極私的読書論(前編)

 立て続けに音楽評論のような記事が続いてしまったので、今回は違うことを書いてみたい。
 筆者は読書をライフワークの一つとしているが、このことを意外と周囲にきちんと公言したことがないので、この際記事にしてみようと思った。だからと言って、世の中には偉大な先人たちによって数多く読書に関する書物が残されているため今更感が否めないのと、筆者自身、真の読書家に比べればそれほど多くの冊数を読んできたわけでもないので、あくまで筆者なりに考え確立してきた極私的な読書論の紹介となる。前半の今回は、まず、読書すべき理由について述べる。

読書すべき理由

 唐突だが、あなたは楽な人生を歩みたいだろうか、それとも大変な人生を歩みたいだろうか。

 すべての人類はこの世に例外なく無知な赤ん坊として生まれてくる。生後間もない乳児というのは、言ってみればソフトウェアが実装されていないコンピュータのようなもの。それでも、生きるためには食事をし、健康を維持し、社会性を身につけることが必要である。しかし子供のうちは、両親にすべての面倒を見てもらえるので何も心配はいらない。だが、成長し大人になると、誰もが親元を離れ自立していく。自ら社会(他人との関係性)と関わり、成果を上げ、生計を立て、人によっては家族を養う義務が発生していくようになる。一見すると、これらは人生に莫大なコストがかかり重くのしかかることのように感じる。

 幸いなことに、進化の過程で人類には知能というものが授けられた。それも極めて高度な知能だ。まさにこの知能によって人類は、5000年あまりの間、高度な文明を発展させ知恵を蓄積し後世に伝承し、暮らしを楽で便利で豊かなものにしてきたのである。ちなみに、筆者がここでいう「知能」というのは自分の頭で考える力のことで、「知恵」というのは他人の思考回路のことを指す。人生を少しでも楽にするためには、自分の頭で考える力が必須で、そのためには他人の知恵をたくさん吸収し知能を向上させていくしかない。つまり、外部の質の良いソフトウェアをたくさん読み込み、アップグレードし続けていくことが重要だと思っている。

 では具体的に、知能はどうしたら向上させることができるのだろうか。それは他人の思考回路(知恵)をなぞることである。つまり、たくさんの人に会って、本を読んで、優れた考え方に触れ、腑に落ちるまで考えるという作業を地道に繰り返していくことだ。これは例えばテニススクールで、コーチの手本を真似ることで上達していくことに本質的に同じだ。人間は模写することで技を身につける動物だ。とりわけ考える力を身につける方法には2つある。1つは、実際に人に会って話を聞く方法。もう1つは、読書する方法だ。今回は後者。ここで後者について勘違いしてはいけないのは、読書というのはあくまで著者との対話であるという点だ。だから適当に流し読みたり速読するというのは、著者が話している最中に適当に相槌を入れるように失礼だということ。しかも、それで内容を腑に落とすことなどできない。読書とは案外忍耐と集中力が必要とされるのだ。

 読書を続けていくことで、あなたの知能は確実に向上していき、心がポジティヴになり物事が適切に処理できるようになっていく。あなたの人生はもっと楽に、楽しく、自由で、充実したものに変わっていく。後編では、その秘訣である読書の方法について紹介する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?