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絶望の中で希望を見ようとしたサイードに励まされる 川上泰徳(中東ジャーナリスト)

エドワード・サイードの生涯と彼の言葉をたどりつつ、映画はパレスチナ人とイスラエルのユダヤ人の経験に分け入っていく。イスラエル占領下のヨルダン川西岸で、レバノンの難民キャンプで、そして、イスラエル国内のアラブ人の町で、パレスチナ人たちはサイードと同じく「居場所のない存在」を生きている。一方で、ホロコーストによって親戚のほとんどを失ってパレスチナに移住してきたキブツのユダヤ人や、イスラエル建国でシリアを追われたユダヤ人らもまた、「根っこを切られた存在」である。

サイードは「私はユダヤ人だ」と語る。ユダヤ人との「協調と共存」が可能だと信じていた。パレスチナ人とは何かを問いながらも、パレスチナ人であることを超え、国境や民族に縛られない「居場所のない存在」 を肯定的に生きようとした、彼の軌跡が浮かび上がる。

いま、イスラエルのガザ攻撃が続き、3万5千人の死者がでている。イスラエルの際限のない暴力を見ると、同じ土地に住むパレスチナ人を排除することによってしか、自分たちの存在を肯定できない強迫観念を感じて絶望的な気持ちになる。しかし、映画で引用されるサイードの言葉。「状況は絶望的に見えるが、私個人はあくまで楽観的である」。絶望の中で希望を見ようとしたサイードに励まされる気がする。
 
川上泰徳(中東ジャーナリスト)

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