2024/09/23「スオミの話をしよう」

 注意!現在、上映中の映画「スオミの話をしよう」のネタバレを含んでいます。未視聴の方は、ブラウザバックをお願いいたします。









 先週の土曜プレミアムだったか。三谷幸喜監督の「記憶にございません」を母親と観て、本作を見に行くことを決めた。僕は元々、映画館にそこまで行く人間ではない。かといって、TSUTAYAやアマプラで映画を視聴するタイプってわけでもない。あんまり興味が湧かないと言うか、まずもって集中力が続かない。友達の誘いで一緒に見に行った「君たちはどう生きるか」も寝落ちしてしまった。途中で隣にいた友達に起こされたが、内容はさっぱり。全然頭に入ってこない。映画館を出たあと、主人公の取った行動を考察し始める友人たちの背中がやけに遠く感じたのを覚えている。
 でも「記憶にございません」面白かったんだよな。予想外の出来事が、小気味よく連発される。リアリティとかは知ったこっちゃない。ただただ、面白かった。

 今回の映画にも期待が膨らむ。朝イチのスクリーンで空いていた前方の席を陣取り、携帯の電源を落とす。
 内容としては、長澤まさみ演じる「スオミ」という女性に振り回されていた5人の男性が、彼女の失踪を契機に集結するというものだ。本編は、主に西島秀俊演じる色男の警部の視点で進んでゆく。彼はスオミの前の旦那。今の旦那は坂東彌十郎演じる詩人で、分かりやすいくらいに大富豪。「スオミ」は、2人それぞれの前で、まるで別人のように人格が違っていたことが判明する。更に警部と結婚する前、旦那が3人もいたらしく、例によってまた、3人それぞれの前では別人格を演じていたことが語られる。それでも、別れた旦那たちはスオミを切り捨てない。
 一途な愛、言うなればもう”スオミロス”みたいな状態に陥っているのを感じた。でも、5人それぞれにスオミが嫌いになれない理由があることを同時に感じた。こういう作品って、何人かは数合わせとしてキャラが作られ、結局空気のような存在になっているパターンがよくある気がする。あとは根が善良なキャラと嫌味なキャラがはっきり分かれてたり。
 そういった前提で見ると、バランス自体は良かったんだよな。全員が全員スオミにゾッコンだと胃もたれするじゃん?今回はよりにもよって結婚中の詩人が、自己愛に満ちたエゴイストというふうに描かれている。だからこそ、別れたはずの旦那たちが躍起になっていても違和感が少ない。話が進み、過去の回想が明かされていくと、男たちはみんなして気難しいところがあった。ただただスオミに夢中になっていて、彼女の魅力を立てるだけの記号的な存在にはなっていなかった。人間らしさ。人間としての面倒くささが描かれていた。
 数年前読んだあるコラム。「男性が惚れる女性像とはどんなものか」という問いに「男性の譲れないこだわりや芯の部分に理解を示してくれる女性」と書かれていたのが僕の中で印象に残っている。この女性像に、スオミはわりと近かったのだろう。だからこそ、別の人格を演じきった。
 それが今度は、旦那たちがスオミに振りまわされる番。それぞれが、それぞれの矜持を保ちながら詮索し合っている様子も、馬鹿馬鹿しくて面白かった。

 僕は、アルコール分解酵素が不活性なのか、お酒をほとんど飲めない。何回か家で飲んでみたものの、ほろよい2/3が限度だった。そんな話を、20歳を迎えてから数ヶ月たった頃にバ先で先輩に話したところ、「お酒が飲めなかったらどうやってストレスを解消しているの?」と尋ねられた。
 僕、お酒に頼らないと解決できないほど、まだ世の不和や軋轢を目の当たりにしてないんですが。。。それとも、大学生ってもうみんな抱えきれない気苦労とかを、人知れずお酒やタバコで消化させてるもんなの???
 今の自分には、幼い頃にあった無邪気さ、中高生時代の神経質さが減ってきた。自分と周りにいる人との価値観の違いを認めて、無理に合わせないで線引きができるように多少成長したと思う。
 「大人になる」って、こういうふうに余裕を持てるようになることなんだと思っていたんだけど、実際の「大人になる」っていうのは、こころにゆとりがなくなることを指しているのかもしれない。そんな大人の背中を見てると社会人になることが不安になる。タイムラインで流れてくる、社会人の方の愚痴の数々。今日もどこかでレスが飛び交う。ゆとりを持てない環境に順応してしまう自分を想像すると怖くて仕方がない。

 今回の映画は最後までスオミの本性はハッキリしないままだった。長澤まさみはミステリアスな女性を演じきった。難しい役柄だったろうけど、圧巻だった。

 エンディングに入る。ミュージカル風のテーマを、スオミが歌い上げ、踊りだす。その後ろで、本作で登場した俳優たちが勢揃いし、バックダンサーとして踊り始める。無意識に、世の中の軋轢に苛まれているような大人と重ねていた登場人物、それを演じきった俳優たちがステップを刻む。
 僕の中で認識が交錯する。本作で評価を分かつ部分。でも、一人の女性に振り回される男性たちや俳優たち、その裏にいる監督の、茶目っ気のあるおふざけを見れた気がした。何一つ抜け目ない、完璧に練られたものよりも、少しばかり不完全なところがあった方が好きなのかもしれない。僕は一種のカタルシスを感じていた。

 未来に対する不安が、すべて解消されることはない。でも少し、心が軽くなった。


 あと単純に、久しぶりに映画館で寝落ちせずに完走できて、清々しい気分になった。自分にとっては、これだけで十分見に行った価値があったと感じる。



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