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「成功したオタク日記」発売記念!オ・セヨントークイベントレポート

性加害で逮捕されたK-POPスターの熱狂的ファンが、推しの逮捕から映画『成功したオタク』を制作・公開するまでを赤裸々に綴ったエッセイ&ノンフィクション『成功したオタク日記』。
本書の発売を記念して、著者でありドキュメンタリー映画の監督でもあるオ・セヨンが再来日し、映画上映後にトークイベントを開催いたしました。

セヨン:皆さんこんばんは。私は『成功したオタク』の監督、オ・セヨンです。よろしくお願いいたします。3月末に日本で映画が公開された時に来日し、そして今回は本が出版されるということで再び日本を訪問することになりました。本日は遅い時間まで映画をご覧くださって、またトークイベントにもご参加くださり誠にありがとうございます。

――とても正直で率直でチャーミングで、文章だとよりストレートに胸に響きました。書籍と映画に込めた思いの違い、あとは映画と文章の役割の違いについてどう考えているか教えてください。

セヨン:映画では、私の内面の感情や気持ちの変化を映像と音で表現しなければなりません。そして自分自身も登場キャラクターとしてアプローチしていますので、映画を観た人にとっては、私も登場人物の1人だと思います。

本については、元々出版するつもりもなく書いた日記ですので、その時々の出来事が個人的で正直なストーリーとして盛り込まれています。日記というのは誰かが見ることを前提に書くものではありませんよね。ですから、順序が逆になっていたり、何も考えないで書いていますし、感情が高ぶっていたりもします。そういった内面のことが本にはより多く盛り込まれていると思います。私の内面を描いているのが日記。映画は1人の登場人物として、本は私の内面の深いところが、書かれていると思います。

――日記だけでなく、この本の中には、映画に登場するインタビュイーの方々の、映画では収録しきれなかった部分がたくさん収録されています。映画で見ていた印象とちょっと違うなという方がいたり、それぞれのオタク話がより詳細に描かれているインタビューがあって、すごく面白かったです。本を読むと、とてもたくさんインタビューを撮っていたことがわかります。先日BBCのドキュメンタリーに登場したパク・ヒョシル記者のお話も、書籍にはしっかりと記載されていました。大切な話とか、友達との面白い話とかたくさんいろいろあったと思いますが、映画にするにあたって、カットするご苦労もあったのではないでしょうか。

セヨン:映画の中で、それぞれのインタビューの分量は5分から10分です。映画としてはそれでも長いのですが。しかし実際には短くて2時間、長ければ3時間4時間と、一つのテーマで長い時間話を聞いています。

全ての人の全てのストーリーを盛り込むことはできず、私は映画を作るにあたって選択する必要がありました。ただ映画の編集作業をするときは、個々人の経験ではあるんですけれども、編集のしようによってはその1人が全ての感情を経験したようにも編集することができるので、そんなふうにカットして編集しました。

だから本には、映画では盛り込めなかった話がたくさん入っています。映画に登場する人には、それぞれの役割をもってほしいと思っていました。BBCのドキュメンタリーに登場したパク記者は、私にいろんなことを示唆し、ファン以外の視点でいろんなことを教えてくれました。またファンダムというのは政治的なファンダムとも似ているというアイディアをくれたので、そういう視点も盛り込みました。

じつはすこし会いにくいなとお互い思っていたんですけど、実際に会ってみると、お互いがお互いの慰めになり、励まし合える存在であることがわかりました。お互いにつらい時期を一緒に過ごしてきたと知っているからです。そしてファンに攻撃を受けたりされたにもかかわらず、ファンは悪くないというふうに言ってくれました。インタビューと言ってしまうことがちょっと惜しいなと思うくらい、とても温かい会話でした。そういったことがこの本の中にはしっかりと盛り込まれています。

当時わたしは大勢に非難され、「傷ついたでしょ」と周りの人から聞かれました。でも、非難するのも無理はないと思いました。もし好きな俳優や歌手がそんなふうに報道されたら、わたしも信じられないと思うからです。
不審に思ったのは、所属事務所が「この件は嫌疑なしで終結した」と断定的な表現を使ったことです。それを他社の記者はそのまま書きました。
まるでわたしの記事が誤報だったかのように報道したんです。
あきれましたね。起訴意見を付けて送検されたのが事実なのかをまず確認するべきなのに、「嫌疑なしだ」と。事務所にはそのようなことを言う権限はありません。ネットユーザーの目には、わたしの記事は誤報にしか見えなかったでしょう。

「成功したオタク日記」より
わたしたちのインタビュー ヒョシル

<会場からの質問>
――発言や行動がかなり自由なバンドを追いかけています。最近彼らにいくつか問題があり、仲間たちと「事務所がもっとしっかり管理してほしい・リスクマネジメントをもっとすべきだ」という意見が出ました。逆に「そうすると彼らの良さがなくなってしまう」という声もあります。ちょっと極端な例を体験なさった監督はどのように感じられますか。

セヨン:芸能人であれば誰でもそうですが、管理をしている所属事務所、会社という存在があるので、事件が起きると個人だけではなくて、会社のマネジメントが悪かったのではないかと非難されることがあります。

ただ、人を管理する・統制するというのは果たして可能なのでしょうか?例えば家庭の中でも、どれほど良い教育をして大事に大切に育てたとしても、道をそれたりあるいは失敗したり、うまくいかないこともあると思います。

ましてや家族ではない会社、そしてその会社の職員という立場で会社が管理して、そのもとで行動を慎むというのは果たして可能なのでしょうか?
ただ、ファンとしてはそういうふうにしか気持ちを表現できないものだと思います。企業に管理してほしい、でもそうすると彼らのアイデンティティ、または自由奔放さが失われてしまうのではないか、そんなふうに思ったり言ったりするファンの気持ちは理解できます。

人前に立つ人は、他人に対して良かれ悪かれ影響を与える存在になります。ですから、そういった人たちが自分の立ち位置をしっかりと自覚して考えて、良い影響力を与えようとすることが重要だと思います。
うまくまとめられませんが、このように同じようなことに悩んで、こうして考えお互いの考えを言って分かち合えるというのはとてもいいですね。

 
――映画の中でも、女性蔑視、女性への性暴力に対して、女性がちゃんと怒っているのがすごく感じられて、すごくいいなと思いました。私はコロナ禍以降、文学・音楽・映画などの韓国の文化に触れるようになり、江南の女性の事件を知りました。女性が怒って駅に付箋を貼ったりしたことやバーニングサンの事件についてインタビューに答える姿を見ると、きちんと怒ることは社会のためでも人権のためでもあり、男性・女性・それ以外の方々も「ともに」という考えが根底にある気がして。これはここ数年のことなのでしょうか。人権を大切にするのは、韓国では当たり前のことなのでしょうか。

セヨン:韓国では女性の人権が世界的に見ても非常に低い状況にあります。とても悲しいことですけれど。韓国の本や映画をご覧になった方なら、韓国のフェミニズムについて描かれている作品にきっと触れたことがあると思います。声を上げている様子をSNSでも見られるようになりました。

ただ、すこし残念なことに、大半の人は、そういった声を上げるわけではありません。BBCのドキュメンタリーにあったように江南エリアの悪い文化……そんなふうに言ってはいけませんが……例えばバーニングサン事件のようなクラブやお店は今もなくなっていません。韓国でも、なぜ韓国で起こっていることなのに、韓国では報道がされないのだろうかという声もあります。ただ、社会が変わるにはいろんなことが行わなければいけないと思います。政治的な関係ですとか、警察や検察、さらには芸能界、大企業の癒着の関係があるために、韓国では報道するのが難しい状況なのだと思います。

そのため、SNSや作品を通じてそういった声を上げる人たちというのは一般的ではなく、<声を上げよう>と考える進歩的な人に近いかもしれません。声を上げない人たちはどういう人なんだと思われるかもしれません。日本でヒットした「82年生まれ、キム・ジヨン」という本があります。韓国でも大ヒットしました。100万部のメガヒット作として知られていますが、一方で「この本を読みました」と発言しただけで、ある芸能人が攻撃を受けたり、SNSで誹謗中傷を受けたり、ボイコットするなどといったことも起きるなど、反フェミニズム的な動きも非常に活発です。そういった意味で韓国社会は対立が深刻です。若い人たちが声を上げる努力をしていますが、それはまだメインストリームではありません。

映画をつくりながら、誰も傷つけたくないと思った。誰かを責めたりからかったりはしたくないと。相手が犯罪者だとしても、毎日わたしが新聞を読みながら「クソ野郎」「カス野郎」と悪態をついていても、映画で罵倒してはいけないと思った。そういうことを言いたくてつくる映画ではないからだ。しかしこの頃は、その考えが正しいのか、よくわからない。勇敢な人たちが身の危険を冒して、自分のため、女性のため、よりよい世の中のために声を上げているなかで、この映画は時代遅れではないだろうか。車のギアをニュートラルの位置にすると後ずさりするというが、わたしはギアをニュートラルに入れているのかもしれない。
だとすれば、怖いことだ。

「成功したオタク日記」より
2020.04.18 罪なき罪悪感

――映画の中で、セヨンさんのお母さんが「自殺したことが許せない」と言っていました。罪を犯したら償って、そこからまた復活する姿を見せるのが、本当のスターではないかと思います。監督は、自殺しないでどう生きるかについて意見があれば教えてください。

セヨン:罪を犯したのは悪いことですし、罰を受けるべき行動ですが、罪を犯した後でどうするのか、どのように挽回して生きていくのかというのがとても大事だと思います。
「こうやって生きていくべきだ」ということは私には申し上げられませんけれども、少なくとも死ぬことはいけないと思います。見えるところ、または見えないところで反省しながら生きていってほしいと私は思います。

わたしはあなたがとても憎い。憎い。どうか、過ちの分だけ罰を受けてほしい。

「成功したオタク日記」より
2020.04.18 あのときの心は変わらない

死なないで、死なないで生きて、すべて返して。

「成功したオタク日記」より
2021.02.21 0221

――最後にメッセージを

セヨン:皆さん本日は遅くまで本当にありがとうございます。とても真剣な重要な質問をたくさんしてくださったので、私の答えも長くなってしまって、より多くの質問を受けられなかったのが、とても残念です。ただ、この本に皆さんが気になることは全て書かれていると思いますので(笑)、ぜひたくさん読んで、たくさん宣伝してください!



「成功したオタク日記」(すばる舎)
オ・セヨン 著/桑畑優香 訳
ISBN:9784799112397
判型:四六判・並製 
ページ数:320ページ
定価:1,540円(本体価格+税)

著者:オ・セヨン
1999年、韓国釡山生まれ。2018年韓国芸術総合学校、映像院映画学科入学。映画『成功したオタク』が監督としての長編デビュー作となる。釜山国際映画祭ではチケットが即完売、大鐘賞映画祭・最優秀ドキュメンタリー賞ノミネート。韓国での劇場公開時には、2週間で1万人の観客を動員し、「失敗しなかったオタク映画」として注目を集めた。目標は、書いたり話したり、撮影したり編集したりする仕事を続けながら、ユーモアを失わずに生きていくこと。


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