の解除とともに、じわりじわりと週末に予定が入る。わたしも先日、約3ヶ月ぶりに仕事以外での外出をし、行きつけの喫茶店へ久しぶりに行った。

そこを初めて訪れたのは社会人になって少しした頃なので、もう3年くらいは経っただろうか。何十年も続いてきたお店の歴史あるカウンターには大量の食器が並んでいて、テキパキと鮮やかな手際で調理をしたり魔法のようにコーヒーを入れる店員さんの姿を眺めていると、何故か心が落ち着く。大袈裟ではなく本当に、「人間が仕事をする姿って美しいな」と思う。

私はいつのまにかそんな空間そのものののファンになってしまい、以来足繁く通うようになった。

舞台を見た後や、友達との待ち合わせまでの時間潰し。仕事が辛い時期に近くの映画館で見た映画が何故か涙腺をぶっ壊してしまい、泣きながら映画館を出てそのままお店に行ったこともある。カウンターでクリスマスカードを書いたり、職務経歴書に頭を悩ませたり。お酒を飲んだ後の夜遅くに立ち寄って夜中まで友達と話し込んだり。一人で、たまに誰かと一緒に。

少なくとも週に一回は通っていたこのお店にこんなにも長く顔を出せないのは初めての事だった。だから久しぶりにドアを開けた時、私がこのお店を好きな理由と、そしてこのお店の上に個人的に重ねてきた思い出の数々が一気に心に蘇った気がした。


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私は瞬発的なその場その場のコミニュケーションがあまり得意ではないので、どんなお店であっても店員さんと長く話し込むのが得意ではない。それを察してのことなのか、このお店の人たちは毎回「いつも有難うございます。」「最近寒くなりましたね。」「お体に気をつけてくださいね。」といった程度のごく短い言葉だけを私にかけてくれる。

たったそれだけのことだけど、その短い会話の中で、私はこのお店に流れる時間の中に自分も存在しているということを実感できる。自分が透明人間ではないことを、この優しい世界に自分も視認されているのだということを、確かに実感できる。 

そしてそう感じる度に、「あぁ、やっぱり喫茶店がなきゃ生きていけないな」と思う。

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その日3ヶ月ぶりに顔を合わせた店員さんは、私に、「お元気にされていましたか。」とだけ声をかけてくれた。

私は「お久しぶりです。」とだけ返した気がする。

このお店に積み重ねてきた思い出は沢山あるけれど、今日交わしたこの短いやりとりも、多分ずっと忘れることはないだろうな、と思った。そして私はこのささやかなやりとりを、優しい世界と繋がる安心感を求めて、これからも喫茶店に通うだろうな、と思った。




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